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宇陀松山の街歩き

 又兵衛桜から来た道を引き返すと、宇陀の市街地・松山地区に達する。
 山頂に構えられた宇陀松山城。その麓の川沿いに形成された宇陀松山地区は、大和国と伊勢国を結ぶ要の地ゆえ商業が栄え、現在も漆喰塗りの大店がこれでもかと軒を連ねている。平成18年には「街並みの国宝」といわれる国の重要伝統的建造物群保存地区(重伝建)の指定を受けた。

 レッテルで判断するのは好むところではないけれど、この「重伝建」というものに関しては、旅の計画を練る際のよい目印になりうると考えている。
 重伝建は、全国にわずか126か所。そのどこを訪ねても古い街がまるごときれいに残されていて、はずれがない。点ではなく面で、さらにその面が広範囲であってはじめて指定の検討対象になれる。そのなかのさらに極めつけが重伝建なのだ。
 もうあらかた指定されつくしたとみえ、追加指定のペースは速くない(最近は「日本遺産」や「重要文化的景観」にシフトしているようだ)。
 重伝建でない街で思いがけず素晴らしい「点」や「面」に出合う愉しみもまた捨てがたいけれど、重伝建の街は、おしなべて訪れる価値があると思う。少なくとも「旅先に重伝建があるとわかればプランに加えるが吉」とはいえそうだ。

 宇陀松山地区はメインストリートが長く、道の両側には見上げるほど大きな瓦屋根をもつ商家がひしめき合っていた。一棟残っているだけでこりゃ大変……といったクラスの古建築が、ここにもあそこにもあって途切れない。終始圧倒されっぱなしでとぼとぼ歩いていくこの感覚は、重伝建ならではだと思う。

 宇陀は「薬草のまち」。古くは『日本書紀』に、この周辺での薬猟のようすが記されている。
 松山地区に残る大店には薬種問屋が多く、ロート製薬を創業した兄・山田安民、ツムラを創業した弟・津村重舎の兄弟や、アステラス製薬の前身・藤沢薬品工業を創業した藤沢友吉はこの土地の出。また、日本最古にして現役の薬草園「森野旧薬園」がある。
 いまでこそ、奈良の山奥ののどかな街だけれど、日本の医療・薬業にとっては聖地ともいえる場所だ。

森野旧薬園は現在も営業中。写真は吉野葛の加工場
森野旧薬園のカタクリの花
薬局の跡
大通りから、ふと左手を見ると……もう、脇道に逸れずにはいられない
寄り道が楽しい


 ――又兵衛桜+宇陀松山地区の街並みの、合わせ技一本。
 この時点で、時刻はまだ午後1時。旅の一日は、長い。




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