コガシスト
続けるか続けないかそれが問題だ。娯楽の塵を一つ一つ、意味の無さそうな対峙から何を出すか。
芸術というものに対して正直に向き合った先の表現。その表現を観て私は何を思う。
1985年に高松伸氏設計のもと建てられた【修学院の家Ⅱ】が芸術運動の場【無光虹】へと生まれ変わって行く日々のキリトリと心情。
とある山に 50年以上放置されたままの 大量のゴミがあります。 登山者のポイ捨てや産廃業者の不法投棄といった類いのゴミではなく、 山のレジャーを楽しんだ人がゴミ箱に捨てたゴミ。 レジャー施設を運営していた人が出したゴミ。 何年も何年も捨てられ続けて、何年も何年も放置され、落ち葉が積もり、ゴミの地層が出来上がってしまったのです。 それを目の当たりにした1人の人間が 何でこんなことになっているんだという怒りと 怒っていてもなお感じる美に動かされ 芸術実験の場である無光虹にて
1975年 スト権スト(ストライキ権奪還ストライキ) 奪われたのは何だったか それは 本当に奪われたのか そもそも与えられた物じゃなかったか もともと持っていた物じゃなかったし だから安心して 違う風を探せばいいのに 頬にあたる奪われない風だけを 信じればいいのに 誰かが風に色を付けたから 帽子に色が移って移って 赤い帽子 白い帽子 取られたら取り返せと 勝ち負けが決まったら 手の中の帽子を見て 「はて、どうしたものか、使い道を忘れましたよ」 そりゃそうだ 勝手に持
1988年 テレビアニメ「それいけ!アンパンマン」放送開始 何故だか、泣ける言葉だと思った。戦争を知らず、何でも足りている時代に生まれて、有り過ぎる時代を生きている自分の人生の中で「食べ物が向こうからやってきたらいいのに」と思った事は有り難いことに一度も無い。そんな人間が、アンパンマンの原作者が本当に食べるのに困って吐露した言葉のどこをとって「泣ける」と感じているのだろう。 「泣ける」だから他人事なのだ。自分には事実として降りかかって来ることでは無いと余裕綽々として、
1979年 ウォークマン発売 無いことにしたい世界の雑音を遮断して一時の逃避行を完遂させる装置。耳栓よりも効果的に。体裁を保って。そういう目的で使うものだと理解していた。頭の中一杯に音楽を鳴らせば意識はそちらに吸い取られて外部からのあらゆる情報が侵入するのを阻止してくれる。 音は自然のようなもの。たとえ人間が出した音でも空間に放たれた時からその一瞬の、その時だけの音に変わり消失する。 人は五感を介して常に何かと繋がっていることを知る。自分も現象のひとつなのだと。ノ
1982年 五百円硬貨誕生 物々交換でまわる世界を夢見るのは馬鹿げていて愚かなことだろうか。綺麗事だと一笑に付されてしまうだろうか。人々の営みは生きるために必要な物を自給自足することに始まり、欲しい物を手にするための物々交換へと進んで行った。そして訪れたのが「見合わない」という不具合だ。欲しい物と自分の用意した物を交換できない。相手がそれを欲しがっていないからだ。そうなると皆が欲しがる物で安定した供給量のある物が一定した価値を有していると考えられ物々交換の仲介役となった。
1968年 文化庁発足 手間とひま、「ため」の自己犠牲が育てた文化が 失くなろうとしている 綺麗な言葉で繕わなくていい 正直に 仕事ですと ただ一言 仕事ですと言ってくれた方が まだマシです 銭集めに躍起になって 分からなくなった 守る意味 伝えるの本質 あなたまでそっち側に行ったら もう守りたい文化は消えてなくなり 守ってきた文化が歪んでいく ヤラセ満載の伝言ゲームがより巧妙になっていく 力の無い私たちは 守りたいものが消えていくのを横目に 使ってはもらえな
1985年 スーパーマリオブラザーズ発売 このゴミが山の斜面でたいして分解もされず五十年近く放置されている間、綺羅星の如く世に生まれたこの兄弟は絶えず人々に愛されて来た。この兄弟のいいところは深くないところにある。勧善懲悪、敵か味方か、考える間もなく死んで、またケロリと生き返る。深くないのがいい。娯楽なのだから。 娯楽。特別な知識が無くても、優れた体力や技術が無くても、深く考えなくてもそれぞれで楽しみに興じることができるもの。メッセージ性などあってはならない。シンプル
1974年 小野田少尉帰国 このゴミを捨てた人が娯楽を満喫(おそらく)していた日、ある一人の日本兵がフィリピンから帰国した。彼は1945年終戦の後、日本の戦いはまだ終わっていないと信じ、任務解除命令を受けるまでフィリピンのジャングルに潜伏していた。29年もの間。 一体どうしてそんなことが起こり得たのか。書籍や映像、当時を語る記事があり、検索すれば何があったのか知ることはできる。戦争がまだ続いていると信じるに値する事象があったのだろうと。けれどメディアを通して知ることは
