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化け物たれ

別格の能力を持つ者への誉め言葉として「人間じゃない」「化け物」といった言葉が使われることがある。今やほぼすべての語彙を内包する「ヤバい」と同系統の強調の意味で使われているがこういった「自分と同じ存在であることを否定することによって間接的に相手のステージの高さ、格の違いを強調する」タイプの言葉の使い方はあまり好きになれない。単に相手もまた人間であり、そこに多少の能力や才能の差があれど活躍の舞台が違うだけであり試行錯誤しながら生きているという現実は揺らがないからだ。 多少常人離

    • 人はテレパシーを使えない

      ここ一年間こそ人脈に恵まれているがそれ以前は全くといっていい程人との関わりが無かった。その弊害か周りの雰囲気や空気といった感情の機微を察することはとても苦手で対話相手の心情も快か不快かぐらいしか分からない。不快と分かってさえそれをどうすれば取り除けるのかも分からず、ただ必死に自分の頭の中を言語化することに精一杯になっている。 人との関わりが無かったのは単純に面倒を避けてたからで今の状況は自業自得でしかない。その自業自得の所為で今関わってくれてる人たちを傷つけてしまっているかも

      • 印象は変えられるし、変えなければいけない

        人から受ける印象と事実が一致しないことは度々ある。「賢そう」な人のテストの点がダメダメだったり、「元気そう」な人が毎日泣くほど苦しんでいたり、「何も考えてなさそう」な人が全てを裏から操っていたり。何かしらの形で経験があるのではなかろうか。 ではこのギャップは何によって持たされているのだろう?もちろん単に演じている場合もあるだろうが当人に全く自覚のない場合も多い。 これはきっと強烈な印象による補完のせいだろう。言ってしまえば偏見。こういう特徴を持つならこうであるはず、と見えな

        • 考え事のコツ

          バス停のベンチで鳩に餌やりしている中年女性を見かけた。真っ先に感じたのは野生動物への餌付けのリスクを理解していない事への不快感だったがすぐに収まり、次に感じたのは呆れと好奇心。どうしてこんな事するんだろうと理解不能な未知に対して恐怖と同時に疑問を抱いた。その後は分かるわけもない理由をこじつけで妄想する。社会に上手く馴染めず人との関わりが無くなり、暖かさに飢えるもペットを飼う余裕もなく、特に趣味といった趣味もろくに無い人生。今は鳩に餌をやっている時間が生きがい…だったりするのか

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          だから憧れはやめられない

          自分の憧れはなんだろう。大昔ボウリングのプロを見てカッコイイと思ったことが最初だったような気がする。よく覚えていないが新鮮で楽しい記憶のあったボウリングに対してその極地を見てみたいと思ったからなのかもしれない。詳しくは幼少期の自分に聞いて欲しい。 その次はプロ野球選手。特別野球が好きだった訳でもないが家で点いている野球中継の中で動いている一人一人にスポットライトが当たっているように輝いて見えて漠然と『あんな風になれたら』と思っていた。 小学生時代は友人からの誘いでソフトボール

          だから憧れはやめられない

          お金なんて

          合わないと判断したバイトを半年で辞めてから2ヶ月が経った。代わりのバイトも見つからず今の月収は掛け持ちしていた家庭教師で稼ぐ2万円と交通費として親から支給される1万円の計3万円だ。 交通費の1万円はしっかり消し飛ぶが、実家暮らしのおかげで他の生活費用は昼食代だけ。通信費を負担してもらっている上水道代電気代も払わなくて良いため、稼いだ2万円はほぼ自由に使うことができる。 食費込み月2万円。決して多くは無いが生活に支障が出るほど少なくはない。とはいえ多くもなく毎回昼食代に500円

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          怒れる強者と絶望するゾンビ

          現代社会においては怒りの感情を見る機会があまり無い。怒ってその場の状況を変えるよりもそこから離れて怒る必要の無い新しい居場所へ移る方が省エネで楽だからだ。 怒りが持つエネルギーはかなり大きい。発するだけで他の感情とは比にならないほど疲れる。SNSで人間関係の距離感がバグった現代人にとってこの疲れはコミュニケーションに対しての恐れをも生み出すはずで、ならば必然的に怒りそのものを消し去り余ったエネルギーを人間関係の保全に充当していることは想像に難くない。怒る事自体が体力的に非効率

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          友好の夢

          「友達がいない」と嘆いている人間は大きく2種類に分けられる。関係を保っている人自体が皆無な人、良い関係自体はあるが自身の中の『友達』の基準が高いが故にいないと認識している人の2つだ。 このうち前者は一歩踏み出すことさえできれば状況の改善が見込めるが、後者はそうもいかない。外から見ると仲が良さそうに見える関係でも当の本人に自覚がない。そのためまず今持っている関係に対して視点を変えなくてはならない。 この視点を変えるという作業が厄介でその性質上視点を変えたい人自身だけではできない

