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ONE VOICE ZINE Vol.7 エロリン(BURNING SIGN,NODAYSOFF,SMDcrew)

前回のxtkxとのインタビュー中「今後、OVZでインタビューしてみたい人は?」という質問で僕が真っ先に挙げたエロリンさん。自分も身の周りから一歩踏み込んだ方にインタビューに挑戦してみたかった事もあり、そもそも関東圏以外への興味が何よりも有り、早くも今回の運びとなり、後は以下参照なのですが、がっつりたっぷり話して頂きました。
それではどうぞ!


■OVZ初の自己紹介から

ー今さらではあるのですが、軽く自己紹介などを…。僕はKMと言ってDISTANCEっていう休業がメイン活動のバンドをやりつつ、このONE VOICE ZINEを去年からやっています。

どうもエロリンです。変なアダ名ですみません。1982年に京都で生まれ、そのまま京都で育った現在38歳です。

BURNING SIGNでベースを、NODAYSOFFではドラムを叩いています。少し補足すると、現在はマイペースになっているBURNING SIGNは2006年からなのでもう15年くらい、NODAYSOFFは2016年からなので5年くらいになります。自己紹介ってこんな感じですかね(笑)

ーですね(笑)あとはSMDcrew?

そうですね。SMDcrewは大阪の…今日びクルーってのもアレなんですけど、ハードコアのはぐれもの集団的なのを(笑)自他ともに認める中堅どころですね。

ー"はぐれもの集団"っていうのがシンパシーもてます。僕も性格に難があるので、どうしてもインサイドにいけない…(笑)

絶妙に主役ではない、かつSMD皆んなが天邪鬼っぽいのもあって(苦笑)でも変な使命感はあったりするので、自分たちが脈々と受け継いできたものはSMDなりのやり方でアウトプットを模索しています。あとは地元で、音楽好きや飲み屋さん界隈、自分はやらないんですが釣りの界隈ともユルく繋がる感じでothersってのを細々とやってます。人生においていつも”その他”扱いされてきたことに歯向かっていくってのがコンセプトの集団で。でもその中にペンペンさんっていうただの飲んだくれなハードコア好きのオッさんがいるんですが、ONIさんと釣りの方で繋がって何故か2019年のMURDER THEY FALLに転換BGMのDJ役で出たりして。そんなサプライズもあったりで色々と楽しくやらせてもらってます。所属してるといえばその辺ですかねー。


■コロナ禍の京都

ーそういえば厳密には「初めまして」ではないんですよね。2018年の北川さん(And Believe)&ナリタさん(SLIDE)企画"Say It Loud"でご一緒してまして。

そうですね。NODAYSOFFアルバムレコ発の東京場所で。でもその時はあまり絡めなかったんですよね。

ーうちが一番目で、そうそうたるメンツだったので僕は緊張して臨んだんですよ。ただ出番が終わって、それが解けて飲みに飲んでしまい…その日の記憶が曖昧なんですよね…。でもNODAYSOFFはちゃんと観ましたよ!

ありがとうございます(笑)お酒に関して言えば、自分はお酒飲んじゃうと前のめりでアグレッシブな感じのドラムが叩けなくなっちゃうんですよ。NODAYSOFFは2018年にアルバムを出したことも含めて、ここ数年は主催も含めて出番が割と後ろの方だったりすることも多かったのですが、基本的に出番前は飲まないようにして終わってから飲むというスタイルにしています。メチャクチャただの雑談ですが(笑)

ーなるほど(笑)ここで東京都にお住まいのxtakashixくんからメッセージを預かっておりまして…

『エロリンさんには昔からお世話になっておりますが、京都をはじめとする近年関西シーンの興隆の立役者のお一人だと思っております。また、若い世代とOG世代をシームレスに繋ぐ人脈の広さと人柄は関西だけでなく日本のハードコアシーン、ライブミュージックシーンに欠かせない宝だと思っています!そんなエロリンさんの深淵に迫るインタビュー、楽しみにしております。』

メチャクチャ良いように言うてくれてますね(笑)ありがとうございます。タカシらしいですね。

ー今回の発起人の一人とも言えるので、「一言ちょうだい!」と言ったらガッツリ貰いました。(笑)
まずは近況などから伺っていきたいと思うのですが、最近の京都はどうですか?緊急事態宣言下ということもありつつ…(2021年2月上旬現在)

緊急事態宣言に関しては京都も他の地域と同じようなタイミングで動いてるので、飲食店などは現在20時終わりです。ラストオーダーを19時頃にとったりして、身内系のユルそうな店でも厳しめに20時で終わるようにしていますね。闇営業をしているとバレた時にヤバくて、給付金なし+罰金みたいなルールもあるようで、今回はちゃんと閉めてるお店が多いです。ごくごく一部、知ってる範囲では0.5割ぐらいかな…給付金以上の売上を見込めそうなお店や、開店したてのお店なんかはやってたりしますが、全体的には夜になるとほぼどこもやっていませんね。

ー観光客とかはどうですか?全然じゃないですか?

ここ5年10年ぐらいの間は外国の方とかもメチャクチャ増えていたので、平日昼間のお店をやっている人に話を聞いたりすると、日本語を聞くことの方が少ない日もあるとか言うぐらいだったんですよ。さらにプラス日本の観光客でかなりワイワイしている感じだったのが、コロナ禍でガラッと変わった感じですね。自分の体感でいえば、賑わっていた頃と比べると全体の人出は半分かそれ以下ぐらいですね。それこそ夜になるとマジで閑散としていますね。

ー僕も住んでるのが横浜で、中華街とか通ったりしますけど、クルーズ船の時とか特になんですが、あんなに人がいないのは初めて見ました。逆に近所のスーパーとかが週末は妙に混んでたりしてますね。皆んな遠出したくないのか。

繁華街の話はどこにでも置き換えて言えることかなとは思うんですけど、確かに近所のスーパーとか商店街とかは大きく変わらないですね。人々の生活自体を止めることは出来ないわけですし。


■京都ならでは?生い立ちなどなど

ーずっと京都に住んでらっしゃるんですか?

