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群馬県道・埼玉県道71号 高崎神流秩父線

2023/12/10 起点~吉井駅入口
2023/12/24 吉井駅入口~高崎市分断区間
2024/01/07 藤岡市区間
2024/01/27 神流町分断区間~国道462号重複終了地点
2024/02/11 国道462号重複終了地点~終点


群馬県高崎市

旧・群馬県西群馬郡高崎町

国道17号の聖石橋交差点からスタート。反対方向は高崎渋川線(群馬r25)。
聖石橋で渡る烏川。僅かではあるが上里町辺りで埼玉-群馬県境も担っている大型の河川。

旧・片岡郡片岡村

通称・観音通り。写真右上の山の上には高崎白衣大観音が見える。1936年建立で、工芸家・森村酉三による原型を、建立した井上工業の東京支店まで運んだのは若き日の田中角栄だとか。
石原町交差点を左折。
高崎石原郵便局。けっこうおしゃれ。片岡村は石原村・乗附村・寺尾村の3村の合併で誕生し、1896年までこの片岡村のみで片岡郡を形成していた。
石原町交差点からしばらくは吉井街道の通称がある。
昔ながらの商店街。
左に市道が分離している。
駐車場が広すぎるコンビニ。
金井高崎線(群馬r203)と館入口交差点でぶつかる。館は寺尾町の小字。
雁行橋(がんぎょうばし)。
雁行川。草が生い茂っている。
雁行川改修記念碑。
寺尾町北交差点で写真左から来た新道と合流。
新道と合流した後は平成以降に完成したらしい片側2車線の大型道路となる。交通量も道幅にふさわしいくらいにはある。
衣沢川。衣沢橋で渡る。
埼玉では見ないヘキサを使った方向案内。
寺尾町交差点を右に曲がる。直進すると寺尾藤岡線(群馬r30)だが、だいたいの車は右折するため、3本あるレーンのうち右折レーンが2本、直進が1本と変則的なものとなっている。
山を貫く大きな道。
羅臼山城跡登り口。熊が怖い。
高崎典礼会館。建物が立派。
諏訪橋。よく見えないが中山川を渡っているらしい。
城山団地入口交差点。左折した山の上に住宅地がある。右は公園、観音山ファミリーパーク。ちなみに前述した高崎白衣大観音とは別に近くないので注意。

旧・多胡郡入野村

建物が少なくなり、峠越えの様相。交通量は相変わらず多い。
中山峠。ここから下り坂。

旧・北甘楽郡岩平村

サンコーカントリークラブの立派な建物。
2023年、世の中を大きく騒がせた店。
見晴らしのよい下り坂。
充実の観光案内。
岩崎交差点。後賀山名停車場線(群馬r200)と交差する。
ここから東側を吉井市街を避けるようにバイパスを造る計画があり、工事が行われている。
多胡橋で渡る鏑川。絶景。

旧・多胡郡吉井町

川を渡ると旧・吉井町の市街地に入っていく。吉井町は町村制施行当時より町であり、2009年に高崎市となるまで存続した。
小さな町だが割としっかり商業地として発展している印象。
池南交差点。建設中の国道254号の甘楽吉井バイパスと接続している……のかは地図によって表記がまちまちなのでよくわからない。バイパスの反対側では工事が行われている。
バイパス側を見る。立派な道である。西にある本郷交差点を甘楽吉井バイパス終点として表記しているものもあればここまで国道としている地図もある。
線路を越えるための陸橋。
上信電鉄上信線、馬庭~吉井駅間。
高崎市役所吉井支所。旧・吉井町役場。
川内交差点。ここを右折し、国道254号、神田吉井停車場線(群馬r40)と重複する。
国道重複区間の風景。昔ながらの道で、道も心細いため前述した辺りでバイパスの建設が進んでいる。
吉井駅入口交差点を左折、進路を南に戻し単独区間復帰。1日目はここまで。
ここから二日目。他の区間より物静かな印象。朝方なのもあるだろうが……。
先に進んでも分断区間に行きつくだけの道の割には商店街となっている。時間帯が違えば印象も違うのだろうか?
坂を登っていく。

