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そしていまに至るみちすじ

なにかはじめよう

それまでレンタルビデオ店の店長を務めていた会社を辞めたのは、忘れもしない東北大震災の約半年前だった。
いくばくかの退職金をもらい、国民健康保険と年金の切り替え、税金の額に(ある程度覚悟はしていたが)ヘキヘキしながら何とか生活していた。
ただ他にも考えずに辞めたわけではなく、一つの目標があった。

それは「シナリオの学校に通うこと」

かつて大学時代には映画学科でシナリオを専攻していた。
もちろん、その時にはシナリオライターになりたい、なんてちっとも考えておらず、もっぱら興味の中心はバンド活動だった。
ただ同じ4年間を過ごすにしても、まるで興味の持てない学部に行くよりは、好きな映画について学べる学校の方がいい、と短略的に選んだ結果だったりする。
決して真面目な生徒ではなかったと思うが、課題のシナリオを書くのは好きだったし、専攻の成績は決して悪くなかったと思う。
卒業制作として書き上げた400字原稿用紙200枚越えの作品は、どエンタメに振り切った内容だったのに、どういう訳か努力賞だか奨励賞的なものをもらえた。

仕事もバンドも辞め、自分に何が残っているかを考えた挙句、少なくともスキルとして持っているシナリオライティングを、もう一度、イチから学び直してみたい、という欲求に駆られた。
それがモノになるのであればよし、ダメならダメで、少なくとも自分にシナリオ稼業の才能はない、という確認にはなる。

が、学校に通うにもお金はいる。
この先無職になる身で、それなりの金額が用立てられるかというと難しく、それが障壁になっていたこともあり、この計画を実行するか迷っていた。

ところがそのお金がひょんなことから転がり込んできた。
たまたまフラリと立ち寄った駅前のパチンコ屋で、爆出ししているサラリーマンから、時間がないので、よかったら続きやりません?と台を譲ってもらえたのだ。
ありがたくその台に座ると、当たりが終わらない。
気がつけば、なんと学校の入学金と半年の授業料を賄うに十分なだけ大勝ちすることができたのだ。
なんという棚ボタなのだろう。
これは「計画を実行しなさい」という天からのお告げなのだろうか?
兎にも角にも、このおかげでシナリオ学校へ通うことが決定した。

いいことばかりはありゃしない

そこから失業保険を受給しながら求職しつつ学校へ…のハズが、年末にとんだアクシデントで右足の踵を亀裂骨折してしまった。
情けないことに、外で甥っ子と仮面ライダーごっこをやっていて、なんていうことのない段差をジャンプして着地した時にやってしまったようだ。
みるみる足の裏が紫色に腫れ上がってきて、慌てて病院に駆け込んだ。

そんなこともがあり、まともに歩けない身ゆえ、就職活動など出来もせず、日がな本を読んだりiPhoneでゲームをしたりネットを見たりしてのんびり過ごした。
シナリオ学校とハローワークの認定日にはしばらくは片足を引きづりながら赴く羽目となった。

その後に震災が起こることになる。
世界はそれまでと打って変わったものになってしまった。
連日繰り返されるニュースは、もはや頭の中ででっちあげたどんなストーリーも敵わなかった。
暗く悲しいニュースばかりの中、せめて自分の作り出すシナリオの中だけは、とアクションだったりヒーローものだったりコメディだったりなるべく明るくハッピーなものを目指した。

やがてシナリオ学校を修了し、アルバイトをしながらオリジナルの何作かをコンクールに送ってみたが、箸にも棒にも引っかかることはなかった。
1次すら通過することができず、これには正直ヘコんだ。
そのうちコンクールに受かるためには、とか審査員ウケのいい作品とは、とか余計なことを考え出すと、今度は自分が本当は何を書きたかったのがわからなくなってきた。
やがてストーリーを紡ぎ出すはずの最初の1文字すら打てなくなった。

そう、まるでかつてのバンド活動末期の時に似ていた。
またコレか…と深く大きなため息が出た。

子羊をひろう神は人工知能の夢をみる

そんなこんなでまたどん詰まりになってしまった。
年齢も40代を越えてしまった頃だ。
大学時代の先輩から連絡があった。
当時は人工知能に関してのベンチャーを立ち上げたばかりの社長でもある。

以前、酒の席で再会した時に、シナリオの学校に通って勉強している、という話をしていたのだが、それで興味を持ったらしく「人と会話できる人工知能」を目指していた先輩から、会社に参加してシナリオのノウハウを会話AIに役立ててくれないか、と話を持ちかけられた。

先のないアルバイト生活に見切りをつけて、この話に飛びついたのは言うまでもない。
2015年の冬のことだった。

それが、今も在籍している会社となる。

なんせ人数が決して多くはないベンチャーゆえ、ただ会話AIに関するシナリオを書いていればいい、と言うわけにはいかない。
AIが発話する際の音声合成のチューニングやら、PRのための動画編集やら、いままでやったことのない分野の作業も覚えなくてはいけなかった。

それはそれで楽しいものではあったのだが、どうにも苦手なことにも手を出さざるを得なくなり、それが積み重なって適応障害となってしまった。
*その辺りの経緯については、以前に - ここに至るまでの数年間のあれこれ - で書かせてもらった。

いま現在はコロナ禍以降はほぼリモートワークということもあり、自分のペースで仕事ができている。
もちろん体調が厳しい時もあるが、ひと頃に比べればだいぶマシになったとは思う。

願わくば、こころ安らかに、穏やかな日々を過ごせんことを。


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