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語学学校が終わった

ついについに3ヶ月間(正確には12週間)通っていた語学学校が終わった!長いようで短いようで長かった3ヶ月間だった。とりあえず最終日のテストには向かったし、みんなに挨拶できたので自分を本当に褒めたい。

記憶が新しいうちに、3ヶ月間の振り返りをば。

1ヶ月目

暑さの続く9月後半。待ちに待った語学学校が始まった(渡航から3週間経っていた)。最初はとっても緊張していたのを覚えている。クラスメイトは7-8人で年齢国籍性別もさまざま。

ただ、午前中〜午後の会話クラスまで出席しているのは私含めて4人だけで、私以外の3人は18〜23歳という脅威の若者だった。でもみんなとてもしっかりしていて、年齢差を感じたことはない(嘘だろ)。

うち2人はファーストキャリアを1-3年ほどでやめ、スペインの地でセカンドキャリアを目指して語学の勉強(語学習得→スペインの大学入学)。もう1人は高校を卒業したばかりで、彼女は大学への入学資格を得るための試験科目として、スペイン語を選んだそう。私より6~10歳も若いけど、地に足がついているし、肩の力が抜けていてすごいなあと思っていた。

語学レベルとしてはA1の1から始まったので、最初の1ヶ月くらいは7割くらいは英語で授業が進んでいた気がする。クラスメイトとも英語で喋っていた(今でも英語で喋るけど。でもだんだん英語とスペイン語が混ざっている)。

ただ、午前中3時間文法+1時間会話の授業を受けていたので、徐々にスペイン語を話すことへの恐怖は無くなってきた。レストランやカフェでも、間違いを繰り返しながら注文するようになった(最初はカフェラテすら注文できなかった。ちーん)。

また、この時期はNIE番号の取得やTIEの取得のための手続きを並行して進めていた。最初はあんまり無理せず、とりあえず毎日学校に行くぞ、と思って言っていたのは良かったな。あと、クラスメイトの韓国人(23歳)の子とは、おそらく語学学校で1番仲良い友達になった。入学初日にランチに誘ってくれたこと、とっても嬉しかったなあ。右も左もわからない中で、とっても嬉しかったのを覚えている。

よく新しいビールにトライしていた

2ヶ月目

会話のクラスが英語禁止となった。この時期に私のスペイン語の基礎ができたなあと思っている。本当に先生には頭が上がらない(当時は苦手だった)。先生によっては、英語を使って解説したり、単語の意味を英語で答えたりする人もいる。ただ、この会話の先生は、簡単なスペイン語を使ったり、イラストで説明したり、他の生徒に説明したりしていた。

ある程度英語ができる人にとっては「英語に頼らずスペイン語で話す」というのがとても大事だなと思った。また、2ヶ月目の中頃から文法の先生が変わり、彼女も英語を話さない人だった。最初は彼女が何を言っているのかさっぱりわからなかったが、2ヶ月目が終わる頃には70%くらいわかるようになって言った。

上述の韓国人の友達といった韓国レストラン。

2ヶ月が終わる頃にはレストランやカフェでの注文は怖く無くなってきた。また、1人でスペイン国内を旅行したこともあり、「私、意外とスペイン語話せるやん」とも思い始めていた(チョロい)。

学校以外では、ライター業をするために国内旅行を1回、イベントに1回顔を出した。これについては、全て英語でコミュニケーションをしていた。ただ、記事化の許可どりや取材など初めてのことが多く、結構心を尽くしていた。また、許可をいただいて執筆を始めると、ものすごく時間がかかるということもわかった(ビビリなので、1つでも曖昧な情報を出したくない、、、と思ってしまう)。

ガリシア地方でのんだビールはとても美味しかった。

この時期TIEの申請なども大詰めに来ており、先生の変更や海外での仕事(と言えるほど大した事はしていないんだけど、、、)、かつての勤務先との連絡の発生など、心労が重なっていったなあと思っている。

そして、ライター業の原稿の脱稿が目前に迫ったある日、学校に行けなくなった。

3ヶ月目

いろんなストレスが重なって、7日ほど学校に行かなかった。朝起きれなくなったし、学校に行こうと思うと動悸がしたりするようになった。また、確かこの時期夫とも喧嘩ばかりしていた。