旧・多胡村

歩道が出現。助かる。
下神保公民館。
「高崎神流秩父線 この道路は通り抜けできません」わくわくする文字列。
上信越自動車道、吉井IC~甘楽PA間。
高速道路の下を潜ると、眼前に山々が広がる。若干霧が立ち込めていた。
旧多胡幼稚園前バス停。肝心の幼稚園跡は見逃してしまった。
多胡小学校。2023年度現在の児童数は42名だそう。
幅員減少。
大沢川を渡る塩橋。
大沢川。
消防団。
塩公民館。
公民館横にある多胡中学校跡碑。
1947~1982年。
山を進んでいく。
すぐ集落に入る。のどかな田舎である。
畜産も行われているようだ。
大抵の車はここで右折してゴルフ場に行ってしまう。
掠れたセンターライン。
草喰川。地味だがかっこいい名前。
ここまで来ると登山道に続く道という側面が強く、この日も登山客がいた。
舟石。
地域に残る伝説に登場する。
これも登山客だろうか、沢山の車が止まっている。奥の煙は神社の境内で焚火が行われていたためである。
住吉神社。
ここまで来ると熊が怖い。
バスの終点、東谷交差点。日曜日は全休(それを把握し忘れたためこの後徒歩で駅まで戻ることに……)
落合橋。東谷川を渡る。
スリップ防止用の砂がまかれている。
民家はほとんど消える。
砕石場跡?
東谷砂防ダム。1980年完成。
ダム湖は現在釣りに使われている。
ボロボロの倉庫。
こんなところにもしっかりヘキサはある。
高崎市最南端の集落、大判地集落の入口はここを左。
県道は集落の西側、谷の横を進んでいく。
倒壊したままの民家。この集落はかつて養蚕で栄えたらしく、平屋が少ないのが特徴的。なお現在も人が住んでおり、飼い犬らしき鳴き声が山に響いていた。
ここで一度分断される。
点線区間(直進方向)は砂利道。どこまで進めるのか分からないがかなり急な坂を前に脚が動かずここで引き返した。

藤岡市

旧・日野村

上日野藤岡線(群馬r175)の上鹿島橋西側から分断が終わる。西へ向かっていく。一応写真正面の道が点線区間へと続く道のようだが、実態は群馬r175から道を引き継ぐ形になっている。
道幅はそこそこ広い。なお群馬r175は車一台がやっとの区間もそこそこある。
このように沢を通す橋名がわざわざ大きく書かれている箇所が多い。因みに「馬渡戸」の読みは「まつば」である。
こんな調子で民家は疎ら。
隣を流れているのは鮎川。藤岡市区間は全てこの川と並走している。
買い手はでるだろうか?
辛科神社。
市指定天然記念物のカヤ。
上日野簡易郵便局。
一瞬だけ歩道ができる。左に曲がった先にある藤岡温泉ホテルリゾートはそこそこ評判のホテルらしい。
40キロ規制。静かなので車が来ているかどうかは音で分かる。
ホタルが見られるのだろうか。
カーブ。落石注意。
熊の穴橋。
この県道は左。直進方向の道は会場鬼石線(群馬r177)が受け継ぎ、本格的な峠越えの道となる。なお、ここから群馬r177と重複している。
御荷鉾橋で鮎川を渡る。
清流。
群馬r177と分かれる。といっても両者とも間もなく点線区間となるが。
もはや私道のようだが点線区間ですらないれっきとした県道である。
ここで藤岡市区間は終了。再び分断区間となる。なお、一応県道はゴルフ場へ続くセンターラインもある右の道ではなく左。
一応進んでみるとすぐに砂利道となり……。
こうなる。ここから先は怖いのでここで引き返した。

