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押し付け憲法論を暴論と強弁する自称憲法学者の小西洋之参議院議員

「憲法学者」と自称していた小西洋之参議院議員

 少し前のことなので忘れてしまった方もいらっしゃいますが、小西洋之参議院議員はが自分のことを「憲法学者」と称されていました。
 そして、ご自分を「憲法学者」と称される小西洋之参議院議員がまた憲法についてご高説を垂れているようです。

 立憲民主党の小西洋之参院議員が、令和5年3月29日行われた参院憲法審査会の幹事懇談会の後、「(衆院憲法審査会の)毎週開催は、憲法のことなんか考えないサルがやることだ」、「憲法を真面目に議論しようとしたら、毎週開催なんてできるわけがない。私は憲法学者だが、毎週議論はできない」、「何も考えてない人たち、蛮族の行為、野蛮だ」と発言したことが問題になっています。

ひのもと法律事務所「『憲法学者の定義とは?学者を名乗る根拠とは何か【法律事務所の解説】

小西氏の場合

現在では、研究者がどのような学術論文を書いたのかは公開されており、インターネットで検索することができます。

検索の結果、小西氏は論壇誌への寄稿が多いものの、憲法の学会の学術誌にも論文を書いています。

参考:憲法理論研究会編「市民社会の現在と憲法」

多く書いているかはともかく、学術論文の寄稿はしているようです。

一方で、小西氏は法学部や法学系の大学院にいた経験がなく、法学の研究者としての経歴はありません。

また、官僚出身の政治家である小西氏は、大学で憲法を教えていたこともありません。

ですから、結論として、小西氏を憲法学者と呼ぶのは難しいのではないでしょうか。

ひのもと法律事務所「『憲法学者の定義とは?学者を名乗る根拠とは何か【法律事務所の解説】

小西洋之洋之参議院議員の憲法論が出鱈目である理由

国の主権に対する見識の皆無

 小西洋之参議院議員は、次のようなポストをなして、「現職の首長」の発言を批判しますが、このポストそのものにおいても小西洋之参議院議員が憲法を語るに値しない人物であることが明らかとなっています。

現職の首長の発言に驚いた。敗戦後、GHQから憲法案を作成するよう求められた当時の日本政府は明治憲法と大差のない松本私案という愚かなものしか作ることが出来ず、やむなく、GHQ草案に対する日本政府の内閣法制局幹部らの法律専門家との協議を経て作成された憲法案が普通選挙で選ばれた憲法制定議会に提出され、9条の修正、25条の生存権の規定など真摯な議論のもとに日本国憲法が定められている。従って、「マッカーサーをはじめとする連合国軍総司令部(GHQ)にかすめ取られた一部のばかな日本人も加担し、日本人を徹底的に粉砕するために作られたのではないか」という「押し付け憲法論」は完全な暴論だ。 9条がなけれは、ベトナム戦争やイラク戦争などに自衛隊が参戦して多くの戦死者を出していただろう。9条こそが戦後の日本国民を守ってきたのだ。

また、台湾有事について、中国と「一戦を交える覚悟が全国民に問われているのではないか」などと主張しているが、国民を戦争に巻き込んではならないのが沖縄戦の惨禍の史実であり、そのために自衛隊と日米同盟があり、何よりも戦争を避けるための外交がある。 https://approach.yahoo.co.jp/r/QUyHCH?src=https%3A%2F%2Fnews.yahoo.co.jp%2Farticles%2Fcac132f9e85c70f88369205ab7937197385119ab&preview=auto

@konishihiroyuki

 小西洋之参議院議員は「GHQが憲法案を作成するよう求め」たなどとおっしゃっていますが、当時の日本は無政府状態などではなく、大日本帝国憲法が機能していました。GHQは日本を占領下に置いていることを奇貨として占領下の国に対して憲法を改正するように命じたわけです。
 そして、「明治憲法と大差のない松本私案」を「愚かなもの」などとおっしゃっていますが、まともに考えれば、占領下に占領国の憲法を改正するというおおよそ近代とは程遠い野蛮なGHQの姿勢に対する抗議の意味が含まれていると考えるのが自然でしょう。憲法改正は、政府が改正案を決めたらそれに沿って国会など然るべき機関で議論されるべきであるのに、なぜかGHQが添削し、マッカーサー草案を作成するというインディアンを殺戮して国土を奪い取った頃の米国人から1ミリを進歩していないといえる前近代的なやり方をしたのです。このような違法に違法を重ねた憲法改正過程を称賛するような国会議員は速やかにご退場いただくべきであると思います。

占領下でなくても問題となる憲法改正

 この日本国憲法の制定という大日本帝国憲法の改正は、占領下でなくとも問題となるものが含まれています。それは、大日本帝国憲法の全文改正である点です。
 日本国憲法の憲法改正の議論でもしばしば論点となるのが、憲法改正の限界です。例えば、日本国憲法の三原則として、国民主権、基本的人権の尊重、平和主義がありますが、憲法改正において、その原則を変えることができるのか否かについては、憲法学者の中で議論の対象となり、憲法の根本を変えることになるからできないと解釈するのが憲法学の大勢となっています。
 そうであるなら、「憲法学者」を自称する小西洋之参議院議員は、なぜ大日本帝国憲法の全文改正というやり方をとった日本国憲法の問題を論じることなく最初から正しいものであるなどという偏見に満ちた「研究者」としてあるまじき姿勢に徹しているのでしょうか。

宮沢喜一元総理大臣の後悔

 講和の下交渉ともいえる池田勇人大蔵大臣とドッジとの会談にも秘書官として関わった戦後史の生き証人ともいえる宮沢喜一元総理大臣は、日本国憲法憲法について、早い時期に国会で承認するなどという手立てを打っておくべきであったと後悔する発言を残しています。日本国憲法はそれほどに成立過程に瑕疵があり、その瑕疵を修復する手立ては未だなされていません。小西洋之参議院議員が「憲法学者」を自称なさるならこの程度の内容はご存知でいて欲しいものです。