質的研究のための学術論文執筆基準(7):修辞スタイル
はじめに
アメリカ心理学会(APA)から公表されている「質的研究のための学術論文執筆基準」(Journal Article Reporting Standards for Qualitative Research,以降,「質-JARS」とします)について紹介します。
今回紹介する本はこちら
Levitt, H. M. (2021). Reporting Qualitative Research in Psychology: How to Meet APA Style Journal Article Reporting Standards, Revised Edition as publication of the American Psychological Association in the United States of America, 能智正博・柴山真琴・鈴木聡志・保坂裕子・大橋靖史・抱井尚子(訳)(2023)『心理学における質的研究の論文作法:APAスタイルの基準を満たすためには』,新曜社.
この本の第10章「修辞スタイルと方法論的整合性について—トラブル対応,および論文発表と査読のためのヒント」では,質的研究論文の修辞スタイル,学術誌とのコミュニケーションなどについてまとめられています。
今回は,このうち,質的研究の修辞スタイルについて整理します。
構成は以下の通りです。
1. 修辞スタイルが重要である理由
研究のストーリーをうまく語るための条件の1つは,みなさんの作品を受け取る可能性があるさまざまな読者(たとえば,同じ領域の研究仲間,査読者,編集委員)のことを考慮に入れ,ストーリーの語り方を工夫することです。
探究プロセスに関して論文の筆者がもつ様々な信念が,主張を根拠づけるために工夫する際の言葉使いや論理構成に影響します。
以下に見ていく修辞スタイルに関する検討事項は,みなさんの信じる認識論的な仮定と一貫させて論文の執筆を支援するためのものです。
論文著者は,自分の採用している探究アプローチを理解し,そのアプローチと一貫性を保った文体や論理構成を採用しなければなりませんね。
2. 客観主義的な心理学論文と構成主義的な心理学論文
では,どのように修辞スタイルを選べばよいのでしょうか。
質的研究の論文を書くときに大切なのは,その研究について自分が前提にしているこをもっとも明確に意識化するにはどうすればよいか考え,一貫した姿勢で論文を執筆することです。
質的研究では様々な探究アプローチが採用されますが,ここでは,客観主義的(objectivist)なスタイルと,主観主義的(subjectivist)ないし構成主義的(constructivist)なスタイルの2つを取り上げて紹介します。
2-1. 客観主義的な修辞スタイル
客観主義は,科学のプロセスを研究者から独立したものと考える立場をとり,偏見や関心を前面に出さない非人格的な姿勢で論文執筆を行う修辞スタイルに現れます。これは,自然科学の伝統に訴えるものであり,量的研究に支配的なスタイルです。
ポスト実証主義的,または批判的実体論という探究アプローチと関連します。
研究対象は意図的に自己の表れを変化させる能力を持っておらず,研究者の期待が対象の動きに影響を与えるとは想定されていません。
心理学ではこの論文の執筆スタイルが長い歴史をもっており,より説得力があるとみなされがちです。
中立的な科学的立場から調査を行いたいという立場から,研究者が与える影響に関する議論は最小限にとどめられ,研究者の視点にかかわらず知見が一貫していることを証明することに焦点が絞られる傾向があります。
2-2. 構成主義的な修辞スタイル
主観主義ないし構成主義では,研究結果は筆者の価値観,信念,関心によって左右されるという前提をもちます。
構成主義,批判理論,社会構築主義といった探究アプローチと関連しますが,これらはすべて,心理学的な知識が価値観とは関わりのない文脈で生み出されるという考え方に疑いの目を向けるものです。
研究成果が研究者の視点や文化的仮説や期待に関連してどのように生み出されたかを論じる傾向があります。
そこで焦点化されるのは,研究者のもつ問いやそこで生じる理解の深まりや研究参加者との関係に応じて,知見がどのように形をなしたのを示すことです。
