フジワラコウ

コラムニスト。主に「食」に関する随筆的コラムを手掛ける。人間の心の琴線に触れるような奥…

フジワラコウ

コラムニスト。主に「食」に関する随筆的コラムを手掛ける。人間の心の琴線に触れるような奥深い食の世界を探求し、独自の視点で発信中。 元日本フードアナリスト協会認定講師、元日本ソムリエ協会認定講師。テレビ・ラジオ・雑誌・Web媒体ほか各種メディア出演実績あり。

最近の記事

食育を進化させる「統合的認知」

 人間の認知機能は、心理学・神経生理学等で大まかに知覚・注意・記憶・言語理解・思考という五つの構成要素から為ると考えられている。段階的なプロセスではなく、敢えて構成要素という表現を用いて全体を一括りにするのは、それぞれの機能が複雑に絡み合い、様々な要因で前後し、時に同時多発的でもある特異な連携性を有し、認知とは必ずこの順序で機能するという時系列的な捉え方があまり適していないためである。  人間の五感はこの中で言う知覚の初期段階=感覚に位置づけられ(James Gibson.

    • 食と「こころの健康」

       心身の健康を謳う現行の食育が、実質的に身体的健康のみを目指すものと断ずるならば、食を通じて心の健康を得る具体的な方法を新たに模索することは、これからの食育のあり方を考える上でひとつの大きな足がかりとなり得る。  まず何を以て心を健康と見なすか。それには諸説あると思われるが、一例として日本の厚生労働省の提言には、「自分の感情に気づいて表現できること(情緒的健康)、状況に応じて適切に考え、現実的な問題解決ができること(知的健康)、他人や社会と建設的でよい関係を築けること(社会

      • 身体的健康を目指す「現代食育の限界」

         日本で初めて「食育」という言葉が用いられたのは明治29年(1896年)のこと。福井県出身の医師で薬剤師、また陸軍少将(軍医・薬剤監)としても活躍した石塚左玄が自らの著書「化学的食養長寿論」の中で「体育・智育・才育は則ち食育なり」と説いたのが最初である。  栄養学がまだ確立されていなかった時代に教育の基本は食にあると唱えたその画期的な理念は後世へ脈々と受け継がれ、現在の食育基本法(平成17年6月10日制定)の重要な基盤となったことに因んで、同氏は「食育の祖」とも呼ばれている

        • 食は「五感すべてを同時に働かせる」唯一の高等技術

           すべての生き物にとって食は生命存続のために不可欠な営みであると同時に日常生活における最大の冒険である。なぜなら物を口に入れるという行為は毒物などの様々な危険物や食物以外の異物を体内に取り込んでしまう多大なリスクを伴うからだ。  そのため人間は対象物の見た目や匂い、触感(食感)、酸味で腐敗を、苦味で毒性を判断できるよう高度な知覚機能が発達し、免疫をはじめとする人体の生体防御システムは予期せず体内に侵入したウィルスや細菌等の有害物質を速やかに体外に排除する役割を担っている。

        食育を進化させる「統合的認知」

          「視覚に依存する現代人」が失ったもの

           人間が受け取る情報の8割は視覚からという俗説がある。五感で処理される情報を分かりやすくデジタルデータに置き換えられたと仮定すると、確かに視覚情報は特に膨大なものになるだろうことが素人目にも理解できる。一応その説の出処を探ってみると神経生理学的にそれなりの算出根拠があってのようだが、仮に確たる証拠が無くとも、昨今の視覚に訴えるモノで溢れ返った世の中を一目見渡せばある程度頷けるというものである。  手元のスマートフォンから街中まであらゆる生活空間を埋め尽くす静的・動的な広告コ

