中野

【連載】教える技術講座#05(最終回):「これじゃないもの」をどう教えるか、あるいはアンチョコの発見。

2017年2月10日

(金曜日はちょうど終了したオープンカレッジ講座「教える技術」をネタにして連載しています)

前回は「入門期には楽しくやり、熟達期には挑戦させる」ということを言いました。今回は、「これじゃないもの」をどう教えるかということを考えて、連載の最終回としたいと思います。

【「これじゃないもの」をどう教えるか】ということ自体がわかりづらいと思いますので、まずこれを説明します。私たちが何かを学ぶときは、先生や師匠や(自分が子供であれば)親といった人について、学び始めます。最初は、師匠の真似をして、それをマスターしていき、ついには師匠のレベルに達します。そうするとそのあとは師匠を乗り越えていくしかありません。そのときに、「師匠が示したもの(これ)じゃないもの」を自分で作り出すことが求められます。

日本には「守破離」という考え方があります。まずは師匠が示した「型を守る」ところからスタートします。次に自分にあったより良い型を工夫することによって、教えられた「型を破る」。最終段階として師匠の型からも自分の型からも「離れる」ことによって型という考え方から自由になることができる。このような考え方です。

グレゴリー・ベイトソンは『精神の生態学』の中で「学習の型」というモデルを提示しました。

ベイトソンの言う「学習1(proto-learning)」が「守」の段階です。師匠を手本として練習し、フィードバックを受けて1つの型を磨いていく。その限りにおいて上達はしていきますが、その上達速度は一定です。

しかし、有能な弟子はあるとき「別の型」を見つけます。それが「学習2(deutero-learning)」です。型を作り出すことで、その学習は加速度的になります。ここで「学習の仕方を型として学習した」からです。これを「文脈の学習」とも呼びます。

(なお、ベイトソンは「文脈の文脈の学習」である「学習3」も想定していますが、わけがわからなくなるのでここでは扱いません)

私が小学生だったとき、「アンチョコ」と呼ばれる本があることを知りました。正確には『教科書レーダー』というような名称の参考書で、そこには教科書の練習問題の解き方と解説そして正解が全部載っているものでした。これを見たときの私は衝撃を受けました。「すごい! 先生が教室で説明してくれることがすべて書いてある。しかも先生の説明よりもわかりやすい」。

なんだ、アンチョコに書いてあることを読めばすべてわかるじゃないか」。教室の中で先生の話を聞いて学習するという「型」とは違う学び方の「型」があることを私はそのとき発見したのです。

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