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名前も知らない親子との会話で知った、ちょっと意外で素敵な常識

先日、SNS上でこんな言葉を見ました。

この世に他人なんていない。
まだ出会っていない友達がいるだけだ。


原文:There are no strangers here, only friends you haven't yet met.

ウィリアム・バトラー・イェイツ
(アイルランドの詩人・劇作家)

この言葉を聞いて、ふと思い出したことがあります。初めて、娘を公園に連れて行ったときのこと。

砂場で遊んでいた娘のオモチャを、見知らぬ子供が触ろうとしたところ、その子の母親がこう言ったのです。

「それはお友達のオモチャだから駄目よ~」

全く見知らぬ人が、娘を「お友達」と呼んだことに、違和感を覚えました。赤の他人に使う言葉?と。

でも、それから何度か公園に行くと、初めて会う方々は、やはり口を揃えたように言うのです。「お友達」と。

そう、小さな子供の前では、見知らぬ子供のことを、「お友達」と呼ぶのが一般的なのです。衝撃。(地域差はあるかも?)

僕はこの、一見すると違和感のある常識が、すごく良いな…と思いました。

まさに、誰もが友達であることを、当たり前のように伝えている。今目の前にいるその子は、「他人」ではなく、「まだ出会っていなかった友達」なんだよ、と。

そして実際に娘は、公園で会った名前も知らない子と、楽しそうにおままごとをすることもあります。帰り道には「お友達と遊べて楽しかった〜」と呟いていました。

もちろん、本当の意味での友達になれないこともあるので、綺麗事な部分もあります。たまにSNSやテレビで、人の嫌なところが見えて、それを強く感じることもあります。

でも、大多数はそうではない、本当の意味で友達になれる可能性がある人たちです。だから、最初は「友達」という呼び方から入るのは、すごく素敵だなと思いました。

人間は、一人ひとりは弱い生き物です。でも友達になることで、社会を築くことで、繁栄してきました。価値観が違っても、年齢が違っても、友達になることはできます。

以前に糸井重里さんのブログに、こんな言葉がありました。

4歳も、74歳も、50歳も、それぞれがみんなちがうことを思いながらも、生きている。
「同じ時」に、みんながいる。
そう考えたやつは、すっごくいいぞと思った。

この長い宇宙の歴史の中で、ほんの100年程度しか生きられない僕らが今、「同じ時」に生きている。当たり前なようで、とんでもない偶然でもあります。

そう思うと、本来は誰もが「他人ではなく友達だ」と考えるのは、不自然なようで案外、自然なことなのかもしれません。

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