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技術を継承するー香道具ファンド2年目のいまー

こんにちは、京都より200年の系譜をもつ香木・香道具店 「麻布 香雅堂」 代表の山田悠介と申します。「オープン・フェア・スロー」をキーワードにお香の世界に関わっています。

絶滅危惧種ともいえる香道具を細々と守りつづける「香道具ファンド」の活動が2年目に入っております。前回のnoteでは、香道具を載せるお盆や棚「指物」をつくる方が引退されてしまった…という悲しいニュースをお伝えしました。

香道具ファンド2年目のテーマとしてかかげていた、香雅堂の「火道具」を復興すること、そのための足掛かりをつくることは、おかげさまで前回記事に追記させていただいたように、引退された職人さんによる技術継承がすすみ、短期・中期的な問題が解消され、発売が再開されております。ご関係者のみなさま、誠にありがとうございました!!

ですが、その引退された職人である伊豫さんと会長の山田(眞)が力をあわせて、指物作家・益田大祐さん(@sashimonomasuda)さんに、技術を継承する試みが進んでいます。今回は、2022年6月に益田さんの工房で行われた技術継承の様子を、山田(眞)がお伝えします。

※香道具ファンドは、香道具を販売した売上の一部を必ず次の香道具の生産&販売に使用することで、絶滅危惧種としての香道具を守る試みです。発足時のnoteはこちらをごらんください。

以下、香雅堂会長の山田眞裕による文章です。

茶道の世界には、家元を支える「千家十職」と称される職先の系譜が脈々と継承されています。
一閑張細工師(飛来家)、塗師(中村家)、竹細工・柄杓師(黒田家)、表具師(奥村家)、土風炉・焼物師(永楽家)、金物師(中川家)、茶碗師(樂家)、釡師(大西家)、袋師(土田家)、指物師(駒沢家)の十種類です。

一方、香道の世界は茶道ほど間口を広げておらず門弟数も限られているせいか、香道具だけで生活できる職先を揃えることは困難だったと言えます。

そのため、「香道具を調製したい」と志しても、「既成の職先に発注しさえすれば放っておいても出来上がる」というようなことは全く望めず、何をするにも一から作り手を探して交渉を重ねて、何とかお願いして「手掛けて戴く」という試行錯誤の繰り返しでした。
則ったのは志野流の場合は御家元からお預かりする伝来品であり、御家流の場合は先代御宗家からお預かりした『御家流香道具雛形寸法書』でした。

さて、今回のテーマは指物師でした。
京都には千家十職の駒沢家の下請けを行なう工房があり、当初は、そこで働く指物師さんに依頼して調製をお願いしていました。
高度な技術が要求される精緻な指物とは言え、芸道に使用する「道具」ですから、芸術作品のようにみなされるのでは高価になって困りますので、あくまでも職人さんの手間仕事として引き受けて戴くことが重要でした。
(人間国宝の指物師さんにお願いしようと考えたこともありましたが)

京都の山科あたりに居を構える伊豫さんに長い間お世話になりましたが、数年前から引退を考え始められたため、若手を育てて技術とノウハウ、そして材料の銘木を継承して欲しいと頼み込み、同じ工房で働いていた若手の指物師をご紹介戴きました。
北山杉に囲まれて、野生の鹿が庭に出没するような郊外に工房を構える彼を何度か訪問して志野棚や重香合など様々な仕事を依頼しましたが、技術は確かでしたが納期を守ることが出来ず、お施主様に迷惑をお掛けする事態となり、残念ながら付き合いを断念しました。
伊豫さんが引き継いだ多くの貴重な銘木(製材して30年以上寝かせた檜や上質な女桑など)が使えなくなってしまったことが、何よりも残念でした。

そこで、悩んだ末に、かつて貝桶など様々な塗下(ぬりした=漆塗の木地となる指物)の調製をお願いした実績がある江戸指物の渡辺彰さんに連絡して、優秀な指物師さんを紹介して戴きました。
「指物益田」の益田大祐さんです。

平安時代に宮中や公家の調度類を調製したことに始まり室町時代以降の茶道文化とともに発展したされる京指物に対して、江戸指物は将軍家、大名家などの武家用、徳川中期以降に台頭してきた商人用、そして江戸歌舞伎役者用(梨園指物)として発展し、今日に至っています。

香道具を調製する上で京指物と江戸指物との最大の相違点は、女桑の木地を用いる場合の仕上げの仕様だと言えます。
女桑というと桑の一種のように思われがちですが、桑とは全くの別種で、樹種名は「キハダ」、ミカン科の落葉広葉樹です。
心材は緑色を帯びた黄褐色、辺材は黄色味をおびた白っぽさを呈します。
なぜ女桑を用いるかと言えば、本物の桑が稀少で高価、しかも扱い辛いからです。

本物の桑(通称「本桑」)とは、指物に用いる場合、三宅島や御蔵島などで人知れず巨木となり、年輪が詰まって優れた材質に育った稀少な銘木、いわゆる「島桑」を指します。畑の間に生えていて養蚕に用いられる桑や、そこらへんの山林に自生する桑(いわゆる「地桑」)とは別物で、近年では伐採されることが皆無と言える状態で、香道具の素材としては非現実的な存在と化しています。

一方の女桑は、木目が本桑に似て美しく、比較的に軽く、その割には適度に堅さがあり、しかも加工し易く、仕上がりが艶やかで、何よりも本桑に比べて狂いが少ないという優れた特長を具えています。
木地の色味が白っぽいため、京指物では特殊な色付を施して経年変化を遂げて深い茶褐色を呈した本桑の色を真似て仕上げます。
この色付は京指物にのみ伝え続けられている独自の技法で、そのノウハウが公開されたことは無く、江戸指物においては全く知られないものでした。

つまり、江戸指物師さんに女桑製香道具の調製をお願いすることは、「色付が出来ない」という理由から、検討の対象外だったのです。

ところが、京都に信頼できる指物師さんが居られなくなるという事態に直面することになり、恐らく史上初めて「京指物の伝統技法を江戸指物に伝えていただく」ことを実現するしかないと決断したのでした。

伊豫さんにその旨を打診したところ、後継者を育てて香道具調製を引き継ぐというミッションに失敗したという負い目もあり、責任を感じて、承諾して下さいました。

そこで日程を調整し、伊豫さんに上京して戴き、益田さんの工房にお連れして、伝統技法を伝授していただいたのでした。

高齢にも拘らず上京して技法を伝授して下さった伊豫さん(後ろ姿)

その後あっと言う間に数か月が経過しましたが、益田さんはその間に着実に試行錯誤を重ねて、このほど懸案の色付を完成して下さいました。

本桑に似た木目が美しいです
側面に取り付けた鐶(かん)は銀職人さんの作品です
鐶に取り付ける組紐もまた絶滅が危惧される職先の一つです
隅々まで期待した色味に仕上がり、感無量です

これからは江戸に伝わる指物の技術と京都から伝わった伝統の色付とが融合した画期的な香道具をお施主様に愛用して戴ける運びとなり、更には後世に残していくことが可能となりました。誠に有り難く、喜ばしい限りです。


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