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土門拳展 祈りの風景 〜土門拳自選作品集より /写大ギャラリー

 この春、東京近郊では、写真の展示が充実している。


東京ステーションギャラリー「生誕120年  安井仲治  僕の大切な写真(~4月14日)

東京国立近代美術館「中平卓馬  火―氾濫(~4月7日)

東京都写真美術館「没後50年  木村伊兵衛(~5月12日)

東京富士美術館「没後70年  戦争を越えて―写真家ロバート・キャパ、愛と共感の眼差し―(4月9日~6月23日)

 こうもいろいろと大規模な写真展が開かれているなかで、土門拳の、しかも寺や仏像が目立つものを選んでしまうあたり、なんだかんだでわたしは、やはり古美術寄りの人……

 会場の「写大ギャラリー」は、中野坂上駅の程近く、東京工芸大学のキャンパス内にある。今回が初めての訪問。
 同大学の旧称は「東京写真大学」。さらに前身の旧制専門学校の頃を含めて、著名な写真家を多数輩出。親しみを込め、いまなお「写大」と呼ぶ人も多い。それで、こうしてギャラリーの名前としても残っているわけだ。
 大学構内らしく、チャイムが鳴りわたり、吹奏楽の練習をする音が聞こえてくるなかで作品を拝見した。

 本展は『土門拳自選作品集』(世界文化社  1977年)所載の作品から、古仏・古寺、自然風景や植物のカットを集めて構成されている。この豪華本に向けて注がれた、土門本人やブックデザイナー・亀倉雄策によるこだわりを背後に感じ取りながら、写真を観ていく趣向となっている。
 出品の全作品の画像が、公式ページから閲覧できるようになっている。じつに太っ腹である。

 被写体となっていた古寺は、京都では龍安寺や西芳寺、奈良では法隆寺、室生寺あたり。古寺ではないが、桂離宮の敷石を写したカットもあった。
 本展のポスターにも採用された《法隆寺遠望》(1961年=下のサムネイル)。
 菜の花の海の向こうに、法隆寺の伽藍を捉える。色彩、人と自然、古(いにしえ)と今、静と動……画面の手前と奥でせめぎあう、鮮烈な対比がまぶしい。

 同じような方角、もう少し近くから撮った入江泰吉の写真が思い出された。ちょうど、土門の写真でいう「菜の花の海」を隠したような寄りの構図で、土門と入江の視点の違いが感じられた。

 仏像の写真は、広隆寺の弥勒菩薩、法隆寺の百済観音など、京都・奈良の有名どころを写したものが並ぶ。他には臼杵摩崖仏と、半分雪に埋もれたどこかのお地蔵さんのカットが含まれていた。
 上のリンク先に画像が出ている《浄瑠璃寺金堂吉祥天立像面相》(1965年)。お像の正面をはずして、右斜め下から。絶妙な角度とクローズアップである。顎まわりのやわらかなラインや、衆生を見据える切れ長のまなざしが際立つ。
 この近くでは、法隆寺の百済観音を縦位置の顔面どアップで、飛鳥大仏を横位置・眉目と鼻筋のみで収めたカットが展示されていた。
 こういった大胆不敵な拡大ぶりこそ、土門拳の真骨頂。これを「思いきりのよさ」といいたいところだが、おそらく土門にいわせれば「絶対にこのアングル、トリミングでしかありえなかった」のだろう。
 対象をじっと見つめ、意図を超えて「これだ!」と確信できたそのとき、力いっぱいシャッターを押す。
 仏像にしても、花や草木など自然を相手にしても、それはなんら変わりがなかった。土門の個性に支配されたギラギラの写真たちからは、そんなことがうかがえたのであった。

 どう考えても、入江泰吉とは対照的だ。
 わたしなどはそれこそ、若い頃は土門のほうがすきで、入江のよさを、じつはよく把握できていなかった。
 いま、土門が苦手になったわけではもちろんないけれど、年を経るごとに、入江作品の沁み入ってくるような魅力を、じわじわと感じるようになっている。
 みずからの意識が及ばないところで、さまざまな感性や感情、体験が作用して、気づかぬうちに変容していく。これも芸術の奥深さ・懐深さであり、愉しみといえるのだろう——そんなことを考えながら、帰路についた。


法隆寺と同じ斑鳩・法起寺の古塔


 ※山形県酒田市の土門拳記念館が、来年度から改称されるという。「土門拳が写真家であることを知らない世代も増えてきている」……なるほど。土門以外の企画展示や巡回展も積極的に開いているので、「美術館」のほうが違和感はたしかに少ない。



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