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法制審議会家族法制部会第26回会議議事録読む8~赤石委員・戒能委員・小粥委員・石綿幹事・佐野幹事・窪田委員・武田委員・沖野委員・池田委員・向井幹事・水野委員

 

議事録読んでいるところ

なんか変化を感じつつね

さて

○赤石委員 

しんぐるまざあず・ふぉーらむの赤石です。私も2の点について、父母の一方を子の監護をすべき者とする旨の定めをすることは一律に要求しないという、試案の中のA案でなくてB案で行くということが書かれているわけですが、私も池田委員と同様に、やはりこれは監護者の指定をすると取り決めた方が現実的ではないかと思っております。先ほど、婚姻中と離婚後ではやはり共同親権の在り方が違いますよねというところで、どういうふうに違うのかということを規定するのかと、なかなか私も、これがいいのかどうかというのはまだ迷うところではあるのですけれども、いろいろな事案で紛争が起きる可能性があるときに、やはりこどもの生活を安定させるためには、どちらかが監護者になっているという方がこどもの利益になるのではないかと。
 ただ、これだけ真摯な合意がある場合については、もちろんこどもの監護を一時的に担っていくということはあり得るし、それをやるだけの信頼関係があればいいとは思いますけれども、法律的に両方が担うということを定めてしまったときの不利益の方がすごく大きいような気がしています。
 例えば、先ほど佐野委員がアレルギーのこどもに、卵アレルギーがあるのよと、それが分かったから卵は食べさせないでねと言っても、卵は食べさせなくても、卵を原料にするケーキですとか、いろいろなこどもが欲しいものがあるのを、それをきちんと分かってやっていただけるのかとか、面会交流のときのいろいろなつらい話を聞いていると、やはりなかなか厳しいという感じがしております。例えば、この子は早寝早起きにしようねとか、ゲームの時間をどうするとか、本当に日常的なもの、膨大なものがあって、それを監護している側のときには日常的な行為を全部決めますということが、武田委員がおっしゃって、それは理想として、そこには協力関係があればできるとは思うのですけれども、実際のところはかなり紛争の余地を作ってしまうというふうに、何を言っているのだ、お前は心配性なのだみたいな、いやそうではなくてみたいな、いろいろな話が出てきそうな気がして、とても恐ろしく思っておりまして、そこの辺りは離婚後の共同親権の在り方としては、やはり私は監護者を指定した方がいいと感じているところです。
 取りあえずは、居所指定はないので、以上です。
○大村部会長 ありがとうございました。赤石委員からも池田委員の考え方に賛成であるという御意見を頂きました。共同でうまくいくときにどうするのかというところについて、赤石委員は少しちゅうちょしておられて、池田委員もそこは少しちゅうちょしておられたのではないかとも思いますけれども、その辺りがどうなるのかというのは後の問題なのかもしれません。戒能委員、どうぞ。

