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法制審議会家族第34回会議議事録読む4~佐野幹事・原田委員・向井幹事

共同親権が止まらない

面会交流の問題は簡単には事情変更を認めないことだってあると思う

社説はいろいろ続く

議事録読んでいく

○佐野幹事 

幹事の佐野です。まず、1の先ほどから議論になっている①の急迫の事情のところなのですが、裁判手続を待っているいとまがない場合を含むというのは、通常、保全でも2、3か月掛かっていますので、一つの考え方だとは思うのですが、やはりその文言だと時間的な切迫性というもののみを一般的には想起してしまうというところがあります。審判手続を父母が同居したまま相争っているということ自体が、子を葛藤にさらすことになり、こどもの利益を害するといったような場合も入ってくるのかという点を踏まえて、この文言でいいのかということを思案しております。適当な対案が思いついていないのですが、この文言では、そういう事案が含まれなくなる不都合もあるのではないかということです。
 あと2番目は、たたき台の方の1(3)についての5ページ以降、補足説明のところに関わる点です。先ほど赤石委員の方からもお話があったのですが、「特定の事項」をどういった範囲で設定するのかというのは、具体的に争われている事項によってくるものと思っているのですが、1点確認しておきたいと思いました。例えば、婚姻中でも離婚後であっても、居所指定権の行使者だけ決めれば済む事案と、その居所から進学すること、最近は特別支援教育を受けさせるか、受けさせないかとか、そういったところも含めて争われる可能性があるために、むしろ監護者指定まで必要な事案もあるのではないかと思っています。
 また、DV、虐待事案などでは、特に精神的なDVの場合には、別居をした後でも加害者とコミュニケーションすること自体が安全性に懸念を生じさせるというような場合もあって、DVでは親権停止は認められませんので、被害親を監護者と指定すべきという場合もあるのではないかと思われます。その場合、離婚後であればたたき台の3(2)で一応、監護者指定というのがあるのですが、婚姻中別居の場合には、その類推適用によって、今の実務と同様、監護者指定が認められる、裁判所によって、その権限の広さ、範囲が適宜選択されるという理解でおります。
 それから、2(6)のところなのですけれども、これも理解の確認なのですが、そもそも出発点としては、双方共同でこどもに関わる決定をしていこうという意向をもっている元夫婦が、離婚後もこどものことについては共同して決定していくというのがこどもの利益になるというコンセンサスはあったかと思うのです。ただ、私たちが見ているような紛争、高葛藤のケースなどについては、そもそも高葛藤状態が継続するということ自体がこどもの利益に反するということは、菅原委員などからも最初から指摘されていたところかと思います。そういう意味でいうと、裁判手続で共同親権にするかしないか争っているケースというのは、ある意味、事実上の推定、相争っていること自体、共同親権にするのが望ましいのかという点ですでに疑問が生じているということになるのではないでしょうか。したがって、それでも裁判所が共同と定めるのであれば、共同とすることがその害を上回るほどのこどもの利益になるということにつき、積極的に説明される必要があるのではないのかと思います。
 さらに、今回の資料の10ページのところで、共同から単独にするということについて、その一方の親権を制限するという意味で親権制限の諸規定を踏まえた検討が必要とあるのですが、それに関連しては、第三者監護のところでも申し上げましたとおり、自分で親権を行使してこなかったというか、積極的に責任を果たしてこなかったようなケースについて、親権制限するということに非常に消極的な実態があるのではないかと考えております。そういう意味では、親権というのがやはり「親の権利」というところに引きずられているのではないか、こどものための養育をするべき責任というところを果たしてこなかったケースに親権制限がなかなか適用されないという実態を検証した上で、共同親権における議論においても、親権制限の諸規定を踏まえた検討というのを考えるべきではないかと思います。
 それからもう1点、裁判離婚で裁判所が共同親権を定めるという場合、職権で、監護者を裁判所が定めなければいけないという状況が出てくるのではないかと思います。人事訴訟法の第32条は当事者の申立てが必要となっていますので、裁判所が職権で定めることができるというような規定が必要になってくるのではないかと思います。
 最後に、父母以外の監護者指定ですけれども、先ほども申し上げたように、長期間にわたって親権を行使してこなかったケースに親権制限が認められにくいという実情を踏まえ、私たち弁護士委員からは、従前の監護状態を継続するというような内容で提案をしております。こういった事案でも適切に親権停止が認められればよいのですが、消極的な濫用というところが親権制限の対象とされにくいという実情を踏まえると、やはり現状では監護者指定が必要だと理解しています。
○大村部会長 ありがとうございます。佐野幹事からは1、2、3それぞれについて御意見を頂きました。それで、今回ゴシックになっているところとの関係でいうと、1の急迫の事情については、それに収まりにくい場合があるのではないかという御指摘を頂いて、それは、少しこれでは狭いのではないかという御意見なのかと思って伺っておりました。それから、親権制限の運用について触れておられましたが、それは3との関係で、第三者の監護者指定を認めるべき場合があるのではないのではないかという方向の御意見につながると理解を致しました。それから、特定の事項ですとか、あるいは2②に出てくるような場合の取扱いについて、佐野幹事の御理解や、あるいは裁判所の運用についての御意見を披露されたと受け止めさせていただきました。ありがとうございます。