そうですね。過去に一瞬だけ大阪がメインの生活になったこともあったんですが、基本的には京都から出たことがなくて。家庭の事情もあったりしますが、ホームタウンを2つ以上作りたくないという気持ちが大きいです(笑)今はいわゆるリモートワークなんですけど、もともと勤めていた会社自体は大阪本社だったので、何年も大阪~京都間を行ったり来たりする生活でした。関西を代表する地域の一つでもある梅田を経由していくルートは、外的な刺激も多くて個人的には気に入ってたんですけどね。でも地に足つけてるって意味では、ずっと京都です。

ーベタな質問で恐縮ですが、家族の構成などを。。

いま京都にいるのはオカンとバアちゃんだけなんですが、家族構成でいえば兄妹は二つ上のお姉ちゃんがいます。お姉ちゃんは文武両道を絵にかいたような人で、高校のときに新体操でインターハイ行ったり、筑波大をメチャ良い成績で卒業したりとか、今も鹿児島で大学講師?みたいなのやってたりなどクソマジメで超優秀ですね。俺にも少し要素が欲しかったです(笑)

ー筑波!すごいですね!

そして一昨年に亡くなりましたがオトンがおって、ほんでオカンがおって、同じく既に亡くなりましたがジイちゃんがいて、そしてバアちゃんがおって、って感じですね。世帯も分かれてなくて、皆んな一緒に住んでました。考え方とかは一緒に過ごした時間が長いオカンの影響が特に強いです。もともと家業は呉服屋で。それをオトンがジイちゃんから継ぐ感じで問屋さんをやってたんですけど、しばらくしたら着物の業界が厳しくなってきたこともあって畳んでしまったんです。もしかしたらこういうのは京都らしい話かもしれないですね。

ー京都だと、そういうことって多いものなんですか?

身のまわりのバンドやっている人でいえば、確かにそういう伝統的なルーツっぽいことを生業としている人はいますね。自分が接してきた中で呉服系は多くなかったんですけど、他の地域と比べたらやはり多いかもしれないです。あとは近しい話になると思いますが、お寺関係の方は比較的多いと思います。寺の息子っていうのはバンド関係以外の同級生も含めて結構いますね。それこそ仏具関係でいえば、NODAYSOFF上手ギターのカンベさんは神戸珠数店という百年以上も続いてる珠数屋さんの現社長さんでもあったり。他にも扇子屋さんの跡取りとかお菓子屋さん、お茶屋さんなど近しいバンドや音楽繋がりにそういう方がいたりしてますね。

ーいかにも京都な話ですね!いつもの流れなんですが、どんな感じの子供時代でしたか?小中高といつでも構わないのですが。

幼稚園くらいから…いわゆる良い子ちゃん寄りというか。あと当時は全く意味が分かっていなかったのですが、親が頑張って兄妹とも私立の学校にずっと通わせてくれてたんです。呉服屋が続かなかったのはそれも原因の一つに思っていますが(苦笑)良い子ちゃん寄りだったというのは、そういう環境に順応しようとしたのも影響はあったかもしれないですね。

ーなるほど。。

あと学生時代を通じて、いわゆるヤンチャな時期とかはなかったです。お笑いや面白いことは好きだったので、人を笑かすのとかは大好きでした。あとこれは今でも変わってないなと思うんですが、少し裏方的な動きが好きで、主役になってクラスの中心になって人を笑かすというよりは、その周りで仕掛けたり的確にスキを突いたりみたいなことはしてましたね(笑)笑いのバイブルはコロコロコミック、ダウンタウン、深夜にやってた吉本二丁目系の番組、稲中など。今でいう陽キャ陰キャみたいな言い方だと、陽寄りの陰みたいな感じだったのかなと思います。

■スポーツ・部活の話、ラグビーの話

ースポーツや部活は何かしていましたか?(やっぱり恒例)

振り返ってみるとかなり体育会系なんです。まず小学校で野球が好きになって、学校の外でリトルリーグ入ってたんですよね。西武の清原に憧れた世代で(笑)秋山、デストラーデのあの頃ですね。それが1つめで。あと小学校の中でのクラブでは、漫画でスラムダンクが流行った影響もありバスケをやってました。バスケはかなり熱中して、中学でもやるつもりだったんです。直立型のゴールも買ってもらって家に設置して、毎日バチバチ練習したりして。でもいざ中学に入って、いよいよクラブ決めるっていう前日くらいに家へ帰ったら…なんとリングが盗まれてたんですよ(苦笑)親も「何ごと??」ってなって。どうやらそれでひどく落ち込んだらしく、自分の中でもバスケ熱が一気に冷めてしまい(笑)そんなこともあり、一緒のクラスで仲良くなった子たちの影響もあって、中学ではサッカー部に入るという。

ー真逆に振り切れましたね!(笑)そして7回目にして初のちゃんとした団体競技経験者!

それもJリーグ開幕の影響があったりで(笑)スポーツに関してはすごいミーハーっすね(笑)

ーあ、そうか!そんな時代ですよね

そこもドンズバ世代だったんですよね。結局レギュラーにはなれなかったんですが、中学は3年間サッカーをやりました。そのままエスカレーターで高校へ上がれる学校だったんですが、高校のサッカー部の顧問があんまり好きな先生じゃなく…そこで更に鞍替えして、高校はラグビー部に入ったんです。野球・バスケ・サッカーとやってきて、手をメインで使う競技の方が得意だと思ったのと、足が結構速くてバックス的なポジションに誘われたのもあって、高校3年間はがっつりラグビーを。って感じでかなり体育会系かつ、団体競技育ちですね。

ー僕は生まれが山形なんですけど、記憶してるだけでもラグビー場が不毛の地で…。環境的に冬が色々厳しいってのもあるんでしょうけどね。なのでラグビーの話を聞くと、いかにも西の人の話だなあって思います。

