見出し画像

学校の「国語」の授業なんて意味がないと言っている人に対して思うこと

学校の「国語」の授業なんて意味がないと言っている人に対して思うこと

高校を卒業している方なら大学入学共通テストの国語の科目で平均点をとれるようになってから言いましょう。

日本人の3分の1は日本語が読めない!?

今となってはよく見る文章ですね。
新井紀子さんの『AI vs.教科書が読めない子どもたち』の本は一度読むといいと思います。

世の中には文章が読めない人が思ったよりいるのかという感想と、「まぁだからSNSは荒れるよね」という感想です。

大学入学共通テストの国語の科目で5割取れない人は、文章が読めていないと思うので、SNSをやるべきではないかなとも思っています。
道路の標識が理解できない人が運転したら危ないですよね?それと同じです。

こういったことに対して「国語の試験に用いられた文章を書いた作者ですら不正解になる問題にどういった意味があるんだ」という反論をする人がいます。
ジョークとして言っているならいいですが、本心で言っているのであれば理解力もないので危ないと思います。

国語の試験は「そこに書いてあること」を問う問題です。
作者の気持ちや込めた思いなどは無視されます。小説の問題も「出題範囲として切り取られた文章に書いてある範囲内」での問題です。主人公の過去の話や伏線とかは問われていません。
書いてあることを書いてあるまま理解できるか、それが問われている試験です。

劇場版「ユーリ!!! on ICE」製作中止を発表「製作を断念せざるを得ないという判断に至りました」

例えばこの記事。
この記事に書いてある中止の理由は「諸般の事情により製作を断念」です。
それ以上の情報は書いていません。
まずはここが理解できますか?という点がとても大切だと思っています。

それなのにSNS上には「MAPPAの制作体制がー」や「ロシアの情勢がー」「露(ロシア)など政治的理由も背景にー」など「コロナとロシアのダブルパンチー」といった単語が飛び交っています。

それ、本当ですか?根拠は何ですか?

行間を読むことは大切な時もあります。
コミュニケーションをとるうえでも大切です。ただ、書いてあることすら読めない人たちが行間を読むのは、もう創作でしょう。

まず書いてあることをしっかり読む、これが本当に大切だと思う次第です。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?