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卵子凍結・出産・妊娠がホットワードないま、「縄文時代の出産」を想像してみる

「ごめん、今日は体調悪くなって行かれへんわ」
「え、大丈夫?お大事にしてな。また会おう」
「このタイミングで言うのあれなんやけど、妊娠してん」
同い年である親友の告白に動揺しながらも、とても嬉しい気持ちに包まれた。

ただ心のざわめきを隠せない。
同じ歩幅で進んでいた親友がいつの間にか大人になって、置いていかれたような感覚。
「結婚はいつくらいにするの?」
「子どもはいつくらいにほしいの?」
「仕事はこのまま続けるの?」
年齢を重ねていくたびに聞かれる「人生設計」に関する質問。

タイムリミットがあるのはわかってる。
でも、お願いだから焦らさないで。

「卵子の数って減っていくんやって、AMH検査で卵子の残り数の目安を知ることができるで」
医療関係の友人にすすめられて卵子の数を測る検査、AMH検査を受けることにした。

AMH検査とは👇
血液中のAMH(アンチミューラリアンホルモン、別名:抗ミュラー管ホルモン)の値を調べる検査のことです。「AMH」とは、卵巣内の発育過程の卵胞から分泌されるホルモンで、AMH値から、体内にどれぐらいの数の卵子が残っているか(年齢相応の卵子数が残っているか)推測することができます。

https://gracebank.jp/about_amh/

「現在は平均的な卵子の数ですね。もしこの先の妊娠できるか不安な場合は卵子凍結という方法もあります」
「卵子凍結?」
「加齢とともに卵子が持つ妊娠能力が低下していきます。なので、現在の年齢の卵子を凍結して妊娠したいときに体外受精する方法です」

費用の面からすぐに決断できなかったのも事実だが、それよりも自分が妊娠するということが現実的に考えられなかった。
「新しい命がお腹に宿る」この言葉自体は理解できるのに、自分のこととして実感がわかない。

家に帰ってぼーっと土偶を紹介している本を見つめる自分がいた。
土偶の丸いお腹は、まるで命を宿す女性と言われている。縄文時代、出産はどんな風に行われていたのだろうかと、自然に思いを巡らせた。

約1万年前の縄文時代、女性たちは現代とは全く異なる環境で出産を迎えていた。医療技術が発展していない時代、出産は自然の中で行われ、経験豊富な年長の女性たちが助産師としての役割を果たしていたに違いない。彼女たちは、自分たちの知識と経験を駆使し、出産する女性を支え、共に新しい命を迎えていたのだろう。

特に、縄文時代の平均寿命が30歳であったことを考えると、出産や育児の困難さは現代の比ではなかったはずだ。

たとえば縄文時代は、8人の子を生んだとしても、乳児時点でその多くは亡くなってしまい、15歳まで生きぬくことができた子どもというのは約半数程度。

縄文時代の人々の寿命について

無事に産まれて大人になることがいかに難しかったかを物語っている。平均寿命が短かったため、女性たちは若いうちに妊娠・出産を経験する必要があった。これにより、彼女たちの身体には大きな負担がかかったことだろう。

縄文時代の土偶には、妊婦の姿や出産を表現したものが多く見られる。顔よりも大きくお腹を強調した妊婦の土偶や、座りながら出産しているような姿の土偶は、縄文人が出産をどれだけ神聖なものと見なしていたかを示している。これらの土偶に込められた願いや祈りは、新しい命の誕生を祝うと同時に、その無事を願うものでもあったのだろう。

現代では、医療技術の進歩により、安全で快適な出産環境が整えられている。しかし、それでも出産という行為が持つ尊さや神聖さは失われていない。新しい命を宿し、育み、誕生させるという一連のプロセスは、どの時代においても女性にとって特別なものであり、深い意味を持つ。

土偶を見つめながら、私はふと、自分の中にある不安や焦りが少し和らいでいくのを感じた。
出産は、人間としての尊い行為であり、未来を繋ぐための大切な役割を果たすものだ。縄文時代の女性たちが過酷な環境の中でも新しい命を迎え続けたように、私もいつか、その尊い瞬間を迎えることができるだろう。
焦らず、自分のペースで。
まずは心の準備から整えたいと思う。


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