          「視覚に依存する現代人」が失ったもの

          人間は誰しもが「高性能センサーの塊」である

           約20種類。これは2024年現在の一般的なスマートフォンが搭載(又は対応)しているセンサーの数である。例えば、本体を持ち上げればモーションセンサーが傾きを感知してバックライトを点灯し、照度センサーが周囲の明るさを読み取って輝度を調整。静電センサーが画面のタッチ位置を割り出し、指紋認証センサーが登録済みの指紋と照合してロックを解除。耳元に近づければ近接センサーが反応して画面を通話モードに切り替えるといった具合に普段の何気ない操作の一挙手一投足が様々なセンサーの働きのおかげで実

          人間は誰しもが「高性能センサーの塊」である

          「日本人の味覚が世界一」という嘘と現実

           日頃、食の情報を漁っていると「日本人の味覚は世界一である」とか「日本人の味覚は海外のそれよりも繊細だ」といった自画自賛とも思える記事を見かけることがある。それらを目にする度、同じ民族の端くれとして反射的に誇らしく感じてしまう自身の正直な一面は否定しないが、実際のところ、筆者としてはその味覚に対する考えの半分は誤りだと見なしている。  少なくとも残り半分を否定しない理由として、日本が四季の移ろう温暖な気候条件の下、四方を海に囲まれ、国土の7割近くを山林が占める食資源の豊かな

          「日本人の味覚が世界一」という嘘と現実

          誰も言わない「うま過ぎてマズい」

           うま味は味覚上の味以外にも様々な作用があることで知られている。前回の記事で触れた相乗効果のほか、人間が口腔内で味を感じやすくするための潤滑剤として必要不可欠な唾液の分泌を促す作用、意外に胃腸内にも分布する味覚受容体と結びついて消化を促進する作用、科学的に検証中のものも含めれば食べ物を口に入れた後の香り、いわゆる口中香の感覚強度を増幅する作用などだ。20世紀の末まで「うま味」の存在に懐疑的で、件のMSGの効能も基本四味の増強によるものと信じていた海外の科学者たちは、おそらくこ

          誰も言わない「うま過ぎてマズい」

          日本が世界に誇る「うま味(UMAMI)」の功罪

           今から遡ること1世紀余りの1908年2月、東京帝国大学の池田菊苗(いけだきくなえ)教授は昆布に含まれる未知の味覚成分がL-グルタミン酸であることを世界で初めて突き止めた。その発見によってそれまで甘味・塩味・酸味・苦味の4種と考えられていた人間の基本味に第5番目の「うま味」が加えられ、5年後には同大学の小玉新太郎研究生が鰹節から新たにイノシン酸を、1960年にはヤマサ研究所の國中明博士が干し椎茸などに含まれるグアニル酸がうま味物質であることを特定した。後に三大うま味成分と呼ば

          日本が世界に誇る「うま味(UMAMI)」の功罪

          日本人は「記号化された味」の奴隷である

           見出しの内容に触れる前に、なぜ大手食品企業が健康志向の消費者心理を弄ぶかのようなフード・ファディズム(※)的商品分野にこぞって手を出すのかということからお伝えしたい。その背景には営利企業としての利益追求という本分も当然あるわけだが、事の本質は消費者の科学的知見を圧倒的に凌駕する各社の研究開発力にある。  どういうことかを紐解くと、まず食品研究開発の学術的な裾野は一般に農学・化学・工学・医学/薬学など多岐にわたるが、そういった各分野の研究者を自社内に多く抱える食品メーカーは

          日本人は「記号化された味」の奴隷である

          日本の食文化は崩壊寸前?

           「和食(WASHOKU)」のユネスコ無形文化遺産登録も気が付けば2013年12月というかつての出来事。一汁三菜を軸にした多品目かつ低カロリーな和食のコンセプトは健康志向の時流にも乗ってか、当時55000軒ほどだった海外の和食店は今や欧米・アジア圏を中心に187000軒と3倍以上にまで増加した(2023年・農林水産省調べ)。その世界的な勢いたるや空前の和食ブームと言って差し支えない。異国の地で和食の伝統性が正しく保たれているかは別の話として、日本の食文化が異文化圏で公式に支持

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