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満月の夜

 私にとって『走る』ということは、好きなことで、自分を認められることで、自傷行為でもある。ある意味で私にとって麻薬だ。

 一歩一歩が確実に前進に繋がる安心感、積み重ねていく楽しさ、ひとりで戦う強い気持ち、かと思えば周りの人に支えられて繋がっていくところ。一方で、呼吸は苦しいし、体も重たくて身体を感じざるを得ないし、別にやめたっていいという自制の必要なところ、苦しいのに自分でもっと苦しく追い込んでいくところ、理解されないかもしれないけれど、やりたいからやっている。

 他人から苦しめられるのと、自分で自分を苦しめるのは全然違うし、意識的に苦しめるのと無意識に苦しめてるのは全然違う。

 たぶんだけれど、自分が苦しい時、私はそれを更なる苦しみで消そうとしている。苦しみの種類は違えど、同等の感情を動かす部分にベクトルを変えてぶつけている。

 あんまりよくないよなぁ、これだから大人にならないんだよなぁ、変人って言われるのも無理ないな、家族には心配かけるから言えないや、こんなことしてると真面目なあの人には例えば付き合ったとしても言えないかなぁ、それじゃ信頼関係はつくれないのかなぁ、ひとりでこんなことしてるうちはダメなのかなぁ、とか、3時間のサバイバルの中で意外にも多数の顔が走馬灯に見えた。

 人間関係と身体の苦しみをクロスさせてぶつけたつもりが、きょうは環境があまりにもサバイバルすぎて生死の危機を感じながらゆえの精神的苦しみも重なってしまって鉛は体から落ちなかった。

 自分を苦しめようと走っている時、真ん中の地点で歩道橋があった。登って唯一の街灯の下でふと振り返ったら、巨大な月がこちらを見ていた。

 思わず、力が抜けて口角が上がった。ああ、そっか。前にも同じような心境で同じようなことをして、途中で満月を見つけたんだっけ。あまりにも巨大で眩しくて月だと知らず、あとからぐんぐん頭の上に上がってきて怯えていたっけ。きょうもずっと満月を背に襲われているような感覚で怯えていた。

 私は満月になると、自分のコップがいっぱいになってしまうのかもしれない。満ちて十分なものになるのではなく、満ちる状態が幸せとも限らず。



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