確かにバンド界隈で多いかもしれないですね。NumbernineのKaiもラグビーやってたはずですし、ジャンルが少し変わりますけどThe Disaster PointsのOkiseも確かそうです。あと昔にSANDでドラム叩いてたノリミツとか。ほんでSMDでshe luv itギターのATSとか、同じSMDで映像担当してくれてるダイキって奴とかはアメフトですかね。この辺りもし違ったら皆さんゴメンなさい。自分は走るばっかりだったんで小柄ですが、結構皆んなガシッとしてるんで体格とかでわかったりもしますよ。

ー特有の体つきがありますよね。

あと京都のラグビーって、大阪も同じような感じなんですけど、その地域だけで全国レベルの争いやってるような感じで。伏工(伏見工業高等学校。ドラマ”スクール☆ウォーズ”のモデル。現在は統合して名称変更)や京都成章など強いチームがゴロゴロいたんです。ベスト8以上とかになると、普通の高校生レベルではマジで全く太刀打ち出来ない感じでした。180cm100kgとかの奴が50mを6秒とかの速さで走って来るんすよ。もはや軽トラかっていう(笑)なので頑張ってやってたんですけど、なかなか芽が出ることはなかったです。貴重な経験でしたが。

ーラグビーとハードコア、色々近いですからね。無駄では無いと思います。

そうですよね。あと一昨年はラグビーのW杯が日本であったじゃないですか。未だにマイナースポーツな面はあるかもしれないですけど、TV放映も多かったし嬉しかったですね。過去にやってた人は皆んな胸が熱くなったんじゃないかと思います。自分もメチャクチャ燃えましたね。

ーあれでオリンピック終わりで良いんじゃないかぐらいでしたね。

あはは(笑)自分は直接観に行くことはなかったですが、日本でW杯が開催されたことや、日本代表が躍進したことも自分は嬉しかったです。相変わらずINFERNAL REVULSIONのヒデス氏も代表の通訳で何度もTV映ってましたし(笑)色々と身近に感じられる環境にとても興奮しました。自分も何度か知り合いのお店に解説を頼まれたりして「今のアレはこういう反則で…」みたいな。そうすると、より深く楽しんでもらえる感じもあって良かったです。

ーなるほど!経験者いるとデカいですものね。vol.4で出たタクヤンも基本が個人競技(格闘技)の人なんですが「ラグビーは熱くなるものがある」って言ってました。

本当に奥深いスポーツだと思いますよ。PROTECTのOne For Allじゃないですけど(笑)色んな人たちが混ざってるので。これだけ外国籍の人がチームにいて日本代表なのか?とか、W杯の際も話題になったりしましたよね。でもそういうのが自分が今やっていることや考えていることに地続きになっていて、少なからず影響を与えてるんですよね。体の小さい人から大きい人まで各々の持ち味を活かして、それで組織というのが成り立って…とかは仕事にも通じるものがあるなと。あと高校のある時期にラグビー部の人数が少なかった時があって、京都の朝鮮高校と合同チームを組む時があったんですよ。

ーそういう事もあるんですね。コミュニケーション面などはどうでしたか?

人数もちょうど半々くらいで、ガッツリとした合同チームでした。今から思えば良い経験をさせてもらいましたね。リアルパッチギな世界観の気合い入った子とかもいたりして、たくさん知らないことも知れましたし。でもいざ懐に入ればお互い気にしないというか、一つの目標に向かって頑張るっていうのはナチュラルで素敵なことだったなと思いますね。


■修学旅行どこ行った?

ーちなみに修学旅行ってどこ行きましたか?というのも僕の地元山形では、中学の時は東京、高校は京都っていうのが大体どの学校でも同じなんですよ。でも僕が通ってた高校は何故か12月で、それも長崎とか九州だったんですよ。最終日以外どしゃ降り、みぞれ混じりの。なので実は京都に行ったことがなくて…。

長崎はいつも…ですね(笑)確かに京都に来るバンドの人の中には「修学旅行以来だ」という人も多いです。

ーやっぱりそうですか。

自分は中学の修学旅行が沖縄だったんですが、初日に風邪ひいて最終日まで寝込んでしまい、何の思い出も無いです(笑)それで高校なんですが、行ってた学校は『生徒の自主性を高める』みたいなコンセプトが裏にあったようで「ウチの学校は何代か前の先輩がトラブル起こしたから、修学旅行がもともと無いねん」みたいなことを言われるんですよ。なので修学旅行は基本的に生徒主導で企画しなさい、大人はサポートはするから、って感じだったんです。それで最初に行き先の希望を何コースか出すんですけど、調子乗ったアホな奴らが…僕とかもその一人やったんですけど「グアム行きたい!ハワイ行きたい!」とか騒いで言うてたんですよね。そしたら実行委員的な人たちが超頑張っちゃって、最終的にホンマにグアム行けることになってしまうという(笑)

ーまさか実現するとはって感じですね(笑)

半ば無理矢理だったとは思うんですけど、グアムって戦争の地でもあるわけじゃないですか。一応そういう内容やレクリエーション的なものも織り交ぜて…という感じだったんですが、先生とかも完全にバカンスノリで(笑)もう鬼バカンス。普通だったら怒られそうな夜中の時間にホテルの中をウロついてたのに、プールサイドでリクライニングのチェアに寝そべりながら、映画みたいにくつろいで酒飲んでる先生がいたりして、見つかっても全然怒られなかったりとか。先生メチャメチャ楽しんどるがな!っていう(笑)

ーそりゃそうですよね(笑)引率だけで良いんですもんね。「今年は当たりだなあ」とか言ってたりして(笑)

だと思いますよ(笑)ただ親からしてみれば、結構な額を積み立てていたと思うんですけどね。当然のようにほぼ楽しんだだけの旅行で終わったので、今となっては親の心子知らずで申し訳なかったなと思ってます(笑)


■音楽にハマっていく経緯など

ーここまでガッツリ体育会系で来ている中で、そこに音楽がどう絡んでくるのか非常に興味深いのですが、音楽との出会い、初めて買ったCDとかは?

