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夕焼けの色は鮭




『夕焼けの色は鮭』

 母さん、いま平気?大丈夫すぐ済むから。すぐすぐ。一瞬さ。僕はね、人間なんてただの糞袋だって、そう思っているんだ。思ってるんだ。ルンルンさ。斎藤一を気取っているわけじゃないよ、だって幕末って、とてもナルシストだし、知っての通り僕のお腹はあまりにも自分勝手だし、気難しいんだもの!三日も四日も音沙汰ないと思った時には既に決壊は始まっているんだ。とっくに始まってるんだよ。ルンルンさ。税務署だって事前に連絡くらいは寄越すよ。税務署以上にお堅いんだ、僕のうんこは。下痢のくせに融通がきかない、融通もきかないし、融通がきかないときの「きかない」の字はどれが正しいのか僕には分からないし。そんな大人に育てたのは母さん、君だよ、君自身。ありがとう。ありがとうね。お疲れ様だよ。僕はいつだって慰労と、感謝を忘れないんだ。兄さんに似て僕、昔からテレビばかり観ていたね。父さんを見習ってもう少し勉強とか、すれば良かったな。テレビ観てうんこして、テレビ観てうんこして、テレビ観て、うんこして。テレビとうんこが僕だったよね。僕の青春。パンサラッサが引退したよ。楽しげな逃げ馬でね、よっぽど強かったのに令和のツインターボだなんて。馬鹿げている。余りにも馬鹿げてる。ルンルンさ。ツインターボ。母さんも知っているだろ?知ってるだろって。聴けよ。僕の中には思いやりがたくさんあって、僕の優しい母さんにでも分かる話題を、慎重に、丁寧に選んで話しているんだ。話してるんだ。ルンルンさ。それが本当だって僕にはよく分かるんだ。分かっちゃうんだ。とても近くに感じるんだよ。インターネットで調べてごらん、きっと思い出す。先頭の青いメンコがものすごい勢いで馬群に沈んでいくんだから犬みたいに、舌を垂らして!馬は犬なんだよ。とても頭が良いんだ。僕よりもずっと、母さんよりもずっとずっとね。ずっとずっとずっと。ずーっとずーっとごちゃごちゃごちゃごちゃ五月蝿いんだよ。犬以下だよ。母さんの自慢、科学部の、部長だったこと!氷と塩でアイスキャンデーが作れるのが一番得意気な顔でとびきり可愛いんだ!そんなのって最高じゃないか。先生に、褒められたことが、嬉しかったんだよね。まるで自分が特別な存在になれたみたいでさ。僕には経験がないけれど、ないんだけど、思い出すだけで胸をあたたかにできるんだ。それがどんなにちっぽけなことだって、ドクダミの花粉みたいにひと粒でさ。厳しいな。ひどいよ。母さんは僕の癖毛が最初から嫌いだったんだ。そうだって言えよ。僕だけじゃないかなぁ!頭を撫でられたことがないのって。ねずみだって撫でてもらえたのにね。もらえたのにさ。ねえ父さん帰って来ないね。母さん。母さん。聴いて。聴いてってば。父さん全然帰って来ないね。どこに行ったのかな。可愛い父さん、賢い父さん、父さんは英語だって喋れたんだ。母さんは喋れないもんね、喋ることができないもんね。お国言葉だってあやしいんだ、何を言っているのか全然分からないのが母さん。僕の母さん。大好きな母さん。父さん帰って来ないね。ずっと帰って来ないんだ。どこに行ったか知ってる?スキーが得意な父さん、料理が得意な父さん。イカの塩辛、知ってるだろ。塩辛知ってるよね。父さんの大好物。作れるんだ自分で、イカの塩辛、父さん。大好きだから。買って来て捌くんだ。僕、ずっと隣で見てた。キッチンに踏み台を持って行って父さんの隣に立って見ていたんだ。見ていたかったから。父さんのこと。スカートの裾に指を二本入れて。イカのスカート。帽子を外すんだ。グポッて鳴るんだよ。鳴って引っ張ると足にはらわたがズルズルついてくるんだ。足の付け根が脳みそなんだよ!変だね。変だよね。身を切ってはらわたに漬けるんだ。ひどく生臭くて。身体を切り刻んで。ぐちゃぐちゃにした内臓に漬け込むんだよ!嫌だね。嫌だな。父さんって顔色ひとつ変えずにそんな残酷な、残酷だよ!だって僕はもしこれが人間だったらって。考えちゃったんだ。自分でも分からないよ。自分のことが一番分からないんだ。「もし人で塩辛作ったら」って!これって発想の話なんだ、連想の話なんだ。想像力の話なんだよ父さん。僕の父さん。優しい父さんが人間の身体を切り刻んで掻き混ぜた内臓に肉を、漬け込む姿を想像しちゃったんだ。してしまったんだ。働き者の父さん。勤勉な父さん。遅刻なんて一度もしたことがないんだよ。手際よく僕を解体する父さん。正確に僕を切り分ける父さん。柔らかな手つきで僕を漬け込む父さん。沐浴みたいだ。料理は愛情なんだよ母さん。綺麗な母さん。頭の中で父さんはヒトの塩辛を作っているんだ。ずっとずっと作ってるんだ。僕は塩辛が食べられない。ひと口も食べられないんだよ。見るのもダメさ。あの瓶の蓋が。キュって閉まる音がダメなんだ。ねえ母さん。大好きな母さん。もし願いがひとつ叶うなら、何をお願いする?僕はキッチンになんか入らずに、兄さんと一緒に出掛けるよ。ミズノのグローブ持って。キャッチボールをするんだ。見てよ母さん。母さん。たったひとりの僕の母さん。やまびこ公園で僕、笑ってるんだ。笑っているんだよ。ルンルンさ。夕焼けの色は鮭。

【了】

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こちらは破滅派の面々が新たに立ち上げられました「人生逆噴射文学賞」に投稿させて頂いた掌編です。

破滅派の皆様、貴重な機会をありがとうございました。楽しく参加をさせて頂きました。

令和5年12月29日
草々


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