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瀬戸内地方の太鼓台チョウサの調査

(1)長崎のコッコデショ(太鼓山)と瀬戸内のチョウサ(太鼓台)の関係は?

初めて、今日のNHKBS放送で知ったのですが、長崎のおくんち[1]の中で、コッコデショ(正式名:太鼓山)というお祭りがあります[2,3]。これは、7年に1回だけで、長崎市内のある町内会だけが長崎諏訪神社に奉納するもので、重さ1トンの太鼓台を50人くらいで担いで行うものです。
 
これが、瀬戸内海沿岸の、チョウサ(太鼓台)とそっくりの作りで、中央には大きな太鼓を縦に入れて、4本柱の上には五色の大きな座布団を載せた神輿で、太鼓の周りにはそれをたたく少年が4人乗っています。チョウサを空に向かって放り上げては担ぎなおす、豪快な演舞も行っています。この演舞は、香川県三豊市山本町辻にある管生神社では「咲いた、咲いた」という掛け声で行うものと全く同じです。あまりにもこのコッコデショが、チョウサにそっくりなので驚きました。
 
そこで、瀬戸内海沿岸の方や、私の郷里の香川県観音寺市や三豊市の皆さんに質問です。長崎 コッコデショ (太鼓山)と、瀬戸内海沿岸の「チョウサ(太鼓台)」との、歴史的なつながりをご存知の方おられませんか?
 
私は、長崎 コッコデショ (太鼓山)は、瀬戸内海沿岸のチョウサからきているのか、あるいは、逆に、チョウサの源流は、長崎のコッコデショからきているのか、ぜひ知りたいです。
 
2018年11月1日随筆
2022年4月30日加筆

資料
[1] https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E5%B4%8E%E3%81%8F%E3%82%93%E3%81%A1
[2] https://konne-nagasaki.net/odorichou-2018/
[3] https://dailyportalz.jp/kiji/111021149087
 

(2)チョウサ(太鼓台)の文化地域について


 
座布団を重ねたような形をした太鼓台についていろいろと調べてみました。この独特の座布団を重ねたような形をした太鼓台は、布団太鼓、チョウサなどといろいろと名称はありますが、太鼓台の形態が座布団型として認められる一番東は、三重県の名張市のもの、一番西は、長崎市のもののようです。県によって多い少ないはありますが、東から、西に向かって、県名を挙げると、次のようになります。三重県(極少)、奈良県(極少)、大阪府(極多)、兵庫県(多:特に淡路島が多い)、徳島県(少)、香川県(極多)、愛媛県(極多)、高知県(極少:1か所のみ)、岡山県(少)、広島県(少)、宮崎県(少)、長崎県(極少:1か所のみ)。なお、和歌山県には似たようなものがありますが座布団型のものではないようです。したがって、私が調べた範囲では、近畿、中国、四国、九州のうちで、和歌山県、山口県、大分県などには、座布団型の太鼓台はないようです。また、高知県四万十市と長崎県長崎市の座布団型の太鼓台は、江戸時代末期と中期に、それぞれ大阪の堺から伝わったという伝承が残っています。宮崎県のものは香川県から伝わったといわれているようです。したがって、座布団型の太鼓台は、江戸時代に、瀬戸内海沿岸の海上交通によって、堺から各地に伝わったようです。一か所だけ北海道に、座布団型の太鼓台がありますが、これは、香川県三豊市財田町から、姉妹都市の北海道洞爺市に譲渡されたもののようです。
 
 2018年11月4日随筆
 
*なお、冒頭の写真は、20年ほど前、香川県観音寺市の駅前で、お土産として買った、チョウサの模型です。信州上田の我が家の神棚に飾っています。遠く信州にいて、郷里の讃岐(香川県)を思い出すよすがとなっています。

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