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情報量のない言葉「賛否両論」

「●●に対して『賛否両論』ある」という見出しで書かれている記事やSNS上のコメントを見ます。

ただ、この『賛否両論』という言葉は何も情報量を持ちません。
なにか一つの物事に対して、賛成意見があることや否定意見があるのは当たり前です。

そして、『賛否両論』と書きつつ、書いた人の意見に誘導する方法が多く見られます。
SNS上を探せば必ず賛成意見も否定意見も存在します。
それに匿名のSNSであれば、さも「SNS上にはこういった意見がありました!」というニュアンスで、自分で書くこと、自演自作をすることもできるわけですよね。

このように、「賛否両論」を掲げる行為は、一見すると公平でバランスの取れたアプローチのように見えますが、実際には中身が空洞であり、読者に対して具体的な情報を提供していないのが現状です。この言葉を使うことで、曖昧さを保ちつつ、読者の好奇心を引きつけようとするのですが、真の議論や理解への道を阻んでいます。

しかも、この言葉の背後にある意図は様々です。場合によっては、議論を促進するためというよりも、批判を避けたり、あるいは特定の立場を隠蔽するために用いられることも少なくありません。例えば、ある製品に対する「賛否両論」を挙げることで、実際には存在する重大な欠点を軽視しようとする場合もあるのです。

この問題に対処するためには、私たちは情報を受け取る際により批判的な姿勢を保つ必要があります。特に、ある意見が「賛否両論」であるという表現に遭遇した際には、どのような賛成意見があり、どのような反対意見が存在するのか、そしてそれぞれの意見の根拠は何かを深掘りすることが重要です。

1000の賛成と1の批判なのか、1の賛成と1000の批判なのか。
また、「なんとなく」の賛成なのか、「切実」の賛成なのか。
具体的なデータや証拠、論理的な推論をもって、各意見を検討することで、真の議論の場を作り出すことができます。

また、基本的に「賛否両論」とついている記事は基本的に中身がない場合が多いので、読む必要もないのかなと思います。

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