激動の時代 幕末明治の絵師たち:2 /サントリー美術館
(承前)
狩野一信《五百羅漢図》の勢いそのままに、一信を含めた幕末の狩野派の様相を、展示ではまずみせていく。
粉本主義といわれる江戸の狩野派にも、幕末になるといささか異なる傾向がみられた。その点が作品により示され、あの奇っ怪な羅漢図も、なにもないところから突然変異的に生まれたわけではないことが把握できた。
狩野了承《二十六夜待図》(江戸時代・19世紀)のモダンさには、驚いた。
明暗の劇的な対比に加え、ドローン撮影のような視点の高さ、どんより・じめっとした空気の表現が、巧み。
画題の「二十六夜待」とは、詳しくは次のようなものだ。
本作でも、光のさす源に阿弥陀三尊の姿が描かれている。目を凝らさなければ気づかない細かな仕掛けに、二度驚かされた。
山越阿弥陀図、牧谿の山水表現といった古典をベースとしながらも、新しい風のほうをより感じさせる。こんな狩野派もあるのだ。
渡辺崋山に谷文晁、岡本秋暉らの花鳥・山水を挟んで、いよいよ本展の「メインディッシュ」安田雷洲の章に入る。
まぁその、「おいしいもの」というより、「劇物」というほうが正確な気もするのだが……いわんとするところは、次の《赤穂義士報讐図》(江戸時代・19世紀 本間美術館)を観ていただければ、一目瞭然かと思う。
……この異様さである。「忠臣蔵に、こんなシーンあったっけ?」とは思ってしまうものの、凍てつく冬の夜の静けさに漂う終局の安堵感、そしてなにより、尻もちをついた小太りの人物が後生大事に生首を抱える姿から、仇討ちを果たした大石内蔵助が、憎き吉良上野介の首を感慨深げにながめている場面だと、いちおうは解釈できよう。いちおうは……
全体的な筆致・描きぶりからしてもそうだが、とくに中央の手のひらを返して隣の人に顔を寄せるポーズなどに、どうも日本の絵らしからぬ雰囲気がある。江戸後期の絵画にしばしば感じる同種の異様さは、西洋の出版物から図様を借りてきたことに起因するケースが多く、本図もご多分に洩れない。
もとになった図は、オランダで出版された聖書の挿絵「羊飼いの礼拝」であった。場面の意味はまったく無視して、人物の構図やポーズだけを、そのまま借用している。
すなわち、嬰児キリストを抱く聖母マリアは、吉良上野介の生首を抱える大石内蔵助に置き換えられている。内蔵助から、そこはかとなく滲み出ていた「母性」は、けっして錯覚ではない……
異様な図の異様たるゆえんは、後の世の研究者によって、かくして暴かれた。まさかバレてしまうとは、雷洲も予想だにしなかっただろう。
なお、背景の針葉樹は原図には見当たらず、雷洲の創意による。同じ描きぶりの針葉樹が、隣のこれまたヘンテコな山水図にも描かれていて、興味深かった(下図)。
(つづく)
※原図の画像は、こちらのページで見ることができる。
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