1999年のプーチン(五) 無名の首相プーチン
この時期、クリントン政権の米国は、米国優位の国際秩序を作ろうとする動きを見せていた。98年の12月には、国連の手続きを無視して、英国とともにイラクを攻撃。99年3月からは、北大西洋条約機構(NATO)軍を率いて、やはり国連の意思決定を経ずに、ユーゴスラビア連邦への空爆に出た。
ユーゴスラビアへの攻撃は、同国の多数派セルビア人とモンテネグロ人の父母に生まれたミロシェビッチ大統領が、コソボ自治州に多く住む少数派アルバニア人を弾圧していることを理由として“人道戦争”を掲げて行われ