監護者指定必須は非現実

○戒能委員

 お二人の意見に賛成であるとする結論です。それで、やはり監護の重要性、監護者の重要性というのをもう一度確認する必要があると思っております。それで、例えば重要事項の判断をするときにも、やはり日常的に生活を共にしていて、そこで全部分かるわけではないかもしれませんけれども、やはりこどもにとって何がいいかということを把握するための条件というのはあるのではないかとは考えております。
 それで、もちろん十分な合意があって協力ができるという、ただ、これは今日は議論しないそうなのですが、真摯な合意の形成というところでいうと、余り割合は残念ながら多くはないということです。でも、一定程度いらっしゃるわけですから、そこは考える必要があるとは思っているのですが、ただ、資料26の補足説明の中に、16ページを見ていただきたいのですが、こういう考え方とは違うのではないかと少し違和感を持ちました。それは、2段落目なのですけれども、またのところで、日常的な行為や緊急行為については単独行使を認めるとすれば、監護者の定めをしなくても実際上の不都合が生じないと、不都合とは何だろうとかと思ってしまったのですが、そういう考え方でいいのかということがあります。
 それから、もう一つ、今日の資料には出ていないのですが、実はパブコメで提出されました中間試案の補足説明という分厚いものがございました。それはその何回前かぐらいに突然出てきて、本当にびっくりしたのですけれども、後で御覧ください、27ページに、ほかの考え方があるということで括弧書きの中に入っているのですが、監護者の定めを禁止する考え方というのがあるとき突然出てきて、パブコメ用の補足説明にも生き残っておりました。これは禁止するというような非常に強い表現をしておりまして、そういうことを考えているのかと非常に驚いたわけです、禁止するとかそういうレベルの問題なのか、それには反対をしたいと思っております。
○大村部会長 ありがとうございます。戒能委員の御意見は、池田委員や赤石委員と基本的には同じ方向だと承りました。最後の話は、今回それが提案されているということではないので、ここでの議論の外の話かと思いますけれども、そういう考え方に反対だという御意見は分かりました。その上で、他の2人の方もそうかもしれませんけれども、基本的にはやはり監護者を指定しないとうまくいかないのではないかという御懸念をお持ちで、監護者指定をベースにすべきではないかというお考えだと受け止めました。その上で、うまくいく場合もあるかもしれないけれども、それは少ないのではないかと戒能委員はおっしゃっているということだと理解を致しました。

このシリーズが続く

○小粥委員

 委員の小粥でございます。池田委員を始め赤石委員、戒能委員の御懸念も理解できるつもりでございますけれども、このゴシックの2(1)の部分は、監護者の定めを一律には要求しないと。池田委員のお話は、基本的には一律に要求するという方向ではないかと思いました。しかし、両方で監護していくということも選択肢として全く認めないというような提案になるとすると、それは逆の意味で禁止ということにもなるのでありまして、少しこれはこれで狭量にすぎるのではないかと思うわけです。そういった選択肢を残しておくということは、私自身は有益なことではないかと思いますが、ただ、御懸念も私自身も共有するところでして、その問題は、今日の議論の対象からは外れるということですけれども、3の離婚後の親権者の定めの変更の仕組みというところに関連する問題として、離婚後の監護者の定めの変更の可能性なども併せて検討することによって合理化することはできるのだろうと思うのです。なので、現時点でゴシックの2(1)で、一律に要求しないということで選択肢を残すということの方が、私自身は相対的にはよいのではないかと思います。
○大村部会長 ありがとうございます。小粥委員からは、今までの3人の方々の御意見は理解できるけれども、監護を共同で行うということを禁止することになり、それは問題があるのではないか。やってみたけれどもうまくいかないという場合はあるだろうけれども、監護者の定めを変更するといった対応も考えられるのではないか、こういう御指摘だったかと思います。

監護者指定必須は不可能だからね

○石綿幹事

 幹事の石綿です。小粥委員の御発言と重なる点もありますが、発言させていただきます。子の監護をすべき者を一律には要求しない今回の御提案はあり得る考え方だと思います。赤石委員らが示された御懸念のとおり、うまくいかないケースがあるというのは、確かにそうなのかもしれませんが、ということではあるかと思いますが、小粥委員が御指摘なさったのと重なりますが、うまくいくような家庭というのもあるかもしれないので、そのための道を開いておくということは一つあり得るのかもしれないと思います。
 子の監護をすべき者を定めない場合でも、子の居所というのは父母の一方の下に定めることはできるのだと私自身は理解しておりますし、恐らくそのようなことなのだと思います。要するに、監護者を定めずに、父母双方が事実上の監護を分担しているケースと、監護者を定めず、父母一方の下で監護を行うというケースがあるのだと思います。後者のようなケースであれば、実際に子を監護している親が日常の行為等については決定をしていくということになるのだと思うので、問題はそれほど生じないというふうになるのかと思います。問題は多分、前者のような、要は監護者を定めず、かつ父母双方が事実上監護を分担していくということなのだと思いますが、前者のようなケースについて、うまくいく家庭もあるかもしれないということで、道を開いていくということもあるのだと思いますし、また、どのような場合ならば監護者の定めをしなくてもよいのか、うまくいくのかというようなことをある程度、指針等、考え方を示していくという形で、一定の対応が可能になるかもしれないと思っていますので、現状でこの考え方をあり得ないという形にするのは少し早急かなと思います。
○大村部会長 ありがとうございます。石綿幹事も基本的には小粥委員の御指摘の点が重要なのではないかということで、うまくいかないという御意見があるのだけれども、うまくいくとしたら、それはどういう場合なのかということをもう少し議論する必要はないかという御指摘を頂きました。

