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池大雅 陽光の山水:3 /出光美術館

承前

 第3室のはじめに《瀟湘勝概図屏風》(個人蔵  重文)が出ていた。「これこそ最高傑作」と思っている人は、わたしを含めて多いはず。
 個人蔵ゆえ、ウェブ上にきれいな画像はなかなか転がっていないが、美術全集や大雅展の図録には必ず出ている有名作品だ。

 うららかな陽が差すなかを、風が爽やかに吹き抜ける。淡彩の点描で表される梢は、陽を受けてきらめいているようだ。タイトルにある「陽光の山水」とは、まさに本作を意図しているようだ。
 この画面のなかには、瀟湘八景の各図がたくみに織り込まれている。
 会場では、ガラス面の左右に丸いシールが4枚ずつ貼られており、屏風のどこが、八景のどれに該当するかが、わかりやすく示されていた。瀟湘夜雨は見つけやすいけれど、煙寺晩鐘はシールの助けがなければむずかしい。
 探す楽しみを提供しつつ、鑑賞者を臥遊へと誘う仕組みとなっている。

 《瀟湘勝概図屏風》のシームレスな大画面の使い方は、「離合山水」の着想へと発展していく。
 屏風の各扇が独立した紙に描かれ、密着しない形式を「押絵貼(おしえばり)」と呼んでいる。それぞれの扇には異なる絵が描かれ、単独での鑑賞が成り立つようにもなっている。
 出光美術館所蔵の晩年の作《十二ヵ月離合山水図屏風》(重文)。押絵貼の形式をとり、各図の独立性を保持しながらも、隣り合う図どうしにゆるやかな連続性をもたせている。山の稜線や岩の形状が、左右でつながっているのだ。
 離合山水の発想は中国絵画の三幅対にみられるが、大雅はそれを、さらなる大画面に応用した。また、ただ絵柄がつながっているというだけでなく、六曲一双の12扇分を12か月に割り当て、右から左へ視線を移していくごとに、時間・季節が巡っていくようにしている。1年を、屏風全体で表しているのである。

 12図・12か月の随所に、大雅はさまざまな仕掛けを残している。
 舟が3つ寄り集まって、船上の人がなにやら楽しそうに談話している(3月)。にたにたしながら水鳥に手を伸ばそうとする童子がいる(4月)。ブシャーっと勢いよく流れ出る滝(7月)。小屋のなかで酒盛りに興じる仲良し3人組(10月)。雪が積もる細道の真ん中に、人のとおった跡ができている(11月)……などなど、ディテールのいいところがあれもこれも、次々と浮かんでくる。

リーフレット表紙は4月の図


  「引き」の全体としても、「寄り」の部分的にでも、鑑賞が成立する。
 このありようは、《瀟湘勝概図屏風》にみられた瀟湘八景の違和感ない融合と、非常に近しい性格を感じさせる。
 まず中国への憧憬があり、瀟湘八景を統合したシームレスな画作りの発想があり、シームレスさと独立性を併存させた晩年の離合山水へと収斂していく……完璧な構成。しかも、離合山水は出光美術館の館蔵品の目玉でもある。
 わたしは前々回の最後に、

本展の真価は、名品がたくさん観られる点もさることながら、その構成のきれいさにこそあるのでは

池大雅 陽光の山水:1 /出光美術館

とまあ、こういったことを書いたのだが、それはこの美しい流れを指して言ったものだった。
 ミステリーがそうであるように、伏線回収がきれいにいくと、読後感がきわめてよい。本展の満足感が高かったのは、作品そのもののよさ、そして展示構成のよさのどちらもが関係している。(つづく)


陽光を受ける竹林。青梅にて



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