構成主義の文体を用いて研究論文を書く場合には,世界を理解するために用いている諸概念は研究者が自ら作り上げているものだということをはっきり認め,それがいかになされているかを意識的に検討するという形をとることになります。
質的研究論文で重視されるのは,研究者の視点がどのようなものであり,研究結果の分析においてそれがどのように扱われたかがわかるように議論を展開することです。
客観主義的な修辞スタイルと構成主義的な修辞スタイルに分けて,それらの前提や傾向を整理するのはわかりやすくてよいですね。
この二つの修辞スタイルの間のグラデーションのなかに自分の論文があるのかを検討したり,自分のよって立つ伝統のなかでどのような修辞スタイルが望ましいと言われているのかをきちんと勉強したりすることが大事ですね。
3. 論文執筆の修辞スタイルをどのように決めるか
みなさんが論文執筆のスタイルを選ぶ場合には,自分の研究アプローチが主観主義寄りなのか構成主義寄りなのかを考えてみてください。
どのような立場であれ,一貫性のある文章が書けるようなスタイルを選択したいものです。
3-1. 客観主義的な論文執筆の特徴
多くの心理学者は最初に客観主義的な論文執筆のトレーニングを受けますが,このタイプの論文の特徴はあまりにも広く使われているので,それを意識することは難しいかもしれません。
筆者は研究プロセスから距離をとり,自分を中立的な立場に立たせることで主張を補強しようとします。
3-2. 構成主義的な論文執筆の特徴
構成主義的な視点では,研究のプロセスにおける研究者の役割が読者に伝わるような書き方をします。
研究者は知見が得られた文脈を重視し,データからの引用,発見の内容,研究の意義を研究の状況のなかに位置づけるのです。
構成主義的な論文執筆の特徴を整理したことで,今後,意識的に,あるいは,自信をもって論文の文章表現を決めることができそうです。
なお,本文にはそれぞれの戦略の具体例も掲載されていますので,興味のある人はそちらも読みましょう。
4. 論文発表を促進する執筆スタイルの決定
著者(Levitt)は,自らの経験から上記①~③に関わってアドバイスを示しています。
上記①に関わって,質的な方法やアプローチの創始者たちの著作を読むことが推奨されています。
上記②に関わって,質的方法の理論家の著作を読み,自分が重視している信念を意識することや,その信念を活かすために使えそうな手続きを選ぶよう推奨しています。
上記③に関わって,投稿先の学術雑誌について学ぶメリットには次の3点がある;(a)論文執筆のスタイルを修正し,読み手(編集委員,査読者,読者)の認識論的な信念に訴えかけられるようにすることができる,(b)自分のスタイルを保ちながら,自分のロジックが読み手に伝わるように説明や記述を盛り込むことができる,そして(c)査読プロセスをよい機会として,査読者や編集委員に対し自分の論文執筆のスタイルについて教えることができる。
上記のアドバイスを要約すると,「自分のよって立つ伝統とその執筆スタイルを学べ。投稿する雑誌について学べ。」となるでしょうか。
ところで,上記の(c)は私からするとかなりポジティブな姿勢ですが,たしかに査読は執筆のスタイルを理解してもらうチャンスでもありますね。
おわりに
本稿で整理したように,自分の採用する探究アプローチに基づいて,(すでに掲載されている論文も参考に)修辞スタイルを決めるのが大切ですね。
正直な感想を述べれば,今回紹介した第10章を整理したところで,質的研究論文をどのような文体で書くべきなのかについてまだまだモヤモヤがとれません。
以前の私の書いた記事に対して,honuさんから質的研究論文における文章表現,特に「~について明らかにした」という強い文章表現についてコメントをいただいたことがありました。honuさん,ありがとうございます。
honuさんは,「強い言葉と弱い言葉」と題する記事を次のように締めくくっています。
私自身もこれまで質的研究論文を書く中で「~について明らかにする」といった表現を用いたことがありますが,これは適切だったのだろうかと反省しています。
一つの文章の些細な表現に至るまで,自分の採用した探究アプローチと一貫性を保つこと。
これは,研究者として真摯に世界と向き合おうとする一つの態度の現れであり,今後,私が身に付けなければいけないものの一つです。
さて,今回で質-JARSの整理は終了(の予定)。次回は「再帰性」について考えられたらいいなぁ。
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