○佐野幹事

 幹事の佐野です。私は、一律定めることを要求しないという意味では、賛成ということにはなるのかもしれません。ただ、やはり監護者を定めないということを認めるのだとすると、最終的に監護の方法とか、いわゆる766条に書かれている事項を決めることが協議離婚の場合の条件にならないという前提で考えると、これは監護者も親権者も何も決めずに協議離婚ができるということを認めることになってしまうものにならないかと懸念します。
 問題は、確かに監護者を定めなくても適切に監護できる夫婦もいるかもしれませんが、他方、子について何も決めない、親権者も監護者も何も決めないという合意、これが合意なのかよく分からないですが、そのような合意をもって離婚してしまう夫婦をきちんと峻別をするゲートがない点にあると思います。したがって、もし監護者を定めない離婚を認めるのであれば、監護者の定めをしない人たちには、例えば家庭裁判所に行ってもらって、父母の教育の仕方、決定に関して一貫性を持てないなど齟齬が生じるような場合には、その監護方針を最終的にどうやって決定するのかとか、あるいは事実としての監護教育をどういうふうに行っていくのか、あるいはその調整方法などをきちんと決めて、第三者に実現可能性を確認してもらうといったシステムにしなければ、こどもの生命・生活の安全が図れないと思います。特に乳幼児は、1日24時間を構成する瞬間瞬間につき、誰がこどもを監護するのかという点、誰かが全責任をもって指揮指令していかなければ、そのこどもの生命の安全に関わります。そういう意味では、監護者を定めないことを、合意さえあればどの離婚夫婦にも認める制度となると、こどもの生命や生活にとって、危険な制度になってしまうのではないかと思っています。
○大村部会長 ありがとうございます。佐野幹事からは、一律に要求しないということだとして、監護者を定めないという場合については手続を加重して、きちんとした結果が出るということを保証する必要があるのではないかという御意見を頂いたと理解を致しました。少し分からなかったのは、何も決めないで離婚する夫婦が出てくるだろうといったことをおっしゃったのですけれども、それはここでは想定されていないように思いますが。
○佐野幹事 今であれば、少なくとも単独親権者を決めれば、単独親権者として子の監護者、すなわち離婚後、子の監護養育に責任を持つ人を決めることが、少なくとも離婚には必要不可欠とされていることになります。それが、共同親権で監護者を決めないことを認めた場合、双方が監護責任を自覚する場合ももちろんあると思いますが、他方、離婚後のこどもの養育について誰が責任を持つのかを一切明確にしないまま、親の合意のみで離婚することが可能になってしまうということを懸念しているということになります。
○大村部会長 ありがとうございます。これはずっと議論されている、合意の内容をどうするのかということをどう考えるのかということとも関わってくるのだろうと思います。共同親権とするということだけを真摯に合意すればいいのか、監護について何も定めないのならば、そこについてもきちんと合意をしなければいけないということなのか、さらに、佐野幹事がおっしゃったように、当事者の合意だけではない仕組みが必要なのかといった形で、合意をめぐる問題として議論をする余地があるのではないか、そういう御意見として承りました。