初めて買ったのは短冊ジャケの8cmシングルで、奥田民生がソロになって一発目の「愛のために」です。記憶が正しければ多分それが最初に買ったシングルCDですね。

ユニコーンという存在も知らなかったので何の認識もなくて、奥田民生の飄々とした雰囲気が良かったのと、曲もキャッチーに感じたからっていう。そしてアルバムはLUNA SEAの「STYLE」だったと思います。

ーそこから深入りしていく道のりは…?

奥田民生もLUNA SEAもなんですけど、いわゆるギターが鳴ってドラムがドカドカしてて、っていうバンドサウンドやアグレッシブな音っていうのが好きだったようで。当時でいうと爆風スランプの「Runner」みたいな曲とか。

他にもX JAPANが最盛期だったり、あと当時のヴィジュアル四天王とか黒夢だとかがドンドン出てきて。でもその中でも曲が激しめやったりテンポが早かったり、ギターの音が歪んでたりするのに心を奪われてるフシがあったんですよね。小学校の高学年ぐらいに自分が音楽やバンド好きだなぁと自覚し始めて。ちなみに親の影響は全くなかったです。オトンがビートルズのレコードは持ってるぐらいのレベルでした。

ー自分自身で気付けたというのは大きいですね

まぁとにかくうるさくて激しくて速い、っていうのに傾倒していった感じで、キャッチーなら尚良しという(笑)なので分かりやすい流れとして、AIRJAMの話とかになってくるんですが。中学~高校入りたての頃(1997~8年前後)にハイスタやその周辺、SOBUTなどにガッツリ喰らって、同時にミッシェル(THEE MICHELLE GUN ELEPHANT)やブランキー(BLANKEY JET CITY)とかも並行して好きになっていった感じでした。ただ身の周りに詳しい人もいなかったので、まだ国内のその辺りのバンドを順番に聴いていくって段階で。

ーその辺りの情報源はどこから?

やっぱりTVは大きかったと思います。スペシャやMTVなどは家で契約してなかったので疎かったんですけど、半分深夜ぐらいの時間帯にやってたJロックなんたらみたいな民放番組とかで国内のロックやヴィジュアル系のバンドを知ったり、メロコアやミクスチャーの括りだったら「HANG-OUT」だったりとか、その辺りから情報を得ていましたね。海外のバンドはTSUTAYAとかを活用しながら、NOFXやRANCIDなど手の届く範囲のものを順番に。雑誌はやはりベタですが、DOLLやEATマガジンをよく分からないなりに読んだりとか。これが高1とか高2とかの話ですが、まだ現在のようなハードコアとかにはタッチしていない時期です。その雑なインプットに並列する感じの話として、様々なバックボーン的なカルチャーなどは何も理解してなかったですね。DIYな感じが良いなとか、まだまだふんわりした感じでした。

ーバンドを始めた経緯はどんな感じで?

1番最初は中3の頃だったと思うんですけど、いよいよ親に「ギター買ってほしい」って言ったんです。家の奥にオトンがFのコードを押さえられなくて挫折したっぽいクラシックギターみたいなのは転がってたんですが(笑)思うように歪んだ音とかは出るわけがなくて。それでザ・入門編みたいな、アンプとか全部セットになってるやつを買ってもらって。ほんで触ってたらやっぱりバンドとかやりたくなるじゃないですか。それで高1の頃ですね、バンドとかライブとかやり始めたのは。もちろん最初は同級生とかと「そのバンド俺も好き!」みたいなのが集まった感じで、メチャわかりやすい感じでした。でも最初に組んだのはギターじゃなくて、自分がボーカルでミッシェルのコピーバンドで。親のスーツ借りてライブするみたいな(笑)

ースーツ!形から…というか形もちゃんと入ったんですね!ハードコア的なものに触れていくのは何がきっかけだったんですか?

ここで自分を振り返る中でもキーワードの一つである、京都のWHOOPEE'S(以下 ウーピーズ)というライブハウスが出てくるんです。

https://kyotoreal.kyo2.jp/a52780.html

当時はそのウーピーズで平日の夜に若い子たちのコピーバンドが集まったようなイベントが多く開催されてて、市内の違う高校生同士が一緒になるようなライブに自分もよく出ていて。ちょっと集客力があったり、クオリティというか…それなりに演奏も出来るバンドが固まる日とかが出来てくるんですよね。色んな高校の色んなバンドがツレを呼び合う感じで。自分の高校のバンドは必死で盛り上げたりとか(笑)

ー熱いですね(笑)

ただ当時はメロコアやスカコアといったジャンルの勢いがホントに凄くて、そういったコピーバンドが集まる日はどう300人とか400人とかが平日の夜に入ったりして、ウーピーズのスタッフめっちゃ困らせたりしましたね(笑)キャッシャーとか鬼ほど忙しいのに、皆んな金も無いからソフトドリンク1杯だけとかでハコは全然儲からないという(笑)

ーお酒を出すわけにもいきませんしね。。

そうなんですよ(笑)困らせるどころか、呼びすぎやって怒られたりとか。ちなみにこの辺りの頃に出会った中には京都のメロディックバンド、LABRETの奴らもいたりして今でも仲良かったりします。などなど、そういったエピソードもあってウーピーズのスタッフとやりとりする機会も増えてくるのですが、たまたま当時のスタッフは黄金世代なんて呼ばれたりする人たちだったんですね。さっきも話に出たカンベさんは当時バリバリCRANKをやりつつスタッフをやっていたり、toeとかも出してたレーベルcatuneから音源を出していたUP AND COMINGっていう、KARATEみたいな音のバンドの人たちもいたりとか。いまNODAYSOFFでよく主催している京都GATTACAの、現店長である山田さんも自分でバンドをやりつつスタッフでおられたり。

