鶴しか折れない
"折り紙"はもともと"御祈紙(おきがみ)"だったと言われている。つまりもともとは祈り事に用いられていたと考えられている。それがいつしか祈りの役割が薄まっていくうちに"折り紙"になったそうだ。嘘である。
折り紙で器用に作られたものが掲示板などに貼られている事がある。上手にできているなぁーと感心してよく見てみると明らかにハサミを使った形跡があった。もちろん1つの作品として見るとそれはたしかに素晴らしいものなのだけれど、僕はそれを"折り紙"として見ているのだから肩透かしを食らった気分だ。
折り紙の作り方を見てみるとハサミを使うものも少なくない。僕はこれに対して昔からあまりよく思っていない。
折り紙が発明された頃
「四角い紙が三角形になったでござる!」
「左様か!?如何様に!?奇術でござるか!?」
「奇術ではないでござる。折ったのでござる。さらに....」
「うわ!?"かめら"でござるか!?魂が抜かれてしまう〜」
「これも紙でござるよ。」
というやりとりがあったはずだ。
きっと彼は、いや彼らを紙を折ることの可能性に胸を驚かせたことだろう。そして作り上げるものはより複雑により複雑に進化していったはずだ。
そしてある日、ハサミを使う曲者が現れた。ハサミを使ってしまえば確かにいろんな形を作ることができる。しかしそれは本末転倒なのだ。極端な話、切り絵になってしまうからだ。ところがそれを否定できないのが良くも悪くも日本人。次第にハサミを使うことを受け入れていくことになってしまったのだ。
最初に折り紙を発明した人、つまり折る事を何よりも信じた人のことを考えると心が痛くなる。公園で遊んでいたら全然知らないやつらとも遊ぶことになって、
そいつらに遊びのルールを好き勝手に変えられていくようなものだ。
そんなやつには折り紙で作った手裏剣を投げつけてやりたいところだ。こんな時に限って折り紙は一枚しかない。
ハサミを使うか。
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