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25. 新潮 昭和六十一年二月号 長谷川郁夫 われ発見せり 書肆ユリイカ•伊達得夫

バラバラだった歯車がふいに組み立てられ、自動巻時計のように何かの振動が伝わりその歯車が動き出すというようなことが読書にもよくある。今回、吉田健一に興味を持つことになったのも、今まで周りに散らばっていたいくつもの歯車が、長谷川郁夫というきっかけをもとに組み上げられ動き出したからだった。
吉田健一の名前を初めて意識したのは、小西康陽「ぼくは散歩と雑学が好きだった」の中で触れられていた、戦争に反対する唯一の手段は、という一文で、また、岡本仁さんがそのときホンマタカシの展示などもあり盛り上がっていた金沢にちなんでだったか「金沢」を取り上げていて立ち読み程度で目にしたところ、岡本さんも言及していたように、句読点が極端に少なく一文がとてつもなく長く感じられ、その頃アメリカ文学の簡潔な文章に慣れ親しんでいた自分にとってはとても近寄りがたく、また、戦争に反対する唯一の手段は、の一文にも何となく引っかかるところがあり、認識はしたけれど遠い存在になった。それでも後でその文章には実は前後関係があり、その意味のままのことを述べたわけではないということをどこかで目にして、払拭された気はしていた。
その後また吉田健一と近づいたのは松家仁之さんを通してで、雑誌考える人のメールマガジンを遡って読んでいると、草光俊雄「明け方のホルン」か「歴史の工房」と、「英国の文学」の冒頭であるイギリスの冬の厳しさと凍った水溜りと雀の描写について触れられていて、そのときは「明け方のホルン」の方に興味が行き、その関連本として「英国の近代文学」を購入し、どちらも手放さずに本棚に並べていた。
そうやって散らばっていた吉田健一という存在が集約していくきっかけは、雑誌エディターシップの長谷川郁夫追悼号だった。平出隆の最初の詩集「若い整骨師の肖像」を出したのが小沢書店だと知ったり、また先に触れた草光俊雄さんも文章を寄せているのを知り、これは手に取らなくてはと思ったのだったが、それは自分の中の関係性として、好きな人たちから二本以上の線が集まっている人には関心を持つ感覚があり、今回は平出隆と草光俊雄からの線が集まる長谷川郁夫という人に関心を寄せたことになる。ただ、長谷川郁夫という名前は前から知っていて、それがこの「われ発見せり」で、古本好きにとっては憧れの人である伊達得夫に関するこの本は気にはなっていたけれど、書肆山田の本作りが装幀の趣味という意味であまり好きではなく、手に取ることはなかった。それがある日、町田の高原書店に久しぶりに行き、少し古い文芸誌が並ぶ一角を何か目ぼしい掲載がないか一冊ずつ見ていったところ、新潮のこの号を発見した。買ってパラパラと読み、いつかしっかりと読もうと持っていたが、なかなか読む機会が訪れないまま何年も経ち、今回やっと出会い直すことになった。つまり関心の上では伊達得夫からの線が先に伸びていて、その上であらたな線が結びつき、長谷川郁夫を再認識したのだった。
そこから色々なことに興味を持ち始めるのはすぐだったが、まずは図書館で「吉田健一」を借りて読み始めたところ、長谷川郁夫を通して吉田健一にも出会い直し、人物や人生に魅力を感じ文章や思考に共感してからは、吉田健一ばかり買ったり借りたりして読む日々が続くことになった。そしてまたそこから中村光夫や福田恆存などにも新しい線が伸びていこうとしている。そうやって、これまで所々あらわれていたことに今までの関心事の線が次々に繋がっていくという不思議な縁に、自分でもあらためて驚くような気持ちになった。

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