頑張っていた 平野啓一郎の『三島由紀夫論』を読む60
三島の戦後
この文章には正しい点が一つもない。『金閣寺』における金閣寺は絶対者でもなく天皇でもない。寺はたくさんある。明治天皇は寺と縁を切った。天照大神は伊勢神宮に祭られている。伊勢神宮は金閣寺ではない。金閣寺は天皇のアレゴリーとしては描かれていない。平野は金閣寺が天皇の比喩であるという仮説をいつのまにか前提にして『金閣寺』を読んでしまい『金閣寺』を天皇との一体化を断念する話として読んでしまっていることになる。一個人がそういう解釈をすること自体は責められることではないが、