ーブワッと人材が湧いて出た時期だったんですね

どこにでもいるメロコアキッズに、オルタナ的な面やハードコアな面を繋いでくれる人たちがウーピーズに居たんですよね。他にも街の遊び人的な人がいたりして。合コンとか一緒に行ったりもしましたよ(笑)夜遅くはクラブ営業に切り替わるハコだったんですが、夕方から朝まで遊ぶようなこともあるくらいお世話になったハコでした。浅い時間はPIZZA OF DEATHのバンドが来て、夜中にはBLACKSMOKERが来る、みたいな。クラブミュージックが好きになったキッカケのハコでもありましたし、夜中の遊び方を色々と知ることも出来ました。今思えば本当に貴重な経験だったなと。そういうのも地元の京都という街を意識するキッカケになったりしています。

ー100点のホームタウンでの遊び方だと思います

UP AND COMINGのメンバーの人がキャッシャーでサラッとenvyのTシャツ着てたりして、そういうのでエモやハードコアの文脈を感じたりとか。それでハードコアに繋がっていく話でいうと…これも話してみたかったんですけど、ライブ遊びに行ったりとかコピーバンドでライブしたりするのと並行して、当時はロックDJのイベントっていうのが流行ってたんですよね。バンドとかやってないキッズの子がイベントをやってライブ感覚で遊ぶみたいな。そこでいきなりハードコアをかけたりとか、無理矢理「かけろ!」みたいな感じで持って来たりする人がいたんですよ。それまでスカコアみたいなのかけてキャッキャ踊ってたような人たちのところに、モッシュピット開けて暴れ散らかすみたいな(笑)どうやらその辺の人達がNYHCって呼ばれるジャンルらしいよって聞いたんですけど、当時はイカついなーぐらいで、そこまで興味は無かったんです。でも気にはなったんですよね。

ーわかるような気がします。ただ暴れてるわけでも無さそうだしなーとか横目で気にしたりしつつ。。

自分は先にも話したようにヤンチャなタイプではなかったんですけど、そういった悪目立ちするような感じに少し憧れるフシもあって。いわばマッチョイズムですよね。それが高2とか高3の頃。で、ここで出て来るのがSxSxS(スリーエス)の存在なんです。どうやら大阪にSxSxSっていうメチャクチャ怖い人たちがいて、そのクルーの中にハードコアのバンドがいくつかあるらしい、大阪でイベントもやってるらしくて影響力もあると。そんな噂が京都でただのコピーバンドやってるような高校生にも伝わってくるぐらいだったんですよ。


■ハードコアに傾倒していくきっかけ〜バンド活動へ

ー情報源的なメディアは先程伺いましたが、音源はどんな風に買っていたんですか?

自分自身は相変わらず、メロコア最高!キャッチーで鋭くて速くて!みたいな頃でしたが、少しずつメロコアやスカコアと呼ばれるジャンルのものに対して食傷気味になっていた時期でもありました。ちょうど同じ頃に地元のレコ屋さんへも足を運ぶようになります。パンクとかハードコアのお店に初めて行ったのは、4~5年ぐらい前に潰れちゃったんですけど京都のAVISレコードっていうレコ屋で。京都の人たちにとっては登竜門的な存在だったんです。

JAZZやクラシックの中古も豊富にあって、物静かそうなオジさんたちが探してるのにBGMはめっちゃデスメタルやグラインドが流れてたりとか(笑)とても面白い店でした。名盤に貼ってあるレビューは"問答無用"って一言だけ書かれてたり(笑)店員さんも個性的な人が多く、そこで手に入れられるものはマニアックなものも沢山あったのでとてもお世話になりましたね。

ー存在は知っていましたが、良い具合にカオスだったんですね!

あと当時はハードコアのイラストレーターとしても有名なYOSSIEさんがJETSET京都店のスタッフだったり、そこからBASE京都店に移られたりとか、他にもパンク寄りのお店でroomってお店があったり。naiadやin2deepのメンバーが働いていたSIMMERや、今でも健在なUNTOUCHABLEという服屋さんなど、パンクやハードコアを扱ったり、距離感の近いお店が身近に沢山ありましたね。そしてもうちょっとメジャーなものを扱う、地元密着のレコ屋/CD屋さんでビーバーレコードというのがあって、そこの女性店員さんでオルタナ系からハードコアまで詳しい店員さんがいたんです。NAHTや54-71などを呼んで自主企画もしてるような人で。その人にセレクトテープを作ってもらったりしてたんですが、こっちも幅広く入れてくれって頼んだらキウイロールとDYINGRACEが一緒に入ってたりとか(笑)そんなこんなで段々とハードコアへの興味の度合いが濃くなっていったんですね。

ーそれは…凄い組み合わせですね!

そうなんですよ(笑)その人にenvyなども教えてもらいましたね。ちょうど「From Here to Eternity」とかの頃。叙情的な感じや悲痛な感じが凄く格好いいなと。疾走感のあるenvyですね。

そうやって色々と教えてもらっていた同時期に、関西ローカルのTVで「ザ・個室関係」っていう番組があったんです。ブライアン・バートンルイスと井出功ニが司会で、アングラなバンドやカルチャーを紹介するメガロマニアックスみたいな番組で。

とある日、自分が高2とか高3の頃だったんですが、大阪のベイサイドジェニーでその番組主催のイベントがあると。それにレコ屋のよしみでビーバーレコードに招待状が来たらしく、さっきの女性店員さんに「良ったらエロリン一緒に行く?」って誘って貰ったんです。

ー良い流れ来てますね

2daysの企画だったんですが、その中にEDGE OF SPIRITがいたんですよね。他のメンツは確かTHE CREATOR OFやSUCKDOWNとかGARLICBOYSとか、当時勢いのあるバンドが沢山出ていて。その頃にはハードコアにも丁度興味が出てきた頃だったんですが、ちょっと怖いなと思いつつ初めて観れるEGDE OF SPIRITのライブは凄く楽しみだったんです。当日のお客さんは頭にタオル、Tシャツ短パンみたいなキッズが多かったんですけど、EDGE OF SPIRITはそこで怒涛の盛り上がりで。怖い人たちが真ん中にエゲつないモッシュピットを開けてて、前の方ではタオル巻いてるキッズたちがギャーギャー言いながらダイブしまくってて。場を持っていく力が凄すぎて、磁場が曲がってるんちゃうか?っていうぐらいの。1000人ぐらいのジャンルレスなお客さんがいる中、全員を巻き込むようなライブを見せられて、そこで一気にハードコアへ傾倒していきましたね。完全に今へ繋がる大きなターニングポイントの1つです。

ー価値観が変わるぐらいの凄いライブだったんですね!その当時のエロリンさんのバンドの方は?