【継続と結果】 続けることと辞めることについてしばしば考えることがある。続けている時は「いつか報われる日が来る」と思っているし、辞めた後は「辞めて正解」と思う。一体どちらを良しとしているのか、私の脳は都合の良いように働いているなとそこだけははっきりしている。 昨年末、まあまあ続けて来たことを案外スッパリと辞めてしまった。「辞めてしまった」と言っているのだから辞めたことを後悔しているのだなと言われるとそうでもない。むしろすっきりしている。ただ社会がそれを良しとは捉えないの
過去を振り返る作業はとても難しい。昨日より今日、今日より明日の考えが進化していると思い込み、どうしても今の想いを吐露したくなって、一足飛びに記事を書き上げてしまいたくなる。 この先を生きていく上で何か大事な「捉え方」の発見が要所要所でなされてきたはずで、落とし物の回収はまだ終わっていないのに「今」の会話が気になって進まない。そんな時は自分の頭を静かに落ち着かせ、山積みの缶のただ一点を見るともなく見つめ、ゆっくりと記憶を呼び覚ました。 思い返したくない記憶はひとつも無い。
2023年10月 1年が経ち、100回が過ぎた。 遠くに見ていた蜃気楼は蜃気楼で 救済者も夢想家もそこには居なかった。 自由があり 介入のない孤独があり 希望を持ち 絶望があった。 後悔は無く 探求する命が尽きることは無い。 この表現の前と後 それはどこまで続いても知る前と知った後。 その中心に芸術を知る男がいた。 芸術はしっかりと私の腕を掴んで、その存在を伝えた。この感触を忘れるなと。 よく分からなかったのは 触れたことが無かったから。 届くところまで進み
2023年9月 気付けば90回を過ぎていた。 回数を気にしていたわけでは無いけれど 私はふと、我に返るとでも言おうか ひょっとして100回を過ぎてしまったのではないかと そうであったなら しまった、と。 始まりの日から数ヶ月は意識していた。 何か私の中でそれが当たり前になるまでは。 一部になるまでは。 覚悟だろうか。 いつの間にか 私はそれに慣れてしまって 特別な1日がいつもの1日に変わり 時間の経過を粗末にしていたのかもしれないと しまった、と感じた。 安堵と感謝と
気にしていないと男は言う。 ギッシリと積まれた缶の山は 時間をかけて慎重に積み上げられたように しっかりと接着されたように 折り重なり支え合う。 アプローチからエントランスへ 真っ直ぐに伸びる線 男が手直しするとすれば そのラインのみ。 山積みの缶は ただ無造作に放たれている。 説明書きは無い。 人々はみな 各々の日々を持って生きる。 同じ時間 同じ状況が目の前に広がっていても 同じ目で観ることはできない。 生きてきた命に違いがあるから。 寄り添ったり 慮ったり
2023年 7月 愛着という言葉が 正しいのか分からない。 増え続ける缶は 徐々に丘のように成し 目の中でやけにしっくりとした もうそこに当然あるもののごとき様。 夜だからいくらか綺麗に見えたり 雪だからいくらか綺麗に見えたり 雨だからいくらか綺麗に見えたり 晴れだからいくらか綺麗に見えたり 美しく見える理由を 探そうとしていた日々は過ぎ ここにいる自分と ここにあるゴミと ここにある芸術を 心の目で正視する。 はじめからそれはゴミであり物であり 美しく生まれ変わ
男は 芸術と向き合う時 世間という矯正を外している。 より強く未来を感じる方へ 伸びたいように伸びていく。 だから 曲がって見えるのだろう。 それは 曲がっている と 評価される。 山に入ると たくさんの木があり たくさんの木が曲がっている。 何かに矯正されなくても 思うように 生きるために伸びる。 その姿形がただ美しいと 人の心を打つときもあれば 商品にならないと 見向きもされないときもある。 私は どう伸びたいのか。 人生の半分はすっかり世間というものに矯
受け取る相手も得ず 投げる。 いろいろな事が気になりはしないか。 投げる様や 投げるものの状態や 投げた後のことや 投げるために使う力や体。 自分を守りたくはならないか。 受け取る相手がいて 投げる。 もしくは 投げた後のことが想像できて 投げる。 または 投げずにはいられない理由を纏った衝動が 投げる行為を許す。 投げようか 投げまいか。 思惑と行動の間に 果てしない距離がある。 何故なら 相手が見えないし 体は疲れるし 嬉しいことが起きるかどうかも分から