元テレビっ子、激怒

 僕は小さい頃からテレビが大好きだった。もっと言えばテレビの中で爆笑を取るお笑い芸人が。僕にとってあの頃のテレビは芸人のためのステージだった。アイドルにも俳優にも大して興味の無かった僕にとっては芸人が何よりもカッコいいものだった。正直、芸人に憧れた事だってある。

 しかし、テレビっ子だったのは小さい頃の話で最近はあまりテレビは見ない。もちろん好きな番組はいくつかあるが、その数はテレビっ子と呼ぶには乏しい。では何故テレビを見ることが減ったのか。芸人が面白くなくなった...訳ではない。芸人は今も僕の中ではカッコいい存在だ。自分の実力を棚に上げていいのなら今すぐにでも芸人になってその輪の中に入れて欲しいぐらいだ。

 番組が面白くない。

 芸人が芸をさせてもらえていないからだ。これは大問題。野球をさせてもらえないプロ野球選手、歌を禁じられた歌手、厨房に立てないコックさん。芸人が芸を封じられると言うことはそれぐらいの事だ。

 ちょっと前からよく聞く「人を傷つけないお笑い」と言う言葉があまり好きではない。この言葉を使う人は"イジリ"を「人を傷つけるお笑い」だと思っているのだろう。僕に言わせればまずここがおかしい。イジられる芸人は例えるなら"スタントマン"だと思う。「やめてくださいよ!」とは言う。(本当に嫌な場合はカメラ回っていない時にそれを言うだろう。)逆に「イジってくれてありがとうございます」なんてカメラの前で言うならそれはもうスタントマンとは言えない。もちろん、イジる側もプロだ。そのプロ同士のやりとりを何を勘違いしているのか、イジメと同列に扱う一部のピュア過ぎるおバカさんが大きな声で騒ぐ。そういう人は映画の中で事故が起きた場合も通報しているのだろうか。

ある芸人がこんなことを言っていた。

お笑いを東京来て初めてみたときに、貧乏とかね、頭が悪いとかね、ルックスが悪いとかっていうのをフリートークにして、その人が一番スポットライトを浴びてて、その会場ではその人がヒーローだったわけ。一番カッコよかったわけ。なんていい世界だと思ったのよ。一般の世界は、貧乏も隠さなきゃいけないし、頭の悪いとこも隠さなきゃいけない。でも馬鹿にされることがこの(お笑いの)ステージだと一番カッコいい人になってる世界をみて、いいと思ったの私は。だから私は、ブスの役をやることはどっちかというと、いいことやってると思っている。

 芸人に対してカッコいいという感情はずっとあったが、その理由を具体的に表現する事ができずにいた。この話を聞いた時、コレだ!と思った。こんな気持ちで舞台に立っている芸人がいるにも関わらず、それを自分のコンプレックスと勝手に重ねて勝手に同情(同情にもなってない)しているという構図がイタすぎる。自分の安易な発言が誰かの仕事を奪っているのかもしれない事を自称活動家(笑)の方には今一度認識してほしい。

 めちゃ×2 悲しいことにお笑いを否定しているのはお笑いに疎い人である事がよくある。つい先日問題になった小林賢太郎のラーメンズ時代のネタに関しては「ネタを見たことはないのですが...」から批判している人もいた。マジか?せめて見て言え。もし学生時代に先生が「テストの答案用紙見てないんですけど17点です」って言ったらブチギレてたでしょ。

そもそも、芸人同士のやりとりは芸。それを僕たちの日常とごっちゃにしてはいけないと思う。

 せめてお笑いに関しては、そこの区別がつかない人は黙っておいてほしい。今のご時世、発言の中身に関係なく声の大きいやつの声が届いてしまうのだから。これ以上大好きなテレビを壊さないでほしい。

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