高校の同級生でメンバーをころころ変えて、色んなコピーバンドをやってた頃ですね。BURNING SIGNの前にLASTING FOR ANSWERってバンドをやってたんですが、元々は高校の同級生で組んでたんです。

それで、さっきの「個室関係」のEDGE OF SPIRITのライブの話をしたり、ギターの子が「STRONGER THAN BEFORE」のビデオを手に入れてきたので皆んなで見て、怖い…けどカッコ良い!凄い!ってなったりとか。

その頃は海外のミクスチャーといわれる周辺のバンドも好きだったので、LIMP BIZKITやKORNのコピーなどもやってたんですが、それが段々とEDGE OF SPIRITやBEYOND HATEとかに変わっていって。じゃあオリジナル作ってみようってなったのが高3の途中ぐらいです。HARDCORE PRIDEに初めて行ったのも確かその頃ですね。…って話長いですね(笑)

ー全然!むしろ有り難いです(笑)LASTING FOR ANSWERが初めてのオリジナルバンドなんですか?

そうですね。それでまた少し話が横道に逸れるんですが、京都で同世代のノッツー(NOTⅡBELIKESOMEONE)もオリジナルの曲を作り始めたのが同じ頃なんですよ。

自分たちは立命館の付属高校なんですが、彼らは立命館宇治の付属で。ウーピーズのスタッフに「同じ高校じゃないの?」って聞かれたりすることもあったんですが「似たようなジャンルやってるし、大学になったらスグ会えるんちゃう?」って言われたりとか。そしたら大学が始まってスグ初日くらいに出会って、お互いが「お前らやったんや!話聞いてたで!」みたいな感じでした。

ー必然的に出会った感がありますね!

あと同じ大学と言うと、ノッツーの後輩にfireflyがいたり、バーニングになってから何度か一緒に企画もやったPIZZA OF DEATHのF.I.Bにも完全に同級生のメンバーがいたりとか。最初は喫煙所でよく一緒に煙草吸う、バンドが好きな子ぐらいな感じやったんですけどね。それで話を戻すと、その辺りからいよいよ京都ハードコアの人たちと接触していきます。名刺がわりに音源が要るなぁとなって、当時の機材なんでショボショボなんですけど2曲入りのデモテープを自主で作って。そして当時のCRANK, LAST ONE STANDING, naiad, NORDe, WAYS TO DESTROYなどのバンドの人たちに渡していきました。

ーそんな中での初ライブって何か覚えていますか?

LASTING FOR ANSWERとしてのライブは…正直覚えてないですね…。コピーバンドの時期と境目が曖昧になっちゃって。でも今でも近い界隈の、メタリックなハードコアの括りで言ったら、当時LAST ONE STANDINGのスワさんが滋賀のハックルベリーってライブハウスでブッキングしていた「OUR EXPRESSION」ってイベントだったかなと。それに呼んで貰ったのが確か初めてだったと思います。右も左もわからんまま(笑)フックアップというか、スワさんそういうの好きなんで。新しい子たちいるなら出てもらおかーみたいな感じだったと思いますが。


■楽器と身体性など

ー最初ギターからスタートしてLASTING FOR ANSWER、BURNING SIGNでベースに転向ですよね

合ってます合ってます。高校のコピーバンドとかでやったこともありましたが、ベースをちゃんとやろうと思ったのはBURNING SIGNの時からですね。

ーそれでドラムまでいけるんですよね。マルチプレイヤーじゃないすか!

色々キッカケみたいなのはあったんですけどね。ギターは…今でもなんですけど、自分は何をするにしても指先を使うことに関してあんまり器用じゃなくて(笑)ベースにしても運指をしっかりするランニングベース?みたいな感じとかは…未だに全然上手く出来ないんですよ。ギターの時期も誤魔化し誤魔化しやって、究極で言えば好きになれる感じではなかったんですよね。弦楽器自体に憧れはあったんですが、それならベースでしっかりルート弾きして下を支える…っていう方がまだ性格に合ってるなと思って。そんな感じで、LASTING FOR ANSWERは大学生のバンドで終わっちゃいましたけど、もう一度バンドを組む時はギターから離れたいという気持ちがありました。

ーなるほど。ドラムはどうですか?始めたきっかけ等々。。

ドラムに関しては、当時の滋賀にLAST ONE STANDINGの後輩的な子たちで、今はもうライブとか来なくなっちゃいましたが、ONE AND ALLってバンドがいたんです。そのバンドがドラムがいなくて困っていて。自分はメンバーの子たちと仲良かったんですが「悪いけど京都でスタジオ入ってもらいつつ、しかもゼロイチで良ければ手伝おか?」って話したらOKだったので、ヘルプでスタートしたのがドラムの始まりです。もちろん最初は両手両足が一緒に動くレベルでしたが(笑)結局そのバンドでは1〜2年叩いたんですけど、何とかライブ1本、7〜8曲くらいは出来るレベルにはなって。パンクっぽい感触のバンドで、曲もほとんど2ビートや8ビートだけだったのでドタバタとやってましたね。

ーでも話を聴いていると身体性の高さみたいなものは感じますよ。

ドラムも指先の技術とか、もちろん突き詰めたら重要なんですが、リズムやグルーヴを全身で掴むというか、そういったことは性に合ってるんだと思います。体育会系の話と繋がってくるんですかね(笑)

ー僕は運動全般ダメなんですよ。一番好きなの持久走とかで。なのでエロリンさんの色んなスポーツをやってたっていう話が、色んなパートが出来るって話と繋がるような気がします。

そうかもしれないですね。やっぱり繋がってくることなのかもしれないです。未だにモッシュのキレは悪くないと思ってますし(笑)半分冗談ぽいですが、そういうのも含めた話とも言えるかなと。

ー詳細忘れましたが、バンドやってるプロアスリートとかもいますしね。一概に無関係では無いのかも?

