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法制審議会家族法制部会第30回会議議事録読む4~久保野幹事・青竹幹事・窪田委員・落合委員

報道へのリアクション続々ね

大学生たのもしいし

さて議事録を読む

○久保野幹事 

 幹事の久保野です。石綿幹事には、ありがとうございます。
 親権というのが、まず、子を保護養育していくために、人格面、財産面、両方にわたって基本的に親に与えられたものであり、日本法においては、親が権限を有し、広い裁量を有して、その実現を図っていくという立場を認められており、これが親権という権限や裁量というものとして構成されているわけですけれども、このような立場を親でない人には与えないというのが民法だと思いますけれども、親であれば必ずそういう立場に置いてよいかと考えたときに、そこは区別するというのが、まず基本発想としてあるのだと思います。少し遠回りのお答えの仕方をしていると思いますけれども、御容赦ください。
 別の言い方をしますと、父母であるかどうか、ある子と父、ある子と母という関係があるかどうかということ自体は、今言ったような意味での親権を与えて、きちんと育てていく地位を与えていいかということとは差し当たり切り離して民法の世界では設定し、親子というのは親権を持つというのとは区別してそもそも見ているという発想を、当然の前提として見てしまっているところがあります。親権を持つのにふさわしいから父とか、親権を持つのにふさわしいから母といったような形で、父子関係とか母子関係というのを法というのは考えてはいないのだろうと思います。
 その上で、しかし第1のような話をしますと、そこを区別する意味というのが見えにくくなるというのは、確かに御指摘のとおりだと思うのですけれども、連名の資料でいいましたときの5ページに、例えば、親子であるから持ち得る権利義務といったようなものが書いてあったりですとか、あるいは、例えば氏がどう決まるかですとか、相続関係ですとか、親子であるということに結び付けられた権利義務というのが多くありますので、まずここを区別するというのは大前提になっている発想だと思っております。
 その上で、今回の第1のような形である種、親権者が負うであろう義務と類似のものを親子について重ねて規定する意味については、それ自体、正に議論に値すると思っていまして、後で発言しようと思っていたのですけれども、この中には親子の義務として書くことが適当かどうか議論しなければいけないものが入っていると個人的には思っているものですから、第1の提案に即して区別の意義を明確に説明できないことをお許しください。
 その上で、また少しお答えとずれるかもしれないのですけれども、先ほど、親というものがあり、親権というものがあり、更に監護というもの、三層にわたって規律するのはどうかという御指摘もあったと思うのですけれども、そこは正に論点かと思っておりまして、実は民法の解釈としましては、親権につきましても帰属というものと行使を分けた方がよいという組み立てを主張する学説や外国の立法例もありまして、様々な場面があり、100%権利義務を持たせる者と、少し制限した方がいい者、基本的には制限したらいいけれども、およそ親子ではなくなるかのような、他人と同じようなところまでは行かせてはいけない者といったような様々な状況を想定しましたときに、何層で概念を構成するのがよいかということが、それ自体問題になるということだと思っております。
 今回の部会の案は、親子と親権と監護の三層になっていますけれども、これは例えば、見方によっては親子と親権だけでよく、その親権について帰属と行使と分けてもいいのではないかといったような可能性もあると、そのような構造になっているかと思います。
 すみません、分かりやすいか分かりませんが、まずは以上、お答えとさせていただきます。
○大村部会長 民法学者が持っている暗黙の前提が多少含まれていたので、落合委員には十分に御納得できないところもあったかもしれません。
 青竹幹事、どうぞ。

三層構造?!

