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廃墟とイメージ ─憧憬、復興、文化の生成の場としての廃墟─ /神奈川県立金沢文庫

 18世紀のヨーロッパでは「廃墟画」と呼ばれる絵画が流行した。古代ギリシャ・ローマの昔に思いをはせ、往時の栄光の姿ではなく、草木に呑まれ崩落した遺跡を描くことで、懐古と哀感の情を誘うものである。
 廃墟画を取り上げた展示は過去に何度か開かれており、渋谷区立松濤美術館「終わりのむこうへ : 廃墟の美術史」(2018〜19年)が記憶に新しい。西洋の廃墟画を起点に、日本の近世・近代・現代の美術作品にみられる廃墟のモチーフをみていく展覧会であった。

 神奈川県立金沢文庫による本展では、松濤美術館の展示ではほぼ扱われなかった、主に日本中世の美術・信仰・文学にみられる廃墟のイメージについて考察している。

 金沢文庫そのものが、かつては廃墟であった。
 金沢北条氏の居館内に設立され、和漢の貴重書・経典が収集・架蔵された中世の金沢文庫は、鎌倉幕府の滅亡とともに主(あるじ)を失い、まもなく荒廃と資料の散逸がはじまった。
 居館の持仏堂に由来する、隣接地の称名寺も荒廃。それでも、近世に幕府の援助を受けて寺は再興、寺に残されていた文庫の資料は神奈川県立金沢文庫へと引き継がれ、一括で国宝に指定されている。
 本展でも金沢文庫伝来の資料が存分に活用されていたし、中世の蔵書印が捺された里帰り品も展示資料には含まれていたのだった。
  「廃墟」は、この館のアイデンティティにかかわるテーマといえよう。

金沢文庫の隣・称名寺のみごとな浄土庭園

 展示を拝見するまで意識したことがなかったが、廃墟のモチーフは、平安・中世に生み出された文芸作品のところどころに顔をのぞかせている。
 廃墟や遺跡に対して「諸行無常」「盛者必衰の理」のまなざしを向けるのは、今も昔も同じだった。
 藤原道長が造営した法成寺は、『徒然草』の頃にはすでに廃墟に近い状態で、兼好は懐古の対象として捉えている。『源氏物語』にも、あばら家に哀れな女ひとり……といった象徴的な廃墟の場面が頻出する。
 本展では、文字資料や絵画資料を用いてこれらの事例を紹介するほか、金沢文庫の専門領域といえる仏教美術史の文脈のなかで、さまざまなトピックが取り上げられていた。

 法華経には、苦しみにまみれた現世を「火に包まれる家」になぞらえるくだりがある。「三車火宅の喩え」である。

 会場ではその絵画化の例として、富山・本法寺の《法華経曼荼羅図》、奈良国立博物館の《法華経曼荼羅図》(いずれも重文)といった大幅(たいふく)の鎌倉仏画を展示。
 現世の富を表す豪奢な御殿が、紅蓮の業火に包まれる……そのさまもまた栄枯盛衰を物語るといえ、廃墟を見据える視線と重なる面が大いにあろう。

 ——中世にかぎらず、さらに視点を広げていけば、日本美術史・文化史における廃墟へのまなざしを示す興味深い事例は、まだまだ見つかりそうだ。今後の考察のヒントになりうる展示であった。



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