見出し画像

法制審議会家族法制部会第34回会議議事録読む9~原田委員・北村幹事・石綿幹事・池田委員・落合委員

読売新聞結局買えた~この日の人生案内も気になっていたのもあって

共同監護実践も広がる

議事録読もう

○原田委員 

まず、今日配布された要望書について一言申し上げますと、これは共同親権に賛成の方が多いとは思いますが、それを認めた場合の法整備をきちんとしろということがこの主眼で、テーマも導入に伴う法整備についての要望書ですので、そこが大きな主眼であると思います。それは今までも何度もいろいろな方から出たことですけれども、民法以外の問題であるからということではありました。しかし、ここにも書いてあるように、あるいは今までも出てきて、こども家庭庁などでどう考えているのかという御意見を、まだ調っていないように伺っています。そのようなことも言っていただきたいと思います。
 それから、武田委員がおっしゃったケースは、私もこんな直接的な質問をする調査官がいるのだろうかと思うほど、最初の調査官の調査の仕方については疑問があって、前回ですかね、最高裁から報告があったとおり、あんな直接的な質問をするのは非常に例外的なものではないかと思いました。また、こどもの手続代理人というのは、1回会うとかいうことではなくて、何回もこどもさんに会ったり、時間外とかいろいろ自由が利きますので、こどもと仲良くなってこどもの意見を聴くということで、調査官と違う役割を果たしているので、この導入については是非、もう少し広くできるようにしていただきたいと思います。手続法として今、限定的な使い方がされていますが、こどもが関わる問題についてはこれが使えるような改正をしていただきたいと思います。
 それから、水野先生がおっしゃった、実務によって突破してほしいというのは、この要望書でも分かるように、今の実務では本当に私は絶望的だと思っています。実務の実態をもっと知っていただきたいと思います。
○大村部会長 ありがとうございます。原田委員からは、参考資料についてのコメントと、武田委員、水野委員の御発言のコメント、それからこども代理人の更なる活用ということについての御意見を頂戴いたしました。
 ほかに御発言はいかがでしょうか。
 よろしいでしょうか。ありがとうございます。すみません、戒能委員をはじめ皆様をせかして申し訳ないですけれども、この後の部会資料34-2についても、是非御意見を頂きたいと思っており、そのための時間を確保したいと思っておりました。
 そこに進む前に、今、部会資料34-1について頂いた御意見についてですけれども、部会資料32-1が言わば原案ということであって、それについて具体的な修正提案が出ているものを取り上げるということで、今回1、2、3の三つに大きく分けてそれらについての御意見を頂戴いたしました。皆様の中には、ここで修正意見といわれているものを支持されるという方々が、数の上では多数ということではないものの、一定数はいらっしゃったということを本日確認を致しました。修正意見が望ましいのだということについて様々な御指摘を頂戴いたしましたが、他方で、原案をサポートされる方々からは、それらの指摘についての疑問や懸念も示されたところでございます。こうした状況を踏まえた上で、更に事務当局には次の整理をしていただきたいと思っております。
 ただ、伺っていて、意見の対立を越えて共通に指摘されていることもあったように思います。例えば、1について現在の案、部会資料32-1の急迫の事情というのを維持するとしても、様々な懸念が示されていますので、そのことについて補足説明等で十分な説明をしてほしいという点については、立場を越えて御指摘の共通の御意見があったものと理解をしております。赤石委員からは、そこのところが十分であれば、よいかもしれないといった御発言もあったと理解をしております。
 それから、2の①の子の意思についても、子の意思が重要だということについては皆さん前提にされているし、それだけで決めるというものでもないというところも多分、共通の御理解なのだろうと思いますけれども、これを書くか書かないか、あるいは書くとしたらどのように書くのか、懸念にこたえるのにはどうすればいいのかということで、議論の幅というのは狭まってきているようにも思いますので、それらを勘案して更に案を練っていただければと思います。
 そういうことで、今日のところは部会資料34-1については引き取らせていただきたいと思っています。事務当局、部会資料34-1について、よろしいですか。
 ありがとうございます。
 それでは、あと40分ほどなのですけれども、部会資料34-2の方に入らせていただきたいと思います。部会資料34-2の資料につきまして、事務当局の方から御説明をお願いいたします。

