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法制審議会家族法制部会第2回議事録3~ヒアリング星参考人

たんたんと議事録も読んでいこう


次は星さん 4000字超え

 では,続きまして星様,お話をお願いいたします。

○星参考人 よろしくお願いします。一般社団法人のひとり親支援協会,エスクルから参りました,星と申します。本日はよろしくお願いいたします。僕の場合は,詳しい専門的な話とかは僕も全然分からないので,非常に僕個人の,本当に自分の家庭でどんなことが起きたのかという事実だったり,そのとき,当時僕が子どもの目線でどう思っていたのか,今振り返るとどう思っているのかというところを話させていただこうかなと思います。手元に資料とか全く用意しておらず,非常に申し訳ないのですが,もろもろ素直に話そうと思っていますので,よろしくお願いいたします。
 まず簡単に,僕の家庭と,どんな感じだったのかというところを自己紹介がてら,できたらなと思うのですけれども,僕は新潟県長岡市という本当に田舎の雪国の出身でして,父親と母親,それから僕と,あと4歳下の弟という4人の家族で過ごしておりました。僕が9歳の頃,なので弟は5歳とかぐらいの頃に,両親がけんかが多くなり,そのまま離婚という形で,母親が出ていくということで,その後は父親と僕と弟という3人でシングルファーザーの家庭で育ちました。何でそういうシングルファーザーで,父親側に引き取られたのかというと,母親が結局,出ていくことを選択したので,父親が,お前が出ていくのだったら,もう子どもはこっちで引き取るわという形で,お互いの話合いの末,いつの間にか決まっていたという形です。その後,僕が二十になるまで母親とは一切会わないまま男3人で生活していたのですけれども,二十からは少し母親とも会うようになり,今では定期的に連絡を取ったり,会ったりするような関係にはなっております。
 ということで,それが今の現状なのですけれども,それぞれ,離婚の直前だったり,離婚する最中,それから離婚の直後,あとはその後の生活だったり,再会したときのお話だったり,心情なんていうものを簡単に話せればなと思います。
 まずは,離婚直前ですね,やはり子どもの目線で一番思っていたのは,とにかく親のけんかの時間というのがすごいストレスでした。何より音の暴力というのが一番怖かったイメージがあります。母親と父親がいつもけんかを始めるとなると大体,嫌な空気感というのが漂ってくるので,兄である僕が4歳下の弟を子ども部屋に連れていって,少し一緒に遊ぼうかなんて言って部屋に籠もって,空気を読んで,行くのですけれども,もう灰皿だったりお皿とかが飛び交う音だったり,親同士の怒号なんていうのは全然,壁を通り越えて聞こえてくるので,そのときの音を聞くのが本当にとにかく嫌だったなという印象があります。離婚というワードを聞くと,とにかくそのときのけんかの音というのを僕は一番イメージしています。
 子どもながらに,ああ,もう多分この二人はどこかで別れるのだろうなというのも理解していましたし,非常に今の自分から見ても,とてもドライにというか,結構客観的に親のことを見ているのかなと思います。弟とかにも話を聞いたことがあるのですけれども,弟もその当時,5歳とかではあったのですけれども,ああ,もう母親って離婚すると思っていた,あの頃からと言っていたりとか,母親が出ていっても,まあそうだよねというような印象を持っていたようで,5歳ぐらいの子どもでもそれぐらいのことって結構理解できるのだなということは,今になって,そういうものなのだなというのは思います。
 そこから,親が離婚するとなったときなのですけれども,やはり子どもに対してヒアリングというのは一切なかったですね,うちの場合は。母親が突発的に出ていって,後から離婚したと聞かされたりとか,離婚理由というのも大人になってから教えてもらったりであって,何で離婚したのか,いなくなったのかというのは知らなかったのですけれども,そのとき僕と弟が一番思っていたのは,もうあのけんかが見られなくなってよかったなという感想が一番でした。母親がいなくなって寂しいとかというのは,実はそこまでではなく,あの時間がなくなるのが本当に安心した,ほっとしたという感想を持ったのをすごく覚えています。
 実際離婚して,シングルファーザーという形で育つのですけれども,苦労した点は2点ありまして,1個はやはり母親がいないので,僕が母代わりになってくれと親から言われて,家事とか炊事洗濯とか,もろもろを任されるようになり,それは大変だったなという印象はあるのですけれども,ストレスではなかったなと思います。家族がそういう形になったので,自分がしっかりしないとな,弟を守らないとなということで,弟の送り迎えをしたりとかすることに関しては,結構適応するのかなと,その状況に置かれたらもう仕方ないよねという形で僕は受け止めていました。
 もう1個苦労した点というのが,やはり金銭的な問題ですね。両親共働き想定で家のことだったり全ての物事を進めていたので,その収入源が父親一つになったことで一気に金銭的に厳しくなって,その金銭的な苦しみというのはもう慣れるものでもなく,永遠に続くものなので,それはずっとストレスでしたし,そして何より,僕以上に多分,父親がすごいストレスに感じているのだろうなというのが子どもながらに思っていました。なので,お金と時間と,そしてシングルファーザーというなかなか周りにいない環境下で,父親はすごくストレスを抱えていて,しばしば子どもである僕とか弟に当たることもあったりとか,ぶつかることも非常に多くて,どこでも理由を見ると,金銭的なものだったりするのが一番多かったかな,なんていうのは,今になって振り返ると思います。