監護者指定は廃止しないといけないことがむしろよくわかる
弁護士の発想、ヤバイ

○原田委員 

委員の原田です。やはり急迫の要件のところなのですが、この説明では、裁判所の判断を持てない場合と協議できない場合ということが急迫の要件とされていますが、弁護士同士で議論したときに、急迫というのはやはり時的な急迫性ということが最も感じられるということです。つまり、急迫という言葉はどうしても時的な切迫性とか、そういう印象を拭えなくて、私たち実務家からすると、すぐに頭に浮かぶのは正当防衛の急迫不正の侵害です。これは刑事だから違うとは言われますが、刑事の分野でも、例えば長年暴力を受けていた妻が、酔っぱらって寝ていた夫を殺害した事案では、正当防衛は認められていません。また、先ほどお話がありました民法の借家人が修繕できる場合とか、越境した枝の処理などについても、これも時的な急迫性が要件になっていると思いますし、第698条の事務管理で責任を負わない場合というのも正当防衛と同じように論じられています。これは正しく、急迫というのは時的なケースではないかと思われます。
 しかし、懸念されているDVのケースなどは、これは何回も、佐野幹事もおっしゃいましたけれども、暴力が振るわれたときにすぐに逃げるというケースは少なくて、逆にそういうケースは、追い出されてしまってこどもを同行できないような場合が多いと思います。しかし、何か大きなことがあったり、もうこれは我慢できないというようなことになった場合は、相手の顔色をうかがいながら準備をして、休みのときとか相手がいないとき逃げるというケースが多いと経験上思っています。その場合も急迫と判断されるのかという問題です。このような準備期間には相手を怒らせないように最大限の注意を払うので、その期間は暴力がない状態があるということが多いです。また、DVは逃げようとする場合に最もひどくなるといわれていますので、離婚したいとか、別居したいとか、こどもを引き取りたいとかいう協議をすること自体にDVの危険があります。ですから、そのような協議などなかなかできません。そういう状態のときに、これは急迫要件に該当するとは思えないというのが弁護士会内で議論したときの意見でした。精神的なDVとかモラハラのケースでは最も顕著だと思います。ですから、この急迫という要件は非常に危険だと私は思います。
 それで、やむを得ないとか必要性、相当性というのが駄目であれば、これは仮の提案なのですけれども、父母の協議や裁判所の判断を経ていては子の利益を害するおそれがある場合というのも、具体的にこれを書くのも一つの考え方かなと思います。これは、まだほかの方の意見も十分伺って練る必要はあると思いますが、そういうふうに具体的に書くというのも一つの案かなと思います。
 それから、親権の指定の判断枠組みの件なのですけれども、双方が親権者であった従前の状態を継続するのか、一方の親権を制限する状態に変更するのかという判断をするものと捉えることもできると11ページに書いてあります。これまで単独親権でどちらを親権者にするかという場合も、一方の親権を制限する理由があるかどうかではなくて、相対的に子の利益にとってどちらがいいかという観点で判断されてきました。その選択肢の中に一つ、共同がよいのか、父の単独親権がよいのか、母の単独親権がよいのかという選択肢が広がったという判断ができるのではないかと思います。少なくとも相互に協力扶助義務がある婚姻中とは異なるので、子の利益のためとはいっても、相互に協力できる関係ができずに共同とすることで子の利益を害する場合は、共同を排除する。しかし、子の利益を害するというのも程度問題ですから、一律排除という程度ではないにしても、共同がいいのか、父の親権がいいのか、母の親権がいいのかという中から、どうしたら子の利益に資する養育環境を確保できるかということを裁判所が判断するということではないのかと思います。そこで、その意味を表すものとして、ここでは、またではなくて、この場合においてということを使用してはどうかと思います。
○大村部会長 どこをおっしゃっているか、具体的な場所を示していただけますか。