原田委員棄権したって本当だろうか

○北村幹事 

事務当局でございます。では、簡単に部会資料34-2について御説明申し上げます。
 部会資料34-2では、部会資料32-1でペンディングとしていた親子関係に関する基本的な規律について、親権の有無にかかわらず父母が負う責務や、権利義務等に関する規律を提示させていただきました。
 このうちのゴシックの1①は、父母と子との関係の規律を提示しており、父母が子の心身の健全な発達を図るため、その子の人格を尊重するとともに、その子の年齢及び発達の程度に配慮してその子を養育しなければならず、かつ、その子が自己と同程度の生活を維持することができるよう扶養しなければならないこととしております。
 また、ゴシックの1②は、父母間の関係について規律しており、父母は婚姻関係の有無にかかわらず、子に関する権利の行使又は義務の履行に関し、その子の利益のため互いに人格を尊重し、協力しなければならないこととしております。
 この点につきましては、この部会のこれまでの議論において、各委員、幹事の皆様から様々な御意見を頂いていたところではございます。今回のゴシックの①、②では、そういった様々な御意見に最大限配慮させていただいて、各委員、幹事の皆様方の御意見を最大公約数的に集約させていただいたつもりです。本日の会議でも是非御意見を頂きたいと思います。
 ゴシックの2では、親権の性質について取り上げております。この部会のこれまでの議論の中では、親権という用語を見直すことも含めて御議論いただいておりましたが、これを他の用語に変えることに対しては慎重な御意見も頂いておりました。今回の資料では、親権という用語は変えないにしても、民法第818条第1項の父母の親権に服するという表現は変えるべきではないかとの御意見も踏まえて、親権が子の利益のために行使されなければならないものであることを明確化するものとすることを提示させていただいております。
○大村部会長 ありがとうございます。
 部会資料34-2は、ゴシックの部分は1ページの1と2ということになります。これについて御意見を頂戴したいと思っております。どなたからでも結構ですので、御発言がある方は挙手をお願いしたいと思います。それから、皆さんの御意見を十分に今日多分、全てを伺うことができないかとも思いますけれども、その場合には次回続行ということにしたいと思っております。

親権は変わらなかった

○石綿幹事

 幹事の石綿です。基本的にこのゴシックの提案に賛成ということで、2点申し述べさせていただければと思います。
 まず、1①の、その子を養育しなければいけないという、養育という語についてです。5ページの(注1)に書かれているように、私自身はここで養育しなければいけないという言葉が入ったとしても、当然に親権者でない父母が監護教育をする権利義務を得ることになるわけではないと理解をしております。そうすると、子の養育というのがどういう概念かということをきちんと詰める必要があるかと思います。現状、4ページの(注3)に記載がしてあるかと思いますが、重ねて民法第828条の養育ということの関係も整理していただければよいのかなと思います。かつて池田関係官が資料を提出なさっているかと思いますので、その辺りなどを参考にしながら、お願いできればと思います。民法第828条の養育というのは親権者が行うものなので、監護教育だというふうに学説では認識されているような気がしまして、そうすると第828条の養育と、ここでいう養育というのは、多少広さが違うかもしれないということなどを整理していただければと思います。それが1点目です。
 2点目は、②のような規律を入れることは非常に有意義であるとともに、次のような点でも意義があるのだろうと思っております。具体的には7ページの(注1)で、このような規律を設けて、義務履行の確保の方法として、親権の判断において影響を与えるという解釈があり得るのだと記載がされております。従前、親権喪失・停止において、父母間の問題をどう考慮していくかというところが解釈論上必ずしも明確ではなかったし、可能なのかという点もあったわけですが、このような規律が入ることによって、その規律を根拠にして、父母間のことについても親権行使の問題の際に考慮し得るという点で、この部会で様々御懸念が示されているような点にも対応し得る可能性があるのかと思っておりまして、その意味でも有意義かなと思っています。
○大村部会長 ありがとうございます。石綿幹事からは1の①、②について、基本的には賛成だという御意見を頂いた上で、①については養育という言葉を現在の条文上の用語と擦り合わせる必要があるのではないかという御指摘、②については、こういうものを置くということは積極的に望ましいのではないかという御意見を頂戴いたしました。