まーだから養育計画協議必須になるのよねぇ

○窪田委員

 委員の窪田でございます。結論から言うと、2のような形で、一律には要求しないということで構わないのではないかと思いますが、これまでと別の視点から発言させていただければと考えています。
 ここでいう監護者というのは、もちろん現行法をベースに考えているとは思うのですが、しかし、現行法の仕組みでは、もちろん親権者を更に監護者と定めるということは、規定上できないわけではないだろうと思いますが、現在の一般的な理解というのは、単独親権を前提として、親権者でない者が監護親となる場合に、その人を監護すべき者、監護者と定めるという形になっていると思います。つまり、親権を持っていないけれどもこどもを監護する人について、全く何らの権限もないというのではなくて、一定の法的地位を与えており、そして、恐らくその法的地位というのは、本来は別の親の親権に由来するものといったような説明をするのが一般的ではないかと思います。ここでいう、同居親が親権者ではない場合の監護者を定めるということには、その点で、非常に積極的な法的な意味があるのだろうと思っています。
 一方で、ここで問題となっているのは、両方ともが共同の親権という形で、親権者として既に権限を持っている場面です。その上で更に定める監護者というのは一体何なのかというと、実は現行法で議論してきた監護者とはかなり性格の違うものではないかと思います。これが1点です。
 先ほども触れた点ですが、現在の監護者の監護の権限というのは、恐らく他方の親権者の親権に由来するものだというふうな説明をされると思いますが、しかし、由来するとその分が本当に親権者からなくなるのかという部分は、必ずしも自明ではなくて、あくまで親権者は親権者でフルセットの権限を持っていて、しかし、それを委ねた部分について、監護者はその委ねられた部分についての権限を持っているという説明も可能なのだろうと思います。そうだとすると、(2)の身上監護に関する事項については、基本的に当該監護者のみが行うものにするというのは、多分、現行法からは当然には出てこない、一歩踏み込んだものなのだろうと思います。
 そういうふうにする必要があるのかどうかという点でも含めて、私自身は、先ほど原田委員からも御指摘があったのですが、1の方の、日常的な行為について父母がそれぞれ親権を行うことができるというのを、場合によっては、父母のそれぞれではなくて、同居する父母ができるふうにするというふうにいった場合には、実は同じことが実現できるのではないかという感じもします。つまり、同居親が必要なことは行うことができるのだ。そういった点も考えると、先ほどから出ている、一律には要求しないということによって生じる弊害というのは、全く理解ができないわけではないのですが、どうも法的な仕組みとしては、一律には要求しないという形で処理をしても一定の解決を得ることはできるのではないか、特に、1とうまく連携をさせることができるかどうかという議論はあってもいいのではないかと思いました。
○大村部会長 ありがとうございます。窪田委員からは2点御指摘を頂いたかと思います。1点目は、親権の共同行使ということになったときに監護者を定めるということは、現行法の監護者指定とは違う新たな制度を設けることになるということで、そこまでおっしゃったかどうかは分からないですけれども、むしろそのことが必要なのかどうかということ自体が問題になるといった御意見だったかと思います。しかし、先ほどの池田委員以下の委員の御発言の内容についても一定の理解を示されて、それは原田委員がおっしゃっていた、1(2)の①についての取扱いを修正することによって吸収できるのではないかといったこともおっしゃっていたかと思います。1点目は法理的な議論で、2点目は実際的な議論ということでおっしゃったと理解を致しました。

監護者指定廃止論も出てくるわけよ

○武田委員 

親子ネット、武田でございます。私の意見としては、26のゴシックの2の部分、基本的に賛同するものでございます。この記載をベースに詳細を検討していくのがよかろうと、そんなふうに思います。この監護者の定めについては、やはり1で日常的な行為、緊急の行為を父又は母は単独で行えるということを前提にすれば、必ずしも監護者を指定する必然性はなかろうというのが私の意見でございます。とはいいながら、決めた方がいいというよりも、逆に監護者を決めたい、きちんと指定したいという当事者も当然、私は存在すると思っていて、部会資料にも多様な価値観みたいな書きぶりもありますけれども、それを認める目的で、一律には要求しないという考え方がよいのではないかというのが私の意見でございます。
 もう1点、これは私ごとで恐縮なのですけれども、現時点で、私は同居親となって5年以上、経過しています。したがって、監護者指定が欲しければ、家裁手続を使えば、監護者に指定されると思います。子どもが戻ってきてすぐ、「武田さん、何で監護者指定しないの?」と当事者仲間からも言われました。しかし、今なお、監護者指定はしておりません。監護者として何らかの優越権を欲しいとかそのような考えはありませんし、そもそもそんな紛争を今更起こしたくもなかったからです。要はなにかひとつの権利の取り合いになれば、こどもにとって良い影響はないと思っておりますし、私は子どもが未成年の間は、基本的には監護の分担だと思っていますので、向こうにいるときのことは口出ししない、こちら側にいるときのことは、いろいろ言ってきますけれども、それも聞いています。その上で父母間で、どう考えてもこどもにとって不利益なことを私が黙認しているようであれば、当然それはそれで問題だと思いますが、そういった場合はきちんと父母間で話をすればよいことだと思っております。こういった個人の体験も踏まえ、結論として、必ずしも監護者を決める必要がないという意見に私は賛同するものでございます。
○大村部会長 ありがとうございます。必ずしも決める必要はないということですが、決めてもよいという点についてはいかがですか。
○武田委員 決められる方は決めて結構だと思います。
○大村部会長 分かりました。

