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又兵衛桜:2

承前

 室生寺の最寄り・室生口大野駅と、長谷寺の最寄り・長谷寺駅に挟まれているのが榛原(はいばら)駅。その駅前ロータリーから20分ほどバスに揺られ、さらに20分強も歩いたところに、又兵衛桜はある。奈良市内から向かうならば、乗り換えなども含めて2時間はみておきたい。
 電車から見えた奈良盆地の桜は満開でも、山がちな宇陀の桜はまだつぼみ。バスの窓越しにその固く閉じたさまを認めるたび、ひやりとした。きょうは、例年の開花時期ぴったりのはずだったのだ。

 バスを降りてからの道すがらは、すこぶる気持ちがよかった。土地の人にとってはなんてことのない暮らしのひとコマながら、春めく田園風景はわたしの旅情をそそるにじゅうぶんなものだった。又兵衛桜が咲いていなかったとしても、まあいいか。そんな気分になってきた。
 目的地を目指して進んでいく――その過程にもまた、旅の愉しみは転がっている。

山里の細い道を歩く
個人の小さな畑。菜の花もあちこちでみられた
点々と各所で色をつける山桜

 又兵衛桜のつぼみはよくふくらみ、あと幾日もすれば満開というところだった。

 又兵衛桜は別名を「本郷の瀧桜」という。本郷は、このあたりの集落の名。
 黒田官兵衛に見出され、のち豊臣に仕えて数々の武勲を挙げた後藤又兵衛基次。大坂夏の陣での壮絶な最期でも知られているが、ここ本郷の地には、その又兵衛がじつは生きのびており、出家して余生を送ったと伝わっている。
 屋敷跡とされるのが又兵衛桜の立つ場所、石垣はその名残だとか……いわゆる「落人伝説」で、これだけでも心惹かれるものがある。
 ありがちな伝承と一笑に付すこともできるだろう。
 けれども、にわかにそうとは断じがたい思いにかられるのは、「古武士」と形容される桜の枝振り、立ち姿ゆえ。

ひこうきぐも!
この角度から見ると、いかにぎりぎりなバランスで立っているかがよくわかる

 苔むした古い石垣もまた、桜の老木の古武士たる風格をかきたてている。石垣の縁(ふち)ぎりぎりのところにかろうじて立っている姿は、まさに、白髪を振り乱して奮戦する老将さながら。
 唱歌『荒城の月』に歌い継がれるように、荒れ果てた城跡・石垣というものは、ことさらに哀感と風趣を呼ぶものだ。あれほど栄華を極めたのに、往時をしのぶものは石垣だけ……それが、又兵衛のイメージとも重なりやすかったのだろう。
 豊臣の忠臣にして豪傑の又兵衛は、歌舞伎や講談の題材にしばしば取り上げられた。判官びいき、日本人好みの要素が満載のヒーロー像である。
 幹の周囲およそ3メートル、高さ13メートルを誇り、かつ枯淡の趣をもかもすこの桜木は、たしかに「又兵衛桜」と呼称するにふさわしいように思われた。

 こうして写真を見返すと、しっかり咲いているようにも見えるけれど、ほんとうの満開を迎えたとき、この老木はどんな表情をみせるのだろう。そのときをみはからって、また訪ねてみたいと思った。



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