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          何故パートナーを欲するのか

          この時期になると恋バナが増える。新生活で浮ついた心がさらなる輝きを求めているのか、新たな生活と共に新たな出会いを期待し妄想が捗っている人が増えてくる時期だ。 しかし正直微塵も興味のない自分からすれば目に余る。一過性のものならまだしも頻繁に再熱しては、特に深堀られることもない聞いてるだけでむず痒い話題が続くからだ。 恋愛事は深堀りしてはいけない空気が漂っている辺り、比較的デリケートな話題として認識されていると思うがその割に耳にする回数が多い。デリケートだからこそ他人と共有するこ

          何故パートナーを欲するのか

          今年も桜は咲いている

          志望校合格を「サクラサク」と表現することがある。発表がある春のイメージと蕾から花が開くポジティブなイメージが混ざり合うよくできた表現だと思っている。 だが個人的にこの表現はあまり好きではない。なぜなら桜の花が咲く事は毎年当たり前のことで人生を左右する合格とは不釣り合いに思うからだ。 これは桜が咲く事の感動が薄いと言っているのではなく、単に美しさの性質が違いすぎるという話だ。桜は木が枯れない限り毎年花をつける。春に対し「桜の花が咲く時期」の認知が大衆に染みつくほどに桜の花は日

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          ゲームと自分

          物心ついたころからゲームと共に生きてきた。叔父にWiiとDSの遊び方を教えてもらい幼少期からマリオにドラクエ、ゼルダにポケモン、パズル系にクイズ系、パーティーゲームに加え太鼓の達人マリカーカービィモンキーボールetc…数えきれないほど幅広いジャンルのゲームで遊んだ。熱中しすぎて一日一時間の制限を超え母の逆鱗に触れた回数も同じく数えきれない。 当時祖父母宅にしかゲーム機が無く二日に一回ぐらいのペースで通っていた。テレビは録画分以外に興味を示せなかったしマンガは叔父が貰ってくる二

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          大人の労働と日常の果て

          自分はもう十日もすれば二十歳になる。未成年という人生のチュートリアル期間7305日が終わりを告げ、未熟だからと社会にかけられていた制限がほぼ取り払われる。そうして立派に成熟した一人の人間として社会的に認められることになる。 だが実態はどうだろう。自分自身成熟なんて言葉からはかけ離れているように思う。チュートリアルをサボっていたつもりは無いがこの先無事に人間をやっていけるのかが不安でならない。趣味は物心ついたころから変わっていないし特技と呼べるものも無い。精神の根底はまだ少年

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          日常とずる休み

          休息は生命活動に欠かせないものであり、生活基盤を整えるという意味では根本的に生命の目標といってもいいものだ。 人間にとってもそれは変わらない。労働の義務は人権を侵害するものであっていいはずがない。 どうしても休めない時なんてものは存在しない。全部背負ったプライドが見せるまやかしにすぎない。だが生物である以上休まないと壊れる時は確実に存在する。どんな人間も十日寝ないと発狂するし三日飲まず食わずなら命に関わる。当たり前だが当たり前すぎて普段は意識していない人がほとんどだろう。

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          あらゆる価値

          「価値観は人それぞれ違う」、もう何度聞いたかも分からないフレーズ。この言葉の前にはどんな主張も霧散し、常識すら瓦解する。人間社会における理であり同時に最強の爆薬だ。 この言葉は異物から身を守る事、周りから排除することにすこぶる強い。だが多用すると強すぎるあまりに、巻き込まれた関係ない物や果ては必要な物まで消してしまう。使い所を考えるべき言葉だ。 しかし現状よく聞くし、よく見かける。SNSのトレンドワードといっても良いんじゃなかろうか。価値観の多様性を説く人間は日に日に増え、

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          メメント・モリ

          季節が移ろっていく時はいつも切ない気分になる。今まであった日常が変わっていくのがどこか寂しい。それが例え憎たらしい暑さや手足を突き刺す寒さだったとしても過ぎて日常から失われていく時には何故か愛おしくなっている。 時は平等に全てを変えていく。人も、物も、心も。もし自分だけが止まったとしても周り全てが変わっていくのだから結局影響されて自分も変わっていく。変わることを避けられない。変化に対してはどうしても恐怖が付きまとう。分からないから。人が、物が、心がどうなるか分からないから。そ

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          揺れる炭酸飲み干してサヨナラ

          冬も終わりそうになってきた。新しい生活の足音が近づいてくるこの季節はいつもちょっとした期待があり、早く桜が咲かないかなんて考え始めるのもこの辺りの時期。 そして始まりがあれば終わりがある。年度の終わりということで離ればなれになる人が多くいるだろうし、年度中に厄介ごとを終わらせておいて新年度に備えるという人も多い。人間関係の変動が一番増える季節だ。

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