監護者指定廃止論ではないスタンスね

○沖野委員

 ありがとうございます。委員の沖野でございます。私もこの2につきましては、今、原案といいますかゴシックで書かれているように、一律には要求しないという考え方が適切ではないかと考えております。
 監護者というのが、両方が親権を持っているときに、親権者であり、かつ監護者というのはどういう地位なのかというのも、少し分かりにくいところではありますけれども、監護に関わることについては、両方がこどもの養育に関わっていくという態度決定をしながらも、一方のみが持つと、そういう形で責任や決定の所在をより明確にしていくことが、むしろいろいろな紛争ですとか問題を減じられるのではないかということが、実務の経験を踏まえた知恵であると御指摘いただいたと思うのですけれども、しかし他方で、これも部会長が確認をされましたように、うまくいくときはないのかというと、それは多くはないけれども、あり得ますねということも留保として出されていたと思います。更に言いますと、現行法下の経験を踏まえてということですが、現行法下では双方が親権を持ってやっていくという制度はありませんので、そういう制度になったときにどういうことになるのかということは、やや未知数なところもあります。
 更に言えば、双方が親権を持つということが、正に真摯な合意というのがキーワードですけれども、それがあるならば余地を認めるということも考えられるのではないかというところの根底には、婚姻は解消したとして両方が親としてしっかりと協力していくというのが望ましいこともあるのだという考え方に立っているときに、その場合に常にそれは財産管理の局面のみですという制度設計をすることが果たして適切なのかというと、それはやはり適切ではないのではないかと思います。ですので、限定的な場合になるのかもしれませんけれども、およそその余地を封じるというのは、元々の発想からしても、適切ではないのではないかと思うところです。
 一方、例えば佐野幹事から言われました、きちんと決めないということへの懸念につきましては、これは、そもそも離婚の際には離婚の講座を受講してというような話があって、そこでしっかりと、何を考えなければいけないかというのは考えてもらうという仕組みを導入しようとしているわけですし、あるいは制度ができたときにはといいますか、それとともに、ガイドラインのような形で、こういうことを考えなければならないですとか、そういうことは決めましたかという確認の手法とか、その組み込み方は本当にいろいろ考えられるわけで、その懸念に対応するやり方が、およそ一切認めないというのは、やはり適切ではないのではないかと思っております。
○大村部会長 ありがとうございます。沖野委員からも、全ての場合に監護者を決めるということが果たして適切なのか、これまでの議論の大枠からすると、財産管理だけは共同で監護の方は単独ということにして、監護も共同で行うことを全く認めないのは整合的ではないのではないかという御指摘とともに、しかし、問題が生ずることはあり得るので、それに対する手当てとして複数の方策を講じておく必要があるのではないかという御意見を頂きました。

法律家の議論はスキ

○池田委員

 現状の認識について少し違いがありましたので、申し上げたいと思います。今、窪田委員、沖野委員から、両方が親権者であるときに一方を監護者と指定するということは想定されないというお話があったのですが、別居中の監護者指定というのは、恐らく両方が親権者で一方が監護者指定されるという場面として典型的に想定されるのではないかと思います。766条の類推適用で今、実務上行われていることですので、あることはあると思いますので、一言申し上げました。
○大村部会長 ありがとうございます。実務として行われているという御指摘ですが、それが当初想定されていたことなのかと、そこは意見が分かれるところかもしれません。
○池田委員 類推適用の実務は定着はしていると思います。
○大村部会長 分かりました。