幸運なことに、このタイミングで信頼できる日本人の人に出会ったり、日本から友達が来てくれたり、同じヨーロッパ圏に住む旧来の友人と電話できたりして、だいぶ心が回復した。続けてベルギーにも旅行に行って、ビール友達と会話もした。困った時に困ったと言えないのは、本当に困った。

中でも、信頼できる日本人の存在は大きい。彼女も複数回の駐在帯同/留学帯同の経験があった。

「あなたが健康でいることが1番大事だよ」
「学校も休んでいいよ」
「先生が合わないんだったら変えるのがいいと思うよ」
「私も前そうなった。ネガティブな感情をパートナーにぶつけてしまったことがある。しんどかったら連絡してね」

そう親身にアドバイスしてくれた。誰かにそう言ってもらえないと、自分が保てない状態にいた。日本に帰りたいわけでもない。でも家にもいたくない、どこにもいたくない、と思っていた。今思うと無理しすぎだし、それ以前にもっとこまめに休んどけばと思う。

でも私は、「スペインに来たからにはスペイン語を学ばねば」「取材許可を出してくれたんだから、早く記事を上げなければ」「家のこともちゃんとやらねば」「時間があるんだからジムに行かねば」と、ネバネバ星人になって動けなくなってしまっていた。日本でもよくあったんだけど、その時はカウンセリングを受けていたので、つどカウンセラーさんが修正してくれていた。ネバネバ星人は私のとっても大きな課題かつ長年の友人なので、なんとかしなきゃなあと思っている。

ベルギー旅行を終えたあと、真っ先にオンラインカウンセリングを受けた。その結果、「やらなければ」を緩める。やりたいことだけする。という方向性になった。ライター業も、義務感ばかり感じてビールを楽しく飲めなくなるならやめてしまいましょうと。

それからは、学校も行けるときに行くスタイルにした。遅刻してもOK。2日に1回行くくらいでもOK。ビールライターも一旦お休み(業務委託ではないので、締切や書かなきゃ行けない量も決まっていない。書きたいときに書けばいいスタイルなので、良かった、、、と思っている)。

引きこもり始めたので写真が少ない。街はクリスマスモードですね。

あとは何気に、学校から15時に帰ってきて、自分のお昼ご飯作る→お腹空いてないのに夫の晩御飯を作らなきゃ行けない、っていうのが本当に苦痛だったんだなと思っている(実際、そんなに作ってないんだけどね、、、)。生活リズムが合わないことへの苦痛。学校を適度に休むようになってからは、家事をする気力だったり、夫と一緒にご飯を食べるため、ご飯の支度をするのも嫌じゃなくなってきた。

それでようやく最近元気になってきた。「やらねばならぬ」を緩める作業は、私にとってとっても大事だ。要するに色々手に持ちすぎだったんだろうな。しかも、実態より多くの「やらねば」に押しつぶされていた。

最近会った友達に、「ほんと、1ヶ月くらい前に会ったとき、まじで思い詰めた顔してたから心配だった〜〜〜!新しい暮らしが始まってから3ヶ月くらいあるあるだなと思って特に何も言わなかったんだけど、元気な顔になって良かった〜〜〜〜〜!」と言われて「そうだったの!!!!?」とびっくりした。

最終的にはA1が無事終わりまして、めちゃめちゃ簡単な会話ならスペイン語でできるようになってきたよ、、、語彙がなかなか増えないけど;;やっぱり先に進んだ友達とは大きな差を感じる、、、それは仕方ない。細々とスペイン語の勉強続けたいな(目指せA2!)

というわけで、今は晴れ晴れした気持ち。低空飛行気味だけど、これが私、とも思う。最近色々思うことがあったので、ぼちぼちnoteを更新していきたいな。今書きたいテーマはこれ。

・いい先生とは
・もうあんまり働きたくない(日本にいた時は仕事=アイデンティティだったのに、、!)
・ソーシャルスキルの重要さ(会話を続ける力)
・仕事、パートナーシップ、自分の時間、人生
・日本のtwitter見るの怖い
・さくちゃんとすーさんの雑談を聞いて考えたこと「世界はあなたを傷つけないようにデザインされていない」

なるべくエモくならないように書きたいんだよな〜〜〜〜。とりあえず深呼吸するように色々書きたいな。

おしまい!

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