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本当に「多様化」「多様性」について取り組んでいる人たちが知っていて欲しいこと

「いろいろな価値観は大切にしましょう」
これ自体はいいことだと思います。今までマイノリティだった人がしっかりと自分の価値観を持って、表現できる社会は基本的には素晴らしいと思います。

ただ、最近「人間そんなに性善説でもないな?」と思っています。
この善の定義もいろいろあると思いますが、ここでは「集団生活するうえで他人に迷惑をかけない」としてみます。まぁふわっとした感じですが、そこまで本筋には影響がないので、なんとなくよさそうなこととしておきます。

さて、多様化、世の中の価値観が大切にされると「やーい、ちーび!」という、人の容姿をいじる事も大切にされるべき価値観になるのかと思います。
そして「やめなさいよ!身長が小さいことのなにが悪いんだい?世の中多様性の時代だよ?」と”高身長”の人が諫めます。

この時に諫めるのは高身長、マイノリティではない人が行うというのがポイントかとおもいます。
たいていこういった時に諫めるのって持ってる人なんですよね。

「容姿が悪くて何が悪いの?多様性の時代よ?容姿なんて関係ないじゃない」と女性が言っているとします。
どういった女性が言っているのをイメージしたでしょうか。きっときれいな女性をイメージしたのではないでしょうか?

そしてもしわざわざそういった場に首を突っ込んでいるのだとしたら、優越感みたいなものを感じているのだと思います。

これは男性女性関係なくいたるところで行われています。

楽しいですからね、自分より劣っている人を排斥するの。平易な日本語にすると弱い者いじめ。
いじめてる方は楽しいじゃないですか。弱い者いじめって。

「多様化」「多様性」について教えて布教しようとしている人も、知らない人たちを見下していますよね?
「君たちはこんなことも知らないのかい?いいかい「多様化」「多様性」というのはね―――」

弱者とみなしたものに対して何かをするのは基本的に楽しいわけです。

これが「多様化」「多様性」という言葉が浸透すると、正義の鉈を堂々と振るうことができるようになります。

『容姿の事でいじるのは止めなよ。今は「多様性」の時代だよ?』

一見素晴らしい精神性の持ち主のように見えますが、うがった見方をすると容姿でいじられている人は自分より下だと思っているようにも見えますよね。

自分より下の地位の人を作り、それを嘲笑する文化というのはいつの時代でも存在してきました。
古くはカースト制度や封建制度が該当するでしょう。上位階級の人が下位階級の人を見下し、差別していました。奴隷制度もそうでしょう。「未開」と見なし、嘲笑や侮辱の対象としていた植民地主義のようなものもそうだと思います。

この「多様化」「多様性」が現代のそういったものにならないといいなぁと思っています。

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