中村哲は何故殺されたのか

寝酒も飲み、睡眠薬も飲んで布団に入ったものの、ふとある想念が浮かんで眠れなくなりました。時々思い浮かんでは分からないまま消えていった疑問です。

何故、中村哲先生は殺されたのか。

その答えが、つい今し方、ふっと脳裏に浮かびました。

「水に手を出したからだ」。

中村先生はアフガニスタンで長年医療に邁進しましたが、医療をいくらやっても治水をやらなければアフガニスタンの人々の生活はどうにもならない。水が全てだ。治水が必要だ、そう考えました。

おそらく長年アフガニスタンで暮らした中村先生は、それが如何に危険であるか、分かっていたはずです。分かっていてもやらずにはいられなかったのでしょう。

中村先生がいみじくも喝破した通り、水が全てなのです。だからこそ、水に手を出したら危険なのです。しかも外国人が。

治水というのは、言い方を変えれば水を支配することです。水の利権を握るって事なんです。世界中何処でも、治水は揉め事になります。今現代の日本でも治水は揉めます。だって川の流れを変えたら、誰かは潤い、誰かは損するんですから。しかも日本のように水が豊富な国でさえ揉めるのです。アフガニスタンのように水が極めて限られた資源である場所で水に手を出すというのは、自殺行為です。

アフガニスタンというものを、ほとんどの日本人は完全に間違えて理解しています。グーグルやWikiでアフガニスタンと検索すると、地図が出てきます。国境に囲まれたアフガニスタンという国があるかのように描かれています。

そうじゃないんです。

アフガニスタンというのは、西のイラン、東のパキスタンという地域大国、北にはトルクメニスタン、ウズベキスタン、タジキスタンという元ソ連だった三つの小国があって、その国々の権力がそれぞれの首都から離れるに従って次第に減衰していき、その真ん中にぽっかり空いた空白地帯です。そこは一年中雪と氷を抱いた高山やその続きである山岳地帯、砂漠からなっていて、鉱物資源はある程度あるものの、あまり美味しい土地ではない。古代にはクシャーン朝とかが文明を築いたことはあるが、基本的にはその空間には様々な民族・部族が群雄割拠しています。何度も王様は置かれていますが、結局諸部族間の妥協のたまものとしての王なので、なんかあると簡単に首が飛びます。

つまり織田信長が終わらせた戦国時代が千年以上続いていると思えば良いのです。

そういう所に、カーブル川、ヘルマンド・アルカンダブ川、ハリ・ルード川という大河が3本流れていますが、カーブル川以外は沼沢地や砂漠に消えていきます。カーブル川だけはインダス川に合流し、パキスタン領土を流れて海に注ぎます。中村先生が手を付けたのは、カーブル川でした。他の川に手を出しても結局彼は殺されたのでしょうが、カーブル川の水に手を出したのは最悪でした。

中村先生が丸腰で活動していたというのは単なる伝説です。殺された時も、彼には二人の護衛が小銃を持って付き添っていました。しかし殺人者は彼の車の全員を、あっという間に皆殺しにしたのです。

極めて周到に準備された、相当に金を掛けた殺人であったと考えられます。アフガニスタンに割拠する部族の中の、彼の治水で割を食ったどこかが彼を殺ったと考えても良いのですが、あれほど用意周到で優れたスナイパーを使った殺人計画は、地元部族によるものではないように思います。

思い出してください。カーブル川はやがてインダスに合流し、パキスタン領土を流れるのです。つまりあの川は、アフガニスタンの諸部族だけでなく、パキスタンにとっても重要な水源なのです。上流のアフガニスタンがしっちゃかめっちゃかだった間は、その水はパキスタンに流れていた。しかし中村先生はそこに手を付け、カーブル川の水をアフガニスタン領土に引き込んだのです。

見えてきましたね。

そう。明らかに中村先生はパキスタンの水利権を侵害したのです。パキスタンは黙っていられなかったのでしょう。パキスタン政府が直接絡んだのではないにしろ、パキスタンの相当有力な勢力が動いたのだと思います。あれだけ用意周到な殺人は、地元部族が頭にきて、と言うのとは違うと思うのです。

カーブル川の水が何処に流れるかなんて、中村先生は先刻ご承知だったでしょう。そして水に手を出せば危ないことも分かっていたはずです。全て承知で始めたのですから、他人が何か言う話ではありません。ただ、アフガニスタンで治水に励んで諸人こぞって彼を讃えたというのは一面の真実に過ぎないのであって、「アフガニスタン最大の水利権に外国人が手を染めた」という見方も出来るんだという事です。

何度も言いますが、全て物事は単純じゃないのです。

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