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日本のママのお弁当"Bento"って

マジですごいレベル。

ウィンナーをタコにしたり、キャラ弁にしたりクリエイター能力が半端なく高い代物。しかも食べられるなんて、クレイジー。それが海外からの反応らしいよ。

ぶっちゃけます。
日本のママたちは、作れます。
彼女たちはとても器用です。もはやクリエイターです。
でも、実はめんどくさがっています。
最初は我が子のためにがんばります。

でも、これが頻繁だと大変なのです。
いつしか、ママ同士の争いの種になりました。
「お弁当の中身を見られたくない」
そんな親子が少しずつ増えていきました。

私は保育士でした。
最初の頃はそんなこと言われなかったのに
ある年の会議から、遠足の時の写真で
お弁当の写真はアップでとらないようにとの
おふれがでるようになっていったのです。
写真は記録に残ってしまうから。
隣の子の差が出てしまうから。
母親からクレームがくるから。
そのお弁当の中身で、
その子のアレルギー情報も漏れてしまうから……。
個人情報保護法も手伝って、お弁当は隠されました。

お弁当。
子どもたちは、それはそれは楽しみにしています。
お母さんたちには、お写真でしかお伝えできませんが
毎回遠足の時は、登園してから1時間もたたないうちに
子どもたちから「せんせー、はやくおべんとう、たべたーい!」
そんな声が聞こえてくるのです。
子どもたちにとっては、いつもの給食ではないハレの日の食事です。
ただ、悲しむ子もいます。
コンビニ弁当しか持たされない子。
忘れてくる子もいます。
量が多すぎて食べきれない子もいます。
宗教の関係で行事そのものを休む子もいました。

いろいろな子どもたち、いろいろな親子を見てきました。
お弁当は、保育園と幼稚園でも違うようです。
ある時、保育園に臨時職員として元幼稚園で働いていた先生がやってきました。保育園で初めての遠足を経験して、みんなのお弁当をみて一言。
「なんか、可愛いですね。幼稚園は毎日お弁当ですからこんなに凝っていませんでしたよ~。」と。
なるほど、毎日だと弁当は頑張らないんだ……。
幼稚園の弁当は、ケの日の食事にあたるんだ。
そう考えると保育園の給食ってありあがたいんだなぁ。
まぁ、この遠足の弁当の日こそ保育園の給食室の先生たちが堂々と休めるという裏事情もあるのだけど。

そもそもなぜ、通う施設でこんなに違うんでしょうか?

それは、保育園が親の就労支援のための施設で
幼稚園は親子を教育するための施設だから。
保育園は、保育の支援が必要な家庭のための福祉施設という位置づけです。
だから給食が用意されねばなりません。
(虐待児の緊急保護や、DV家庭の緊急受け入れ、被災地支援の緊急受け入れも可能になっています。貧困家庭への支援も含めていて命の素の食事が大切なのでそこは提供しなくてはならないという意味が含まれます)
幼稚園は基本的に教育の場なのです。だから、家庭から持たせる食事は当然で、これすら指導の対象になるようです。近年は、親からの要望が増えてきて、給食を実施する幼稚園も増えてきています。

……って、そんなこと親は「知らんかった!」ってなりませんか?
私は、この仕事をしてきたので全部、我が子を産む前に知っていた情報です。当たり前の情報でした。でも、普通のお母さんたちって
「え?幼稚園って毎日弁当いるの?めんどくない?」
ぐらいな感覚だと思います。
託児所と、保育園と、幼稚園と、認定こども園の違いなんて知らなくて当然ですよね。どこがいいかなんて、施設を選ぶ余地もなくてとりあえず我が家から近い所!で選ぶことが多いでしょう。送迎が楽だから。

みんならくちんを求めています。
育児でも。
でも、実際の育児は楽じゃないものです。
楽じゃないものをやるには何が必要か?
それは、子どものためにという愛情でしょう。
それしかない。
それだけで、みんな頑張ってきています。

