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エゴイスト

観てきました。

感想を一言で言うならば、

「リアルなゲイの姿を、リアルに描いた作品だった」と思いました。

最初の新宿を闊歩するシーン、本当にリアルでした。最初ブログの方で書いていたのですが、脳内駄々洩れになってきたのでこちらに移植してきました。


僕も、コロナという言葉がまだこの世に蔓延る前二丁目に入り浸っていた頃、

三丁目のあの飲み屋のブロックを闊歩している時に、自分が本当に自分で居られる世界への入り口であると胸を張って、信号を待って居たのを強く覚えています。

逆に、帰りはもちろんギリギリまで飲みたかったっていうのもありどうしても新宿駅まで歩く気力が出ず、新宿三丁目駅から地下鉄に乗って帰っていました。

それは、本当の自分をその街二丁目に置いていくことへの葛藤もあったのでしょう。

この時間が永遠に続けばいいのにと願っていた。魔法なんて解けなければいいのにと思っていたのかもしれないという。

電車に揺られながら実家へ向かっていく中で、過ぎ去っていく時間。

その時間は自分がゲイではないという衣を纏う時間だったんだなと今更ながら思っています。


誰しも、みんな違う。

ついつい、何か物事を考えるときってどう客観的に考えていても自分の物差しや経験で発言してしまったり行動してしまったりするのではないでしょうか。

実際、少しネタバレが入ってしまいますがパーソナルトレーナーをしている20代前半という設定の、

恋人となる龍太がウリ専をしていることは、浩輔がほかのゲイ仲間と飲んで惚気ているところで「エッチがね~」と言っているところで何となく浩輔はわかっていたのではないでしょうか。

そうでなくても、僕が見ていた中ではトレーニングの後駅に向かっているシーンで振り向き様にキスをするシーン。

あのシーンで、もしかしたら龍太はウリ専しているのでは?と思いました。

(その前に、初対面の時に深夜の仕事していると言っていたのも勿論ありますが。)

友達にも、ワンナイトだった人、いろんな人にウリ専経験者も多くなりました。みんなそれぞれの事情があり、それぞれの考えをもって仕事に取り組んでいました。

職業に貴賎なしとは、よく言ったものですがゲイ業界はある意味で色々な立場で色々な役割を果たしていることでバランスを保っているのだと思います。


「二丁目に捨てるゴミなし(男はいない)」という言葉もあります。

二丁目は、もちろんシビアです。容姿やお金で回っているといってもそれを否定できる人は少ないでしょう。

でも、二丁目だからこそ認められ守られ包まれることができる街であり、二丁目ってそういう存在なのかなと思いました。

僕のように飲み散らかして、発展場で出会って、友達になったり、飲んでいる中で恋人になったり。

残念ながら身なりも、性格も下の下なので笑 お店で働くという経験は今のところありませんが笑

僕自身も人生経験の中で、いろいろな出会いと別れを経て今のパートナーと一緒に暮らすという選択をしましたが、葛藤が無かったわけではありません。

心配もありましたし、その心配が的中して病気が悪化してしまい職を失うところまで堕ちました。

でも、いろいろなところで支え合えること、時間を一緒に過ごすこと、共有できることの喜びはひとつ屋根の下で暮らすことでしか得られないのかなとも思っています。


ですが、僕らにも試練は訪れそうです。

僕は、家族に「結婚もしないし孫の顔も見せてやれない。他のきょうだいに期待してくれ。」と割と20歳くらいから宣言していたので、彼女はいるのかとか結婚はまだなのかとかそういう話はないです。

おかげさまで、ルームシェアする理由だった通勤がないにもかかわらず、生活を変えたくないという僕の意思を尊重してくれる家族には本当に感謝していますし、理解してくれているのかもしれないという淡い期待を抱いてしまいます。


ただ、パートナーは家族から「彼女もいないのに男二人でルームシェアなんて・・・」と言われているらしく、ああなんかこういうことって恐らくいろんな人が抱えているんだろうなって。

それはセクシャリティに関係なく。

他者同士が一つ屋根の下で暮らすということはそれだけ尊くて、それだけ重大なことなんだなと改めて気づかされたのが今年のお正月でした。

一旦は彼がその場を収めてくれたので事なきを得ていますが、何か月か後・何年か後にはおそらくまた家族から言われてしまうのだと思うと申し訳ない気持ちもあります。

でも、もう一緒に生活することで得られることの大切さを知ってしまったからこそ別れるのであれば別でしょうが、別れないのに離れて住むということはあまり考えられないです。今の時点では。


でも、そういうこともひっくるめて。

自分がエゴイストではないのか。

と一日考えてしまったのも事実。

ただ、どこかで人間ってそもそも生まれながらにして自分の幸せを願い、最も自分の幸せのために生きる生き物ではないのかという考えに辿り着きました。

他者の幸せ、パートナーの幸せを願ってしていること。発言。行動。

それって本当に相手のことだけを願って行動できるものなのか。自分の利益度外視で行動できるのか。

それが一つボタンを掛け違えた瞬間に、自分の利益だけを追求することになってしまうのではないか。

と考えた瞬間怖くなって、午前中は茫然自失と化してました。

忘れてはいけないこと。

お互いを常に尊重し、尊敬し、思いやれること。
どっちかが一方的になった瞬間にそれはエゴイストに繋がるのかなって。

ちなみにこの画像。僕が一番好きな新宿南口の桜です。
タカトオコヒガンザクラというらしいです。
ここにさくらが植えられてから、新宿に来るとちょっとウキウキするようになったのも事実。

さてと、風呂に入って出てこないパートナーの様子を見に行くのでこの辺で。

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