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2023年映画感想No.2:そして僕は途方に暮れる ※ネタバレあり

映画作品としての見事な語り口

109シネマズ川崎にて鑑賞。
三浦監督が作・演出した原作の舞台は未見だけれど、部屋から部屋へという元の演劇から引き継がれたであろう構成の持つ面白さを維持しながらそれをブリッジする移動の場面が映画的演出によって展開を潤滑にしていて"映画作品"としての見事な語り口に引き込まれた。
主演のKis-My-ft2の藤ヶ谷さんの演技は初めて観たのだけど、原作舞台でも同じ役を主演しているだけあって凄まじいハマりっぷり。普段アイドルしてる人だとは思えないくらいダメでかっこ悪い人物を身も蓋もなく演じられていて素晴らしかった。

圧倒的にダサい主人公造形

映画史に残るダサい主人公だと思う。映画が始まった時点ですでに人並みにダサいのだけど、そんなダサさに向き合えず逃げて逃げて逃げ続けるのが輪をかけて彼をダサくしている。その誰よりも弱く、醜悪で、みっともないという人間性が主人公を主人公たらしめている。
「主人公が寄生している家の家主と上手くいかなくなりその場所から逃げ出す」という展開を繰り返す序盤は、単純にその家の人と上手くいかなくなる主人公の愚かさが場面の展開として滑稽で面白い。少しずつ関係性が遠い人を頼らないといけなくなるにつれて主人公自身の居心地は悪くなっていくしめんどくさい事もやらないといけなくなるのだけど、色々譲歩して折り合いをつける姿がまた情けなくて笑ってしまう。

主人公の根本的な欠落を少しずつ浮かび上がせる構成の妙

同じシチュエーションを積み重ねる構成だからこそ関わる人物や状況の変化自体が場面の面白さになっているのだけど、その上で主人公が誰を頼り、誰を頼りたくないのかが見えてくることによって少しずつ彼の欠落の根本が浮かび上がってくる構成が上手い。
問題が発生するたびにその場から逃げ出し、を繰り返す中で主人公は段階を追って彼が当たり前に享受してきた日常を否定されていく。そうやって主人公の空虚さが浮き彫りになるにつれて、そもそも映画が始まった時点よりはるかに前からずっと彼はこうやって生きてきたのだということが見えてくる。
主人公は今の彼を構成しているなけなしの繋がりを失っていくことで逃げ続けていた自分自身と向き合わなければいけなくなるのだけど、少しずつ彼にアイデンティティの欠落そのものを突きつける存在に近づいていくように連絡する人物の順序が設定されているのが構成として緻密だった。

部屋と部屋を繋ぐ移動の場面に込められた象徴性

また部屋と部屋の間を繋ぐ移動の場面にも常に物語を駆動させる象徴的な演出が織り込まれていて素晴らしい。
勢いよく逃げ出した主人公の足取りは徐々に重くなり、自転車も奪われ、最後には止まってしまう。その運動的な変化だけで彼の行き詰まりがしっかりと表されている。
親友に追い出された直後には警察に呼び止められ自転車の無灯火を注意されるのだけど、上の立場の人間にはすぐに従う主人公の卑小さがちゃんとこの後頼る先輩との関係性へのフリになっている上に、進む先に明るい予感がないことの示唆にもなっていて上手い。
また、ついに身動きが取れなくなった主人公が母親に電話をかけるのは街のゴミ捨て場の片隅であり、彼の自意識が地に落ちたことを象徴的に表している。傍らではホームレスがその人なりの日常を送る姿があり、他力でなんとかこの状況を乗り切ろうとしている主人公とのコントラストを皮肉に際立てる。直前に威勢よく交通費を断っていた主人公がゴリゴリに旅費を節約して北海道に向かうのが本当にダサくて笑った。