○青竹幹事

 落合委員から、親権と親であることから生じる義務について分ける意味ということについて御質問いただきまして、このような御質問を想定しておりませんでしたので、気付かされるようで、どのようにお答えするとよいか、難しく感じております。石綿幹事、久保野幹事がおっしゃったとおりですけれども、連名で出しております資料に基づいて説明させていただきますと、親であることから生じる権利義務の、その一つの側面を見て親権と見ています。親としての権利義務のうちで身上監護と財産管理についての権利義務について親権と呼んでいますが、その親権については、単独で親権を行使する場合があります。そうすると親権を行使しない親というのが現状でも生じており、親権を行使しない親についての権利義務は何かというところで混乱が、現在生じていると思います。
 親権を行使しない、非親権者なので、扶養義務その他を負わないのではないかという誤解、養育費の不払いにつながるような誤解を解くために、やはり親権と別に親としての権利義務というのを新たに明示した方がいいのではないかということを連名の資料で説明させていただいております。
 すみません、あまりうまくお答えできていないかもしれませんけれども、以上になります。
○大村部会長 ありがとうございます。
 窪田委員からも手が挙がっているので、続けてどうぞ。

混乱?!誤解?!

○窪田委員

 すみません、もうこれまで出てきていたことかもしれませんが、少し私自身の理解でお話しさせていただければと思います。
 落合委員から出ていた疑問というのはある種、もっともな疑問で、第1のところにいろいろなものが盛り込まれたら、親権については一体どうなるのだというのは、そのとおりなのだろうと思います。
 ただ、第1に関わる出発点はもう少しシンプルなものだったのではないかと理解しています。なるほど親権というのは、親である者が全て親権者になるわけではない、そもそもこどもがもう成年に達していれば親権という概念はないわけですから、未成年のこどもに対してのみ成り立ち得る概念である、と。その親権というのは、なるほど義務なのか権利なのかというと、多分両方ともの側面があって、これは石綿幹事からも御指摘がありましたけれども、こどもを養育して育てていく、身上監護をする、財産を管理するという義務ではあるけれども、同時に幅広い裁量が認められており、他者からは介入されない、あるいは国家から加入されないという意味では、やはり権利としての側面を持ったもの、これが親権というふうに構成されてきたのだろうと思います。
 ただ、今回も後ろの方で出てくる養育費の問題等をめぐる中で、親権者ではない親というのがこどもの養育にどのような責任を取るのかというのが、少なくとも現行法においてはあまりはっきりしていませんでした。しかし、親権者ではなかったとしても、親である以上、養育をするということは求められるのではないか、その点についてきちんと書こうというのが、恐らく第1の議論の取っ掛かりだったのではないかと理解しています。
 そういうふうに考えると、落合委員から御質問がありましたけれども、第1と第2の切り分けというのは比較的簡単にできるのかなという気もします。ただ、落合委員からの御質問が出てくるような背景としては、(注1)の中で扶養義務の話だけではなくて、ほかにも非常にたくさんのことが入っております。これは気持ちとしては分かるのですが、入ってくれば入ってくるほど第2の親権の話との区別が付きにくくなっていくということなのではないかと思います。
 また、様々なものがあるといっても、父母が子の心身の健全な発達を図らなければならない、その子の人格を尊重するといったものと扶養義務を負うというのは、実はかなり性格の違うものなのではないかという気もいたします。また、扶養義務を負うということに対しては、扶養義務を履行するための権利というのを観念してもいいのかもしれませんが、比較的義務として純化した形で規定することができるようにも思います。
 そういう意味では、落合委員からの御質問に答えるという以上に踏み込んでしまっているかもしれませんが、第1の内容を少し整理した方がいいのかなという気はしながら、全体のお話を伺っておりました。
 私からは以上です。
○大村部会長 ありがとうございます。皆さんから御説明を頂いたので、もう付け加える必要はないのですが、最初に落合委員がおっしゃったこととの関連で少し補足させてください。精子提供者にはもう親子関係はないから、全く関係ありませんと、今は整理していると思います。落合委員はそれでよいのだろうかという問題意識を持たれて、先ほど発言されたと承りましたが、問題の切り分けについては御理解いただけるものと思います。
 そのことを前提にして、では、法的に親となった人たちのうち、親権を持つ人の権利義務とはどのようなものであるべきかということを議論してきたわけですが、そうすると、法的な親のうち親権を持たない人はどんな地位に立つのか。この点につき、親権者には権利義務があるのだけれども、親権のない親については義務もないといった理解が生じているのではないか。そうではないのだということを明示する必要がある。
 では、明文の規定を置くとして、そこに盛り込むべきことについていろいろなことが書いてある。そのように、いろいろなものを盛り込んでいくと、それじゃ親権に近付いてしまって、親権がある場合ない場合の差が見えにくくなるのではないか、これは直前に窪田委員がおっしゃったことかと思います。基本は、親権を持っている親と持っていない親と二つに分けた上で、しかし、親権を持たない親には何もないということではない、ということを第1のところで表現したいということなのだろうと思います。
 皆さんがおっしゃったように、一定の経緯の下で、親権を持っている親と親権を持っていない親が区別されてきています。もちろん、概念の立て方を変えてしまえれば、様々な違った考え方があり得るのですけれども、従来の考え方から出発するとこういうことになるのではないか、皆さんの説明はそういうことなのだろうと思います。
 それから、監護についても、明治民法の下で、離婚後、親権者が父だと困るでしょうということで、母を監護者にすることを可能にしたという経緯があります。そういうことがあるために、親権と監護とが切り分けられた形になっているのですけれども、これも、白紙から制度を作るということであれば、そうした区別をしないという考え方はあり得るわけなのですけれども、従来の経緯を踏まえて区別がされているというわけです。まだ御疑問があろうかと思いますけれども、もし何かあれば。