■初東京の思い出

ー東京に初めて来た時の思い出は何かありますか?バンドでもバンド以外でも

お、ちょっと記憶が…小学校の時に東京ディズニーランドに連れて行ってもらった思い出はあるんですけど、それも泊まったのは多分千葉とかその辺だったんですよね。ちなみにディズニーよりも、夜中にホテルの下を道をとんでもない台数で走っていた暴走族のインパクトの方がデカいですね(笑)当時おそらく全盛期だったのかなと。それでプライベートを含めて考えても…ちゃんと行った東京はもしかしたらバンドで呼んでもらったBURNING SIGNかもしれないです。ただそれも苦い思い出があって、その時最初の方に出ていたバンドがステージングで動いた時に配電の線か何かを切ってしまって、ブレーカーが落ちたかでトラブってメチャ押したんですよ。

ーそのライブ行ってました。渋谷ですね。

わ!見てもらってたんですね(笑)それ以降のバンドはスピーカーが飛んだかなんかで、皆んなが中音ナシでやらないといけなくて。スタジオライブならまだしも、ちゃんとしたライブハウスだったんでキツかったなぁと。気合も入ってたぶん、苦い思い出ですね(笑)あ、でも今話してたら、BURNING SIGNより前に当時のALCATRIZE RECORDSを少し手伝ったりとかしてましたし、他の先輩バンドについて行ってたことがありましたね。ただイマイチ記憶が曖昧です。

ー僕も今思い出したんですが「エロリン」という名前を認識したのはALCATRIZEのワタルさん経由だったような気がします。。


■関西ハードコアと関東ハードコア

ーここいらで東京都にお住まいのxtakashixくんから質問を頂いておりまして…

「関西シーン」と一言に言っても各地方における特性や違いは色々あると思います。関東の人間から見ると纏めてみられがちなこともあるそのシーンについて、特に「大阪シーン」「京都シーン」での特性の差異や良い点はありますか?
また、エロリンさんから見る東京や関東のシーンと、関西のシーンについての違いや印象などありましたらお聞かせください。

ーちゃんとした質問ですね…。僕も聞きたいことでもあるので、乗っからせてもらって、二人からの質問とさせて頂きたいのですが、まずは大阪のシーンから伺わせて貰えればと。

あまり範囲広げてもアレなので、ひとまず大阪のNYやニュースクール/オールドスクールスタイルのハードコアで…大きな括りで言うと、90'sからの流れでいえばSxSxSの息吹みたいなものが今でも強く続いてるものがあります。今でこそガッツリとやっているバンドはSANDくらいしかないのですが、極悪でメタリックで…ストロングなスタイルの影響だったりというところに憧れる人たちは一定数いますね。黒のパーカー・黒のディッキーズ・黒のバンダナ・黒の皮手袋。それと歴史はSxSxSよりもさかのぼりますが、HARDCORE BREAKOUTのT.J.MAXXやSECOND TO NONEなどを中心とする、ピュアな80~90'sのNYHCをルーツに持つスタイルの人たちがいて。現状でいえばHARDCORE BREAKOUT名義でイベントを主催したりしているわけではないので、この2021年に影響力があるかといえば正直そうではないと思いますが、その影響だったり想いだったりは色んな所で芽吹いてるところがあって。その辺りを自分たちなりに汲みとって頑張ろうとしているのがSMDだったりするんですが、悲しいかなSMDには影響力が全くないという(苦笑)まぁでもその中でEX-Cが元気で、本人たちも自覚しているのか…完全なる主役というわけではなくローカルに根ざした近鉄バファローズ的なノリで頑張っています(笑)でも常に面白い動きはしようとしていますね。

ーSMDの立ち位置がよくわかりました(笑)

あとは自分の印象で話していきますが、ずっと頑張って自分の好きなことを続けてフォロワーのバンドもいて…というのではGATES OF HOPELESSですね。関西のニュースクールハードコアという面は、SxSxSの周辺とも親和性でいえば近い面はあるんですが、WEST SIDE UNITYという若い子たちのクルーやバンドが周辺から生まれたりもしていて、GATES~は長くやってきた今になって充実期を迎えているようにも見えます。あとはNUMBERNINEの周辺。メンバーが重複しているBRAVE OUTやWRONG STATEなども。ラフでカジュアルで、海外の現行のハードコアをシームレスに持ち込んだ子たちというのは、大阪はもちろん関西を見渡してもいなかった存在だと思います。10代や20代の子たちからの支持も厚く、バンドのスタイルは色々とあれどフォロワーと呼べるような子たちが新しいバンドを次々に組んだりとか、そういう影響力もありますね。自分なりの視点で大きくいえばメインは挙げた4つなんですが、その中でもバンドが死ぬほど数いるわけではないので、それぞれが企画やろうってなると挙げた界隈やバンドが激しく混ざり合うんです。皆んなでやっていこうって部分と、皆んなお互いをライバル視しているみたいな部分があって、良い意味で反発心となってプロレス的になってる部分もあるのかなと。そこら辺をSMDが面白おかしくやれたら良いなと思ってるんですけどね(笑)

ーそういった横串を通す事が出来る人は貴重だと思いますよ。バンドだけでは限界も来るでしょうし。

あとはライブハウスの話とかも出てくるんですが、PALMはVo.高橋くんが火影というライブハウスの顔でもあったりしますし、そういった面も含めてPALMは本当にシーンやジャンルなど関係なく縦横無尽に活動していますね。そういうジャンルが雑多に混ざり合うカオスな感じは、自分が経験した中では大阪の今も昔も変わらない点だと思います。Razors Edgeが年1でやっているライブハウスのサーキットイベントなんかには、SANDやTIGERといったバンドも違和感なくポンポンと入ったりしますし。そういう意味ではshe luv itやFIVE NO RISK、CROW DRAGON TEAやMASTERPEACEなどなど、さっきの括りに入りきらない個性的な活動をしているバンドが沢山いますね。

ー京都でいうと、どうですか?