「振り返る」というアクションによる予感演出

また象徴的に繰り返される「振り返る」というアクションも味わい深かった。
冒頭で彼が振り返る様子に重なるようにタイトルが出ることからもそこには重要な予感が込められているように感じられるのだけど、振り返るというアクションだけで主人公自身も無意識に「自分は間違った方向に進んでいるのではないか」と感じているような印象を上手く作り出している。
待ち受けの彼女との写真やそれを見てパスコードを打つ指を止めるほんの一瞬の間など彼が真に大切なものに反応するような瞬間は序盤からしっかりと描かれており、だからこそそれをしょうもないプライドで台無しにしていく愚かさが際立つ。

主人公に迫る「何者でもない」という現実

かつて映画の夢を諦めた主人公に皮肉な憧れを向ける後輩、何者にもなれなかった主人公に一番厳しい言葉を放つ姉、そして主人公に残された最後にして決定的な逃げ場所である実家と、「自分は何者でもない」という現実が迫るほどに主人公は追い詰められていく。
その先で主人公はついにその「何者でもなさ」の屈辱に甘んじる決断を下すのだけど、そこまでして実家に留まる提案をしたのにハシゴを外されるように母親からも拒絶されついに最後の居場所も失ってしまう。雪降る暗闇の中にポツンと取り残される俯瞰ショットのよるべなさが完全に世界との接続を失った主人公の絶望を際立てるようだった。
そんな人生のボトムで出会う人物がちゃんと主人公の「成れの果て」的な人物なのも上手い。「ゆくゆくはこうなる」という存在に追いついてしまったかのように主人公はその人物の隣でどこにもいけない檻の中に閉じ込められる。

主人公の「成れの果て」としての父親

ずっと自分を偽ってきた主人公に対して、可能性に完敗した挙句の現状を完璧に受け入れて生活する父親はある意味で自意識の苦しみから解放された主人公の姿のようでもある。清々しいほどダメな親父を豊川悦司が最高の佇まいで体現しているのだけど、「男らしさが微塵も残っていない父親」を演じさせたら今の豊川悦司の右に出るものはいないと思う。
そんなダメダメな親父が、彼だからこその説得力のある身も蓋もなさで主人公の問題を解決に導く展開も意外ながら必然性があって良かった。後輩との会話で出てきた「映画の主人公」という自己言及的なセリフをここにきて回収する構成も上手いし、そうやって主人公のアイデンティティの破綻をメタ的に肯定することで主人公自身が開き直るきっかけが生まれる。
その一押しがもう一度主人公が繋がりを取り戻すきっかけになっているし、それによってまだ自分には繋がりがあるんだと自覚し直した主人公がそれと向き合わない不誠実さゆえに孤独になった父親の生き方をはっきりと拒絶する流れも、そこでの会話自体は本当に情けなくて可笑しいのだけど同時にグッとくる展開になっている。

ダサくとも誠実であること

クライマックスの映画史に残る激ダサ謝罪シーンも素晴らしかった。目を覆いたくなるダサさなのだけど同時にそこで紡がれるのは主人公の今選べる精一杯の誠実な言葉でありその人間臭さに不覚にも胸を打たれた。
家族揃って年越しそばを食べる場面も原点回帰してここからリスタートすることをちゃんと映画的に示す構図になっていて素晴らしい。そこから映画内映画の「the END」をモンタージュして気が利いたハッピーエンドを演出する見せ方もスマートだし、「一件落着なんて虫のいい話があるわけないでしょう」というその先の展開をより際立ててもいる。

因果応報の先にある前向きな予感

恋人が親友に寝取られたことがわかるラストは逃げ続けた主人公への最も皮肉な罰のようであり、真の意味で主人公自身が"彼の物語"を選び取るための通過儀礼のようでもある。
映画の最後にも主人公は振り返るのだけど、ラストの眼差しの先にはカメラがあり、「見てろよ」と言わんばかりの表情から確かに彼が成長して自分の物語を前向きに歩き始める予感が感じられた。

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