3巡目にして大切な議論を初めて?

○落合委員

 では、一つだけ。いろいろありがとうございます。私はここに法学者ではない国民を代表して参加しているようなつもりでおりますので、あえて聞かせていただきました。親権という概念は、親権がない人がいてこそ意味を持つようなところがありますよね。今、親権がない人を減らしていくかもしれない改正をするかもしれないわけですよね。それと、親一般の権利というのを一方で定めようとしている。そうすると、この二つが似たものになってくるだろうなという危惧があって、質問を致しました。
 仮の話ですが、思い切って整理して、親権概念はもうなくして、親一般が持っている権利と、あとは監護権だけにするなどというのは、分かりよくないですか。監護権というものの中に財産管理をどうするかとか、あると思いますけれども、でも、三つより二つの方が簡単ではないかと思ったりしました。また、監護という言葉は養育と言い換えては駄目なのですかということも、もう一つ言いたかったことです。戦前っぽさを払拭するなら、この言葉遣いも変えてもいいような気もします。不都合なのなら、また教えてください。
○大村部会長 ありがとうございます。今御指摘があったように、三つあるものを二つにするということは概念上は可能なことなのだろうと思います。親だけにするとおっしゃったのですけれども、全部親権者なのだと整理するというのも同じことになるだろうと思います。この場の議論では、親権が共同行使されるべき場合が従来よりも増えるとしても、しかし単独で親権を行使する場合は依然として残りますので、そうなると、親権を持っていない親はどうしても残るということになる。用語をどのようにするにしても、その差を前提にして、親権を持たない親の権利義務ということをやはり書く必要があるのではないかということなのだろうと思います。
 その上で、御指摘を頂いたのを踏まえて、従来の概念整理を大きく乱すことは避けつつ、同時に、落合委員が気にされている、概念がたくさんあって国民にとって混乱が生ずるのではないかという懸念を払拭する、この二つの要素を調和させる形で、最終的な規定に落とし込んでいくということなろうかと思って伺いました。
 今日のところは、子との関係での父母の責務を明確化するための規律を整備するものとするということが、書かれているだけですので、具体的にどういうことになるのかという点は、(注1)、(注2)を含めた形で、今日、皆さんに更に御意見を伺って、事務当局の方でより具体的な案を出していただき、その際にまた皆さんの御意見を頂くということになろうかと思っております。そんなところでよろしいですか。ありがとうございます。

親権廃止論?!監護権→共同監護、なじむかもねー

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