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幸せな関係

 とある職人さんのところに遊びに行った。
正式には職人さんじゃないかもしれないけれど、私にとっては
手に職をつけられている方だからそう呼ばせてもらうことにする。

 毎週一緒に仕事をさせてもらっている仲良しの大人と、
3人で火鉢を囲んだ。焼きマシュマロは万人が喜ぶ、と職人さんが用意してくれたから3人で竹串を持ちながらお喋りをした。

 最近何してるのとか、あの人とあったよ、とかたわいもないお話をしていたけれど、さすがふたりとも行動派だから話が面白い。動いているからこそ情報をたくさん持っているし、顔も広い。「たわいもない」にもレベルがあるのだ。「テレビで見た」とか「あの人がそう言ってたっけよ」とは違う。

 私もそういう大人になりたくて行動しているけれど、どうかな、追いつけているかな。

 面白い、というのは、芸人さんのように笑いを起こせる人だけをいうのではない。知識がある人、経験がある人の話はやっぱり面白い。というか、そういう人の話を有難く面白いと感じることができるようになった自分が好きだ。私もそうなりたいという憧れの対象でもある。

 そんな経験と知識をたっぷりもっている職人さんから「あなた面白いから」とふいに言われた。「類は友を呼ぶんだ、だから面白い人が集まってるんだよ」と。私は、もしかしたら、他の同い年よりは少し行動派だし、その分経験値も多いかもしれない。でもふたりに比べたら時間も規模も及ばない。それでも、面白いって言ってもらえた。

 仲良しの大人さんも言ってくれた、「職人さんに面白いって言われたって、すごい自信になるよね。」と。「私もこの子が来てから、刺激があって、ここまで続けてこれた、いなかったらやめてたかも。」とまで。

 「あなたは面白いよ」というのは私だけの話じゃなくて、3人とも、だった。ふたりはその人のことを「面白い」っていう、本人は自覚がない。それって結構幸せな関係なんじゃないだろうか。お互いがお互いのことを面白いって思っているけど、本人は自覚がないから相手の話を一生懸命憧れて聴いている、余計な自慢やおごりなく。少なくとも私は幸せだった。尊敬できる大人に囲まれて、でも自分のこともちゃんと見てくれているというのが伝わってきて安心できた。

 この日囲んだ火鉢のあたたかさや焼いて食べたマシュマロのことは忘れないでいたい。あの大人たちに囲まれていたい。

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