最近は、お弁当にお父さんが加わることが増えてきました。
遠足で、子どもたちが教えてくれます。
「こっちのおかずは、パパが作ったんだよ!」って。
だんだん、時代が変わってきました。
別に、お母さんだけがお弁当を作らなくてもいいですもんね。
常備菜を活用したり、冷凍食品を活用してもいい。
作る側になった今なら、自分がやってもらってきた弁当の大変さがわかる。だからこそ、大変さの分担を夫婦でやっている家庭が増えてきました。
まだまだ、少数でしたがこういう時代の変化も見てきました。
協力しながら乗り切っていく。
男子禁制だった台所が男たちに開放されていったのでしょう。

保育士としてできることは、親と子をうまくつなぐこと。
空っぽになった弁当箱。満足そうな子どもたち。
そこに保育士が加えるのは、
「今日帰ったら、おいしいお弁当を作ってくれたお父さんやお母さんに笑顔でおいしかったよ、作ってくれてありがとう。って伝えるんだよ。」
と教えること。
忙しい朝の労力が、よく頑張った1日が、
この言葉とあなたの笑顔があるだけでふっとぶんだ。
今はわからなくても、それが大事だってわかる日がいつかくるから。

弁当と愛情を結びつけるのは、短絡的かもしれません。
それでも日本のお弁当は食べる人への想いが詰まってる気がします。

こどものえがおが、見たいから。

ただ、作るのがほんとに辛いし
できない自分に罪悪感を持っている方もいるかもしれません。
そんな時は、こんな話があります。

美容院でたまたま聞いた話なのですが、
その方は昔、カナダに留学にいったことがあったそう。
そこで、ホームステイ先のお母さんに弁当をもたされました。
「ありがとうございます!」と言ってもらったもの。
その、弁当が衝撃的だったそうです。
何だと思いますか?
私は、ハムチーズサンドだけが頭によぎりました。
が、実際は、
「ポテチ1袋をほいって渡されたんだよね。」だそうです。
たしかに、日本人的には、衝撃的かもしれません。

現地にいる方は、それで育っているからそれが当たり前なのでしょう。
子どもたちも当たり前。
そこにホームステイをしていた親にしてみると、
日本にいた頃よりも〝手抜き〟に罪悪感を感じないでいられるようです。

はたして、ポテトチップス1袋に愛情が詰まっているのか?
そう言われると、疑問に思いませんか?
子ども目線ではむしろラッキーなのかもしれません。
やった、ご飯じゃなくてお菓子食べられるの?って(笑)
そんな、国も実際あるのです。
日本は、島国の同調圧力にいつの間にか埋もれている。
世界の親たちは、もっと楽に生きている。
朝ご飯だってそう。
栄養バランスの整った食事も、もしかしたら誰かの押し付けかもしれません。毎日の食事だって、味噌汁とご飯と漬物だで十分生きられるのかもしれません。日本の食品の裏が知らされずに、病気が増えているのかも気づいていないのかもしれません。答えはすべて自分の体が教えてくれます。

ただ、和洋中いろいろと知ってしまった日本人はもう、戻れないのかも。
多種多様な選択の中で、小さなお弁当箱に世界を詰めるのを。
だから、苦しいのです。
他のみんなが見えるから、罪悪感を感じてしまうのです。

どうしたいですか?その食事を。
家族の誰かのためにつくる食事を強制されてイヤイヤやるのではなく、自ら楽しんでやれるうちは幸せでしょう。
でも、楽しくなかったら、ポテトチップスを思い出しましょう。

このぐらい、ゆる~くね。がんばりずぎず、身体によいものを。

「あぁ、今私は、あれよりもまともなおにぎりつくってる!」って。
そんな風に、遊び心をもって疲れた自分を笑って癒してあげましょう。
そしたら、「仕方ない。やるか!」って元気がでてくるかもしれません。
明るく思えるようになるかもしれません。

今日も、家族のためにご飯を作っている皆さんへ。
いつも、よくやっていてすごいですね。ありがとう。
誰と比べて自分を責めているのですか?
あなたは、日本人というだけでいいセンスをもっています。
〝手抜き〟に罪悪感 そんなの感じなくたっていいの。
むしろ、手を抜いて楽に生きられる道が正解なんですから。


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