○原田委員 2(6)のところで「また、父母の双方を」と書いてあるところを、最初の4行目の後、この場合においては、このときは排除しますよと、だけれども元に戻って判断しましょうねという考え方です。
 それから、監護者指定の問題は、私たちの中では池田委員が言うとおっしゃっていたように思ったのですが、本日配布されたオーストラリアの制度というのは、顕在化した問題点を事後的に修正してきた結果、到達した地点を表したものだと思うので、やはりこれに学ぶべきだと思います。もちろん、だからといって共同親権や共同養育を廃止したわけではないということは承知しています。しかし、従前も申し上げましたけれども、新しい制度を作るに当たっては、理念も重要ですけれども、それが実現した場合にどうなるのかということに配慮して、問題が生じにくい制度にする必要があるのではないかと考えます。日常行為について双方が単独で行使できるとされているのですが、前に説明を聞いたときには、実際に監護している状況で行使できると聞いたように思ったのですが、昨日改めて伺いましたら、行使できる場合の制限がない、重複したり早い者勝ちにならないためには監護者指定をするしかないというふうなことを説明で聞いたので、それでは間に合わないのではないかと思います。
 もちろん一律に例外なく決める必要があるのかという御意見は、理解できないわけではありませんが、実際には共同できる関係があれば意思決定は共同で行いますけれども、決めていない場合に、監護していない親が勝手に行った場合は取り返しが付かないことになります。一律に例外なく決めた場合のデメリットと、決めない場合のデメリット、それはイコール子の利益や不利益に直結するもので、その比較衡量ではないかと私は考えます。
 また、もめた場合に監護者指定すればいいではないか逆に、監護者が濫用した場合も監護者の変更をすればいいと、そういう双方の関係があると思うのですが、実際に裁判の手続を待っていては間に合わないという点はどちらの場合も同じです。そうすると、実際に監護している親と実際に監護していない親の考えのどちらを優先する方が子の利益に合致する場合が多いかということを考えると、実際に監護している親の意見を優先する方が子の利益に合致する場合が多いのではないでしょうか。そうすると、一律に例外なく決めておいたとして、それが駄目な場合は変更するとか、あるいは、それがあっても、双方の関係がよければ双方で話し合って決めるということができるということであるので、一律に例外なく決めるということにそれほど大きな問題はないのではないかと思います。私は理念を優先するよりも、そう決めた場合にどんな問題が起こって子に不利益が及ぶのかということをもっと考えるべきだと思います。
○大村部会長 ありがとうございます。原田委員からも1、2、3について御意見を頂きましたが、1については、急迫の事情でない別の案はどうかということで御提案を頂きました。より具体的なとおっしゃったけれども、それがより具体的かどうかというところについては、ほかの委員、幹事の御異論があるかもしれませんが、御意見として頂戴いたします。それから、今日出ているところではないですけれども、資料の6ページの囲みの中の2(6)の文言を直してはどうかという御提案を頂きました。それから、3については(1)は必須にするという意見を支持されるということをおっしゃったかと思います。(2)は、これは池田委員の御発言に委ねるということですね。
○原田委員 多分言われると思っていたので。
○赤石委員 聞き取れなかったので、最初の急迫に代わって何を御提案したのか、もう一度おっしゃっていただけると。
○原田委員 4ページの2の3段落目の、他方で、父母の協議や家庭裁判所の手続を経ていては適時の親権行使をすることができずその結果として子の利益を害するおそれがある、というところを具体的に書いたらどうかということです。
○赤石委員 ありがとうございます。すみません、突っ込んでしまって。
○大村部会長 それで、次にウェブの方で最高裁から手が挙がっているかと思いますので、最高裁まで御発言を伺って、そこで一旦休憩したいと思います。

