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2023年映画感想No.40:レッド・ロケット(原題『Red Rocket』) ※ネタバレあり

冒頭シーンだけで匂い立つ主人公の人間性

ヒューマントラストシネマ渋谷にて鑑賞。ショーン・ベイカー監督、『フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法』以来の新作。2021年のカンヌでかかっているので日本公開は結構ようやく感がある。
冒頭に主人公マイキーがバスに乗ってテキサスにやってくる一連の場面だけで調子が良く、後先考えず、相手の話を聞かないロクでもない男の話ですよ、ということが宣言されているように思う。ボロボロの顔面に全くの手ぶらで突然元妻の実家を訪ねてくるという様子の中に主人公の人間性の多くが表れている。
舞台となるテキサスの工業地帯はブルーワーカーか薬中のホワイトトラッシュか売人の黒人しか住んでいないような治安の悪い地域であり、ポルノ男優として一度は脱地元して一旗揚げたマイキーはその自尊心だけでそこで生きている人全員を見下しているし、今や全てを失っているくせに自分はすげえ奴だという思い上がりの抜けない横柄さが哀れでもある。

狭い世界に生きることしかできない人々の物語

ボトムを箱庭のように切り取り、その中で生きるしかない人々の人間臭さに寄り添う目線はショーン・ベイカーの作品らしさも感じられる。前作よりもよりどうしようもない印象の人たちの物語なのだけど、小さな社会で生きるためだけの社会性や思考力しか持たないままここまで来てしまったからこそダラッと続く人生をなんとかする手段も無く弛緩した地獄に留まり続けている。
一見すると全員どうやって生活してるんだろうというレベルの人たちばかりが出てくる。とりあえずなんとかなってるとしか表現できないようなロクなモンじゃなさが本作の楽しい部分である一方で救いの無さでもあるように感じる

主人公マイキーと社会の間にある断絶

マイキーが家に転がり込む条件として当初は妻との約束通りちゃんと就職活動を始めるのだけど元スターポルノ男優という唯一のアイデンティティが彼の社会復帰の役に立たないという描写がある。人物紹介の段階にあるコミカルなシーンであり、物語的にはここで初めて彼が元ポルノ男優ということが明かされるわけなのだけど、「彼は彼である」というどうしようもない事実によって社会から切り離される、という出来事が振り返ると決定的に彼がこの世界から抜け出せなくなる臨界点だったかのようにも思える。
社会的承認の欠落とポルノスターとしての自分、という断絶はその後の物語でも常に存在し続けている。セックスアピールでしかアイデンティティを保てない彼は基本的にポルノスターという能力を認めてくれる存在としか友好的な関係を築けない。彼の収入源はドラッグディールであり社会的能力としては外の世界で通用しないため、結局どこに行っても彼の社会的自我はポルノ俳優に限定され続ける。
彼は何者でもなさから自分を擁護するために誇示できるものがセックスアピールしかないのだけど、彼にとっては幸か不幸かその自意識を助長するようにその能力によって状況が好転していく。一目惚れしたストロベリーに対しても「そうではない人間」として認められたい一方で結局大事なところではそのアイデンティティによって男らしさをアピールしてしまうし、結局それが「その場所で生きていくために必要な快楽や欲望」と言える享楽性から承認されてしまうのも「環境の病理」のように感じられる。
彼の逞しすぎるサバイバル能力やコミュニケーションスキルは本作の楽しいところで、そこの「普通じゃなさ」をキャラクターの魅力として描き出せるのがショーン・ベイカーらしさだとも思う。この場所で生きている人は全員どこかタガが外れているし、そうじゃないとやっていけない部分もある。そこを個人の自己責任と突き放しすぎないバランスが上手いし、でもやっぱりロクなもんじゃないと時々ギョッとさせられる感じにクラクラする。

前向きなバカによる面白さとそれを突き放して描く喜劇性

基本的に主人公は愚かなのでやることなすこと行き当たりばったりだし、途中までの何だかんだ上手くいきすぎる展開もまともな映画なら絶対にこのまま行くわけがない物語ではあるのだけど、それにしても破滅のきっかけになる事故は物語の展開としては流石に唐突な印象を持った。ただ、起きている事故がギョッとするほど大規模だと後でわかる展開がブラックコメディ的には笑えるところで、ショーン・ベイカーらしい悲喜劇性も手放さない描写になっている。捕まった地元の後輩が自分のことをしゃべらなかったと喜んでいるのを後輩の父親に見つかるところのカメラワークとかも奇妙で可笑しい。
その果てに、自己都合で地元の人たちをかき回すだけかき回した主人公が最後ちゃんと痛い目に遭う。ある意味身一つで登場する冒頭から一貫していた彼の「肉体という武器」が最も皮肉な形で因果応報的に映し出されるラストも笑ってしまった。愚かでみっともなくとも逃げ続けるたくましさがマイキーの人より優れているところのようでもあるし、物語が終わらない、終わらせない主人公の姿だけがリスタートの可能性を残しているようでもある。
ラストは頼れる相手もいなくなって身動きが取れなくなった分だけ映画の冒頭より状況は悪くなっていると思うのだけど、転んでもタダじゃ起きない彼ならここからでもどこかでよろしくやっていくんだろうなと呆れ半分の清々しい余韻すら残る。そんな楽観性、前向きさが楽しい作品だった。

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