実務が誤っているという発想はないのか

○向井幹事 

最高裁家庭局の向井でございます。最高裁としましては、父母の双方を親権者と定めた場合に、監護者の定めをすることを一律には要求しないという規律に反対するものではありません。共同監護の実態があるような事案ですとか、監護者の定めが不要であるということについて双方が合意できているような事案では、監護者を定めなくてもいいのだとは思います。
 しかし、実際に裁判所に持ち込まれる案件としては、片方が監護者の定めを要するとして申立てをし、もう片方は不要であるとして争うというような事件が多いと思います。
 そうした場合に、監護者の定めを要するのはどういう場合なのかということを明確にする必要があるのではないかと思っております。特に今回の1の提案のように、共同親権であっても単独で日常的な行為とか緊急的な行為をすることができるとなった関係上、今日、何人かからも御意見がありましたように、監護者を定めなくても一人でできるので、監護者の定めは要らないではないか、といった話になるわけです。そういった場合に裁判所として、監護者を指定する方がいいのか、監護者を指定せずに、意見対立がある事項についてだけ親権者を決めるような形にすればいいのかということが、具体的な違いとして非常に分かりづらくなっているような気がします。どちらにしたらいいのかが非常に悩ましくなることがあるように思いますので、監護者を指定すべき場合と、そうではなく、個別の事項について親権者を定めるべき場合というのを、きちんと整理して議論した方がいいのではないかと考えております。
○大村部会長 ありがとうございます。大枠については反対ではないということでしたけれども、裁判所に委ねられたときに、監護者を定めるのか、個別の場合に親権者を定めるのかということについては明確な基準が必要ではないかという御指摘を頂きました。

一歩ずつ前進する

○水野委員

 委員の水野でございます。1点はもう池田委員が御指摘されたことで、つまり、民法典が書いている監護者と、ここで問題になっている監護者は、実務が別居中の夫婦に類推適用して認めてきたもので、少し違うのではないかということで、それを申し上げようと思いました。
 もう1点は、思い出話になって恐縮ですが、1980年代にアメリカが離婚後共同親権を入れた頃の話です。当時、共同親権、ジョイントカストディーの法社会学的な研究も出はじめておりました。共同親権は、うまくいく場合とうまくいかない場合があって、うまくいく場合というのは、例えば両親が冷静に議論できるとか、あるいは育児について基本的な価値観が共通しているなどの幾つかの要件があるというアメリカ法の分析研究を、私は東京家裁の判事さんたちとの共同の研究会で紹介を致しました。そのときに判事さんたちが皆、首を振って、「そういう夫婦は、日本では離婚しません」といわれました。その研究会の段階でも、判事さんたちが知っておられる離婚事案には協議離婚は含まれていないなと私は思いましたし、その頃から数十年たって、今は、そういう冷静な協力ができる夫婦が離婚してしまうことが、さらに十分あり得ると思います。そうすると、やはり平等に共同親権が行使できる道を開いておくのは必要なことではないかと思います。
 ただし、その全ての前提として、これは3のところで議論しなくてはいけないことですけれども、こどもの福祉が守られていることを確実に担保しながら、離婚時に真の合意が確保できるようにきちんと手当てをしなくてはいけません。それから、トラブルになったときに、弱者がアクセスしやすく、すぐに対応して救済できる道を確保しておく必要があると思います。
 以上でございます。ありがとうございます。
○大村部会長 ありがとうございます。共同監護がうまくいく場合があるのではないか、かつてよりは増えてきているのではないか。少なくともそうした場合があるとすると、それに対する対応が必要ではないか。しかし、それを支える制度的なものが必要で、入口をきちんとチェックするということと、後で不具合が生じたときに変更するということが容易にかつ適切にできなければいけない、そうした御指摘だったかと思います。

単独親権制放置しすぎてグチャグチャ

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