監護者指定に頼りすぎてしまったのね
廃止すべきである

○向井幹事

 幹事の向井でございます。最高裁からは、先ほど佐野幹事から監護者指定の関係で、協議で話が付かない場合には裁判所の方で必要な限度、範囲で監護する者を決めるような御発言がありまして、恐らくこれは監護の分掌についてお話ししていたのかと思いまして、これについて裁判所としての意見を述べたいと思います。また、赤石委員からも特定事項についての親権行使者に関し、特定の事項の粒度、どれぐらい細かくするかというところについてお話がありましたが、これについても裁判所からの意見を申し上げたいと思います。
 まず、部会資料34-1の15ページの(3)や16ページの(注)のところには、監護の分掌について、子の監護を担当する期間を父母で分担するというものと、監護に関する事項の一部を切り取って父母の一方に委ねるという、この二つがあり得るという説明がされております。このうち後者の点、すなわち一定の事項を区切って父母の一方にその権限を委ねるということに関しては、16ページの(注)にも記載されていますとおり、父母間で現実に紛争となっている特定の事項につきましては、たたき台(2)の第2の1の(3)の特定事項に係る親権行使者の制度によることになると思います。
 そうすると、仮に監護の分掌として事項を区切って権限を委ねるということを定めるとすると、例えば、いまだ紛争にも至っていないような将来の子の進路選択を含めた子の教育全般みたいな形で、相当に包括的、抽象的で現に紛争化していないものの分掌に限られると思われますけれども、父母双方を親権者として、双方がこれから子の養育の重要な事項について関与していこうというときに、そうした包括的で抽象的な権限をあらかじめ一方に委ねておきたいというようなニーズがどれぐらいあるのかということについては疑問があります。
 また、いまだ意見対立も具体化していないにもかかわらず、父母のどちらに教育全般を委ねることがよいかといったことを裁判手続で争おうとしても、紛争化していないがゆえに、当事者においてどのような具体的な主張立証活動を行えばいいのかということもなかなか分からないでしょうし、そもそも第2の1(3)の特定事項についての親権行使者の制度であれば求められる特定性ないし必要性を欠くような抽象的なことを裁判手続で定めるというのは難しいのではないかと思われます。
 そうすると、監護の分掌をどのように定義するかにつきましては、一定の事項で区切る方を監護の分掌というのではなくて、子の監護を担当する期間を父母で分担するという、こちらの方だけを指すと定義することも可能ではないかと、一定の事項を区切るということにつきましては、調停で抽象的なことまで含めて合意をするということはできるにしても、審判で争うといった場合には、具体的なもののみを特定事項の親権行使者を決める制度で定めるというのがよいのではないかと考えております。
 仮に、そうではなくて、監護の分掌にはやはり一定事項を区切って、父母の一方にその権限を委ねるというのも含まれると整理するのだとすると、たたき台(2)の第2の3(2)のゴシックの本文に、裁判所に判断を求める手続としては特定事項の親権行使者の制度を利用する、ということを明確にしていただくような規律を加えるようにしていただかないと、利用者としても裁判所としても混乱するのではないかと思います。
 また後ほど意見を申し上げるかもしれませんが、差し当たり以上でございます。
○大村部会長 ありがとうございます。先ほどの佐野幹事、あるいは赤石委員の御発言との関係で、特定事項をめぐる判断の在り方について、向井幹事のお考えをお示しいただいたと受け止めさせていただきます。
 まだ御意見があると思っておりますけれども、先ほど申しましたように、15時に近付いておりますので、少しここで休憩いたしまして、休憩後に改めて残りの御意見を頂戴したいと思います。今、15時2分前ですけれども、15時10分まで休憩したいと思います。では、休憩を致します。
 
          (休     憩)

監護の分掌すなわち監護時間の分担協議?!

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