実務の不満は意外に共有できる
その原因は、法に基づいていないから、ともいえる

○池田委員

 池田でございます。1①についてコメントさせていただきます。
 まず後段から申し上げますと、重い扶養義務の対象を未成年子するか、未成熟子とするかという難しい議論があったわけですけれども、ここでは単に子としつつ、目的を子の心身の健全な発達を図るためとすることで、発達途上にあるこどもが対象であることを示しておられて、解釈による適切な線引きがなされるのではないかと思います。賛成です。
 次に前段について、精神的、非金銭的な関与についても親子の基本的な規律に含めていただいたということについては、大変結構だと思っております。ただ、2行目に、配慮する対象として子の意思、心情といったものも含む規定にしていただきたいということを提案したいと思います。その理由としましては、子の権利主体性を確立する上では、親が養育の責務を果たすにおいて子の意思や心情を考慮するということが非常に重要であるということ、また、それが人格の尊重という中に含めて解釈され得るとしても、なお明示的にそれを規定する価値を有しているものだということです。こどもの権利ということが広く認識されてきております現代社会におきましては、このことは既に多くの親に共有されていると思われますので、仮にそのような規定をしたとしても大きなハレーションはないのではないかと思います。また、①の規律は離婚の際の親権者指定といった狭いところを想定しているわけではありませんで、親の養育全般に関わるものですので、先ほど親権者指定の場合の、子に親を選ばせる負担を負わせてしまうのではないかというような弊害が直接的に懸念されるわけでもないと思います。
 仮に配慮する対象としてそのようなものを含めるとしても、文言の選択については更に検討が必要かと思います。例えば、意見とすると言語的表現に限定されるニュアンスが出てしまって、幼少の子はどうなるのかという疑義が生じたりということもありますので、例えば意思、心情、あるいはもう少し一般化する形で心身の状態といったような文言も考えられるかと思いますので、この点は引き続き検討していただけると有り難いと思います。
 それから、2のところについては、是非こういった方向での検討をお願いしたいと思います。その際、以前、青竹幹事ほか民法の先生方がお出しになった意見書で提案されているような、民法第818条に関する提案等が参考になるのではないかと思っております。
○大村部会長 ありがとうございます。池田委員からは、1の①と2について御意見を頂きました。①の後半部分については、未成年子という限定をするのか、しないのかということが議論されていましたけれども、これを解釈に委ねるという態度をとっていて、それでよいのではないかという御意見、それから、前半の部分については、子の人格を尊重するの中に子の意思も含まれるとは思うけれども、外出しにするということに意義がある、ただ、用語については考える必要があるということで、その具体的な用語も、心身の状態というようなものもあり得るという御意見を頂戴いたしました。ありがとうございます。
 そのほか、いかがでしょうか。