 その後,一番,離婚してそこから適応していたのですけれども,母親という存在というか,第三者的な存在が欲しかったなと思った瞬間というのが進学の瞬間でした。高校進学であったり,大学進学というときに,うちの父親というのが,田舎あるあるなのですが,少し不良上がりですごく,昔暴走族をやっていたような父親だったので,もう高校なんか行かなくていいと,中学卒業で働いてくれと言われていて,僕自身ももうそれで働こうと,働くしかないのだなと半ば諦めの環境でおりまして,そのときにもし母親がいたら,もっといろいろな相談とか,いろいろな未来の形を一緒に考えられたのかなと思うのですけれども,そのときはすごく母という存在というか,何か第三者の存在が欲しくなったのを覚えています。
 僕の場合は結果的に,それが教師というか,担任の先生でした。三者面談のときに父親が,もう中学卒業して働きますと言い放ったのですけれども,先生の方から,今はそういう時代ではないのだと説き伏せてくれたお陰で,進学という道が僕の中に増えて,結果,高校だったり大学というところに進学できて,今すごくよかったなと思います。なので,あのときの先生がいなかったら中学卒業で働いていたと本当に思うので,そういう,特にシングルファーザーとかに限ったことではないかもしれないですけれども,結局,子どもにとっては家族と学校というのがすごく比重の重い場所になってくるので,例えば,家族に何か解決策がないときは学校という場所であったり,若しくはサードプレイス的な場所,第三者的存在が近くにいてくれたら,もっともっと楽だったのかなということは個人的にはすごく思っています。
 そこから今度,二十で母親と再会したという話になるのですけれども,これはたまたま親同士の話で,父親の方から母親には,もう子どもに会わせないとずっと言っていたのですけれども,いよいよ僕も二十になったタイミングで,何か思うことがあったらしく,父親の方から母親に連絡を取り,子どもも二十歳になったから一度少し会ってやってくれないかと言ってくれたみたいで,家族4人で一度会ってみるという場が設けられたお陰で,そこで会うことができました。
 その当初の僕の気持ちとしては,正直,今会ってどうなるのだという気持ちが結構強かったです。今更会っても,もう二十だしな,会ってもどうしようもないよなという気持ち半分,あとは何か照れくさいような,正直,どんな顔して会ったらいいか分からないという気持ち半分,でも,どこかに,やはり母親なので会っておいた方がいいのかもな,みたいな気持ちも半分みたいな,すごく入り交じった気持ちだったのですけれども,そのときは会ってみようという気持ちが強く,何とか会うことができました。
 結果,会ってみたら,もうすぐに打ち解けて,ああ,やはり母親なのだなと思うことができて,連絡先交換して,そこからはもう個人的に電話をしたりとか,いろいろな相談をしたりするような関係になって,今でも食事に行ったりとかはよくするので,本当に会ってよかったなと思っています,僕の場合は。ただ,それは今,結果こういう自分があるから思えているのかなとも思うので,当時の複雑な感情というのはなかなか,もしかしたらあのとき,いや,今更会ってもしようがないといって会っていなかったという人生も全然考えられるのではないかなというのは思っています。
 結果的に,今までの僕の,こういう形で今,家族があって,僕としては父親とも母親とも連絡が取れている状況だったり,家族としても非常に関係性はいい,家族というか,僕個人が父とも母とも関係性がいい状態にはなっているということなのですけれども,僕個人として思うことは,やはりどこまで行ってもこれは人それぞれだろうなと思うところはあります。友達とも,シングルファーザーだったりシングルマザーで育った方としゃべるのですけれども,もう親とは会いたくないと言っている方もいれば,本当に会いたいけれども会えていないという方もいたりとか,何か本当にいろいろな子どもがいるなとも思います。なので,そういう子たちそれぞれに寄り添ってくれて相談してくれるような第三者がやはりいると,すごくいいなというのは僕は常々思っています。若しくはそういう制度だったりとか。
 あとは,よく養育費の話は確かに僕も聞くようになったのですけれども,僕もシングルファーザーの家庭だったので,もちろん母親からお金というのは送られていなかったですし,それでも父親というのは本当にお金に苦しんでいた姿はあるので,とはいっても,離婚した母親が養育費を父親に振り込むほどの経済能力が果たしてあったのかと思うと,そこも難しいところなので,そこら辺もすごく,うちの場合は別にそれで母親も恨んでいないですし,養育費というのも払われていなくても仕方ないよなとか思いつつ,なので,そこも本当に人それぞれの家庭なのだろうなと,とにかく最近は思っています。
 以上,本当に個人的な話で大変恐縮でしたが,終わりにしたいと思います。あとは感想というか,質問で頂けたら,何でも答えたいと思っていますので,以上で終わりにしたいと思います。貴重な時間をありがとうございました。
○大村部会長 どうもありがとうございました。後ほどまた質問へのお答えをお願いいたします。

シングルファザー家庭出身の立場が続くのは偶然なのか?

え?逆に絶望を想像してしまう

父子家庭の方がひとり親家庭よりも圧倒的に少数なわけで・・・でもたくましく発信力ある成長を遂げているということ?母子家庭は???((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル

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