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「才能」「努力」は諦めるときの・諦めた時の言葉

何かをやろうと、現在進行形で成し遂げようともがいている人の口からはあまり出てこない言葉だと思います。
しいて出てくる場合があるとすれば、それは「やっていない人」に対して抽象的に回答するとき(インタビューとか)の時でしょう。

仕事でも、趣味でも、夢でも、なんでもよいですが、何かを成し遂げようとしているときにこういったことを言っている場合ではないんですよね。

「もっと才能があれば」
何度そう思ったか知れないほど思っています。もっと簡単に作品ができて、もっと簡単に上達できれば。なんで毎日平均5時間時間を投下しているのに、こんなに成長しないんだろう。切実に思います。

でも、それ言っても何も変わらないこともよく知ってます。

才能がないことを嘆いたところで、才能が欲しいと願ったころで、大声を上げたところで、泣いたところで、誰かを恨んだところで、誰かの足を引っ張ったところで、今日は頑張ったからもういいやとお酒を飲んでも、スマホのゲームでわずかばかりの達成感を得たところで、できないことには変わりません。

たぶん、必死で、周りの雑音とか耳に入ってこないくらい必死なんだと思います。

何となくそんな事思いました。

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