資料34-2の検討に入る

○落合委員

 落合です。ここの箇所については皆さん割と賛成されて、私は大変不思議に思っています。共同親権というようなことについてはこんなに慎重に議論されてきた方たちが、親の責務というような、非常に大きな規定を設けるということについては割と簡単に通してしまうのが、私には不思議でなりません。これは欧米法にはあることの多い規定でして、基本は近代家族的な考え方だと思うのです。生殖家族という言い方がありますけれども、こどもを作ってしまった人たちがその責任をとるのだと、それが家族の責務であって、だから人間再生産が家族の責務であって、それは国家に対して家族が負うべき義務である、責務であるというのは非常に近代的な考え方ですよね。それが入っている欧米諸国の法律があるので、日本もそれに追い付かなければいけないというのが基本線になっている話だと思いますけれども、それではまるで、欧米諸国は植民地を持っているから日本も持たなければいけないと考えたときと同じではありませんか。
 今、欧米諸国はむしろ、こうやって親に養育責任を限定してきた、その枠組みからどうやって出ていこうかということを考えているときだと思うのです。にもかかわらず、日本でこの規定を今作ると。そうしますと今度は、本来ならというか、国から支援をしなければいけないような状態の家族に対して、いや、これは親の責務だからというふうに、その支援が滞るというようなことが起きるのではないかということを私は懸念します。
 ただ、ある意味で日本はやはり西洋化する方向を選択しているのだと思います。アジアの各国は少し違う方向に行っています。そちらは日本では議論にもならないということが、大変よいことだと思っています。そうなのですけれども、世界的な流れを見るとここから離れる方向に向かっている国が多く、しかも、もう日本もその段階ですよね。少子化しているのは、家族だけではこの負担を背負えないからでして、そういう意味ではこの規定は少子化をより進める、そういうタイプの規定だと思います。だから、非常に問題があると思います。
 でも、どうしても皆さんがこれを設けたいのであれば、ここから起こり得る弊害を最低限にできるようなものを織り込んだ形で文言にしていただきたいと思います。前のときに私が発言して、責務だけを書くのはやはり一方的なので、権利性というようなことを書くべきだと言ったのですけれども、この①、②の②の方に権利という言葉が入っています。ただ、私はやはり①の方に入るべきだと思うのです。養育とか扶養をするという権利があり、責務があるというような書き方にする、それによって、養育や扶養が難しい親への支援というものの道筋が付くのではないかと思うのです。そういう意味で、①の方に権利という言葉が入るのであれば、ましだと思っています。
 それが典型的に入っていますのが3ページにあるドイツ法ですね。これは露骨なぐらいはっきり、生殖家族が国家のためにこどもを再生産するということをはっきり書いてあるのですけれども、アのところの、こどもの保護、教育は親の自然な権利で、義務であると、その遂行のためには国家共同体がこれを監視すると、監視して支援もしてくれるのだと思うのですけれども、これが一番露骨な書き方だと思います。日本で今話をしているところでは、国家が出てこないのです。出てこない方がましだという考えもあるかもしれませんけれども、福祉国家的な支援を引き込むような形で何とかそれが書けないか、そうでなければ少子化を推進する規定になってしまいかねません。
 それから、もう一つ少し懸念していますのが、親の定義です。どういう人たちにこの責務と、権利だと私は思いますが、それが付いて回るのかというようなことで、ここでいっているのは生物学的な親なのですよね。そうすると、例えば、この間少し別のところでこういう例を出している人がいたのですけれども、結婚しないで関係を持った、妊娠してこどもを産んだということを女性は男性に告げなかった、生まれてからその男性のところに、実はこれはあなたの子で、DNA鑑定すれば間違いありませんよと言ってきたと。そうすると、この男性はこどもを持とうという意思が全くなかったわけですが、それでもやはりこの責務は生じるのですよね、養育費を払うのですよね。これは、でも、覚悟がないとか、産む前に言ってほしかったというような話が出たりするのではないかと思うのです。中絶してくれと自分なら言っただろうとか主張するだろうと思います。そういうことで、いろいろな場合が出てくると思います。同性カップルでこどもができたようなときに、その相手になっていた人はどういう責任があるのかとか、この場合に精子提供者に責任が行ってしまうのかとか、いろいろなことが起きますよね。だから、近代家族的なものが非常に安定しているときなら、これは作り得る法律だと思うのですけれども、それが正に揺らいで、いろいろな多様な形ができているときにこれを作ると、どのような弊害があり、どのような関連する問題が出てくるかということをきちんと議論しておかないと、無責任になるであろうと考えます。
○大村部会長 ありがとうございます。落合委員は、この1を置くことが家族に対する支援を滞らせることになるのではないかという御懸念を示されたものと承りました。そういう懸念がないようにと皆さんお考えだと思いますけれども、それをこの条文の中で実現できるのかどうなのか、権利ということを①に加えることによって実現できるのかというところについては、なお検討を要するところかと思って伺っておりました。それから、父母の問題については、これは民法の先生方が答えていただくとよいかなと思いますが、窪田委員、違う問題について手を挙げられているのかもしれませんが、御発言と併せて、父母の点も引き取っていただけると幸いです。

社会学の観点は面白い!

親子に優しい世界に向かって,日々発信しています☆ サポートいただけると励みになります!!いただいたサポートは,恩送りとして,さらに強化した知恵と工夫のお届けに役立たせていただきます!