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3歳の頃見た日食の年月日時刻が特定できた感動

1. はじめに


 私は、大変幼いころ、たぶん3歳のころだと思いますが、生まれて始めて、日食を見ました。その日は、12歳年上の長兄に教えられて、煤をつけたガラス板を作って、そのガラス板越しに日食を見ました(1)。私は、お日様が欠けるんだと、大変驚きました。それで、何十年もたった今も鮮明にその光景を覚えているのですが、それが、いつだったのか、今まで全くわかりませんでした。しかしながら、最近(2009年)、ネットで「お星さまとコンピュータ(http://star.gs/)」というウェッブページ(ホームページ)を発見し、その中に、<日食/日食の再現/過去に日本で見られた日食>という項目がありました。このホームページから、年月日時刻を特定でき、大変感動致しました。それで、この主催者のゲストブックに、下記の様なお礼のメールを出しました。
 

2. Starさんへお礼のメール


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 貴殿の「過去に日本で見られた日食」の記事に大変感謝します。 
 私は現在57歳((71歳)1952年5月生まれ)で信州に住んでいますが、私が幼稚園に入るか入らない当時は、香川県三豊郡山本町(現三豊市山本町)に住んでいました。香川県に住んでいたその大変幼い時、そこで(部分)日食を、生まれて初めて見ました。それは、いつだったのか、貴殿のホームページによって初めてわかりました。
 それは、昭和30年(1955年)6月20日12:41~14:27(香川県)ものでした。有り難う御座います。奇しくも今日も(2009年の)6月20日ですので、丁度54年前になります。その時私は3歳になったばかりでした。
 その日、私の12歳年上の長兄(当時15歳)が、分厚いガラス板のかけらをローソクの火の上にかざして、煤をその表面に真っ黒になるまでつけて、このガラス板で今日の日食を見るのだと教えてくれました。私はまだ大変幼くて、この煤つきガラス板を、見よう見まねで作るとき、ガラス板をローソクの火に近づけすぎて割れてしまいました。長兄が、ガラス板を火の上で左右に揺らして過熱しないようにしてうまく煤をつけるのだと教えてくれ、今度はそのとおりにしたら割れずにできました。それで、太陽を見たら、確かに2~3割が、お月様のように欠けていたのが見えました(1)。強烈な印象だったので、54年もたった今でもはっきり覚えています。
 今年(2009年)、私の大学院生の息子(24歳)は、近々奄美大島付近で起こる皆既日食を、わざわざ奄美大島まで見に行くのだと言っています。この今年の皆既日食のことがきっかけで、私が初めて見た部分日食の遠い記憶がいったいいつだったのか大変気になり、ネットで調べだしたところ、貴殿のホームページを発見して、年月日が判明したという次第です。感動いたしました。改めてお礼を申し上げます。有り難う御座いました。
                 平成21年(2009年)6月20日                    
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3. おわりに


ネットは偉大ですね。いろんな趣味や知識を持っておられる方々が、それぞれの分野で蘊蓄を傾けられて、素晴らしい内容のホームページを立ち上げておられます。おかげさまで、私たちは、個人では、難しい分野の事まで、わかるようになっています。ネットは正当な使い方をすれば、多くの皆さんに、大きなメリットを与えるものですね。
 
 
注(1):現在はこの煤つきガラス板で 日食を見るのは禁止されているようです:ご参照:https://www.nao.ac.jp/phenomena/20090722/faq.html#q7
 
*なお、冒頭の写真は下記のURLのフリー画像から、引用させて頂きました。
https://flower.yodoyabashift.com/eclipse1.html
 
 
平成21年(2009年)6月20日 随筆
令和5年(2023年)9月27日 加筆

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