多野郡神流町

旧・南甘楽郡神川村

神流町の投石峠から再開。分断区間の向こうは砂利道になっている。
「通り抜けできません」とあるがしっかりヘキサが書かれている。
峠の案内。登山道である。
嘆かわしいことにここからしばらく上り坂で、ここまで歩いてきた脚が悲鳴を上げた。柏木の方向は確かに合っているが、国道沿いの集落でありかなり遠い。
何やら工事が行われている。
ヘキサはいたるところに置かれている。
自然を愛した詩人、尾崎喜八の紹介。
詩碑。
ここからだと分かりにくいが木の生えていないところに大きく大の字が書かれている。いわゆる大文字。
御荷鉾山の解説。
大鉾。
隣には万葉集の東歌を記した歌碑もある。
貴重な休憩所。黒澤啓治さんありがとう。
公衆トイレ。ボロボロの和式トイレだが助かる。
凍った水道。水は出ない。
西御荷鉾山の登山道。この辺りに来る人は大抵これが目当てだろう。
ようやく下り坂。
御荷鉾スーパー林道との分岐を左折。
看板を逆から見るとこうなる。この看板を読む人で帰りの客っているのだろうか?どっち行っても林道なのに東京や軽井沢の地名が出ているのもおかしい。
通行止めの案内。群馬ではよく見る。
林業専用道桐ノ城線。一般車は立ち入り禁止。
今までは山間部の道でも集落があったりしたのだが、ここに関しては誇張抜きで一件の民家もない。ずっとこんな感じの道。
大胆なつづら折り。
路面凍結。暖冬だからかあまり深刻ではない。
秩父の山々が見渡せる。眼前に広がるのはキャンプ場。
みかぼ体育館。学校のもののようだが、かつてここにあったみかぼ高原荘に併設していたもののようだ。
結婚の森。何がどう結婚なのかよく分からないが…。看板には平成の大合併で消滅した万場町の名前が残っている。
2022年、みかぼ高原荘の跡地にオープンしたみかぼ高原オートキャンプ場の入口。これ以外にこの区間にまともな施設はない。
制限速度20キロ。何もしなくても勝手にスピードが上がることだろう。
まだなにかを造る計画らしい。通行止めはあと二ヶ月で解消されるらしい。
建物。「郵便局の簡易保険郵便年金」で造られたらしいが何の建物なのかわからない。
複雑なカーブ。
ゴルフ場とホテルの案内。
その矢印の先は固く閉ざされている。全国のゴルフ場会員権の情報を取り扱っている椿ゴルフの情報によると、1987年に本庄カントリー倶楽部として開業したが2003年に破産、別の会社によりかんなゴルフ倶楽部として再出発するも2010年ごろから音信不通、税金の未納で公売にかけられるもゴルフ場としての復活は果たせずソーラー施設となった。
ゴルフ場が賑わっていた当時の雰囲気を感じさせない、寂しく静かな道である。
御鉾二号橋。気奈沢川(けなざわがわ)を渡る。ここからは気奈沢川に沿って山を下りていく。
こちらが一号橋。
また万場町の表記。
赤岩橋。足が勝手に進むような下り坂の続くこの区間で貴重な上り区間。
歩いたのは3時ごろだが既に薄暗く不気味。この近くで鹿とすれ違った。大きかった。
崩れたのを直したのかこの辺りだけ真新しい。
大きな看板。
久々の建物。人はいないだろうが安心感がすごかった。
大字万場の集落。
ここを左折して国道462号と重複。
国道沿いだけあって田舎でも活気を感じる。
万生橋で気奈沢川を渡り、大字生利(しょうり)へ。
田舎によくある小字の案内。
ここを右折して単独区間復帰。4日目はここまで。
ここから5日目。生利大橋で渡る神流川。川沿いにあるのは万場高校。
この看板を見ると気持ちが引き締まる。
雪の残る山道を進む。
通行止の際は閉ざされる門。
何に使われるものかよく分からない。民家は当分ない。
薄暗く不気味な道へ入っていく。
沢を渡る橋。
父不見山(ててみえずやま)登山道の入口。登山客が車を停めている。
雪が降ったのは5日前のことだが凍結しきっている。この辺りでは飯島川という川沿いを進んでいる。
急カーブ。
日向というだけで安心する。
ヲダモ橋。珍しい名前だ。
忘れた頃に車が来るくらいの交通量はある。
「四方来観之」と書かれた石碑。
林道竹のカヤ線。除雪すらされていないが誰かが使った跡がある。隣の石碑が気になるが思ったより雪が深く近づけなかった。
当然のように万場町の表記が残っている。
鹿だろうか?
環境宣言の町 神流町。
県境を抜ける土坂トンネル。
路面の氷のため規制が行われている。

埼玉県秩父市

旧・秩父郡上吉田村

トンネルを抜けると埼玉県秩父市に入る。2005年まで吉田町。
神流町の観光案内が設置されている。
土坂トンネルまでの距離が書かれた看板。定期的にこの案内が出現する。
群馬側よりカーブが多く傾斜の激しい印象。下りでよかった。
景色がひらけても山しか見えない。
これはなんだろう?
小川砂防ダム。
採石用の道か? 使われているのだろうか。
小川の集落に到着。
吉田町の名前を残す看板。
沿道を流れるこの川は集落と同じく小川という。
県の無形民俗文化財、小川の百八燈の紹介。8月16日に行われるそう。
公衆トイレ。非常に助かる。
雪の公園。
集落の終わり。
続いて明ヶ平の集落。みょうごだいらと読むそう。
明ヶ平橋で小川を渡るとまた民家のない山道へ入る。
再びトイレ。ありがたい。
「またきてくんな 吉田町のルーツへ」
塚越交差点。藤倉吉田線(r282)の終点で、右の道を進むと合角ダムや小鹿野町藤倉の集落に着く。r282はここ以外にほかの国県道と交差しておらず、集落と主要地方道を結ぶのに特化した道。
この辺りまで来てしまえば民家が途切れることはほとんどなくなる。
小川戸橋。
小川戸橋バス停。小川町役場や西武秩父駅とr282で行ける藤倉の集落とを結ぶ西武バス倉尾線のバス停。倉尾とは藤倉+日尾の二大字で1956年まで存在していた村の名前。
三島前橋。
この川の名前、三島前橋は吉田川と称していた。合角ダムの水と合流する辺りで名前が変わったのだろう。
上吉田小学校。2004年閉校。
女部田公会堂。女部田という名字はこの辺りが起源らしい。
八坂神社。この辺りの山の上に大きなイノシシがいた。
ガソリンスタンド。久々に店らしい店を見た。
中島の集落を進む。
龍泉寺沢。名前の通り沢の上流に龍泉寺がある。
宮戸のバス停。終点はもうすぐ。
上吉田駐在所バス停と八人塚。永禄十二年の鉢形城での、北条氏邦と武田信玄の争いのさなかに切腹した八人の眠る塚だそうだ。
宮戸交差点で皆野両神荒川線(r37)とぶつかり、終点。

GPSログ

長い道のりだった。

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