大阪と並べて話すと、今昔の話になりますが、一度死に体のようになったのは正直なところで。いわゆる京都に根ざして地元でバリバリ活動している、っていうハードコアバンドが一気に減った時期があって…。そういったシーンでは最も古株の一つであるCRANKも、続けてはいるんですがライブの本数が減っていったり、NAIAD, LAST ONE STANDING, NORDeといった、いわゆるあの頃の京都バンドも軒並み解散したりストップしましたしね。それを何とかギリギリ繋いだり、頑張ろうとしてたのがBURNING SIGNだったりノッツーだったりしたんですが、当時の人たちが思うような京都ハードコアは一旦無くなってしまったのが現実です。

ーそうですよね。。

ただ今の京都でいえば、手前味噌ですがNODAYSOFFを始められたのは大きいと思っています。メタリックなハードコアの界隈といったところでは特に。それでも大阪などと比べると、極端にバンド数が少ないという面はあるんですけどね。若手にはF.Pというバンドがいますが、もはや歳が一回り以上も下だったり(笑)あとはFRONT OF UNIONというレーベルもやってるKiMが独自の色を出しながら、EX-CやBEYOND HATEなどのバンドをレーベルに巻き込みながら、ここ何年かは特に活発な動きをやっています。

ー関東でも似たようなことは思います。大多数の人は東京に出てバンドやってたりしますしね。横浜も今人気のバンドやハコはあるにはありますけど、90年代末や00年代頭のイメージとは程遠くなりましたし。大都市が近くにある宿命なのかなって気がするのですが…。

京都は地方都市の方では割と大きい方だと思いますが、街の規模としては小ぢんまりとしていますからね。大都市の大阪がすぐ隣にあるという点で、もしかしたら横浜と近いところはあるかもしれません。あと京都は学生の街というのが昔から地味に大きくて。市内に大学がいくつもあるので、大学の時に組んだバンドなどは空中分解することも珍しくないです。ただ、最近も昔のウーピーズの映像をあらためて見たりしてたんですけど、お客さんも演者も本当に若い人ばっかりで。これは自分がそういうライブに出入りするようになる寸前の話ですが、CRANKが最も活動的だったのも確か学生の頃と聞きましたし…MADBALLやALL OUT WARなどがウーピーズに来たりしていたのもその頃ですね。NAIADなどが活発だった2003年頃の時代も、学生が所属しているハードコアバンドは珍しくなかったです。まぁもちろん皆んなずっとモラトリアムみたいな生活が続くわけではないですし、もちろん生活に関わってくる話なので悪いことでもないんですけどね。でも奇跡的なタイミングや巡り合わせが長く訪れていないことに、少し寂しくなる時があるのは確かです。

ー東京のシーンに関してはどう思われますか?

こっちとの違いで言うと、ジャンルがより細分化しているように思います。そして細分化しても、それぞれが成り立つ状況だったりするのかなと。人の多さや街の規模の大きさ、というのは1番の理由に思いますが。同じ100~200人規模のライブハウスで企画をしても、近しい括りのバンドだけで成立しやすいのは東京ならではなのかなと思います。こちらだと例えば大阪でSMDが企画するとなっても、SMDのバンドだけでやるとなると色々と難しい面があったりして。ふと考えだすと、大小あれど必ずといっていいほど混ぜ物を求めたくなってしまうんです。コロナ禍ではタイトな内容のライブも増えてますし、そういうのが変わっていくキッカケになったら面白いなとも思いますが。まぁでも、そういった意味で東京は細分化しても成り立ちやすい風に映っています。そこにある苦労などは今は省いて話してますが。

ー敢えて混ぜようって主催者もいるにはいますが、僕の印象だと多くはないかもですね。

混ぜた方が化学反応が起きて面白いんじゃないの?って人も一定数いると思うんですけど、ノリの合わない人たちを無理に混ぜなくても良いんじゃないかって人もいますし、趣味が合う人や普段から一緒にいる人たちで成立するならそれで良いじゃないか、と考えるのはおかしくないと思うので。そういった風に見える中で、最近ではKRUELTYが面白い企画するなぁといつも見ています。まぁでもこれ、良い悪いの話では決してなくて、そういうので成り立つように見えてるって感じですね。

ー確かに。企画をするってなっても東京なら近いバンドで組みますしね。横浜とか勝手が違うハコとかになると「東京から集客見込めるの?大丈夫なの?」みたいなこと聞かれましたね。地方だと更に色々なミックスが顕著ですよね。

今でこそ少し減りましたけど「音源聴いて良かったので、ウチの街にライブ来てください!」って感じのオファーとかがあると、毛色の違うバンドがいくつか混ざるとかっていうのはよくある話だったと思います。自分も海外バンドの来日とかを平日の京都で頼まれた際は、実際似たようなブッキングをしたこともありましたし。

ー"そうじゃなくても出来る"っていうのが東京なんでしょうね。良い悪いの話では無いんですけどね。


■地方と配信とハードコア

ー地方に限らず、色んな方に聞いてみたい質問のひとつでもあるのですが、今配信の様々なライブが増えていますよね。それによって地方から東京に無理して出る必要も無いんじゃないか?東京集権だったのが、地方分権も進むんじゃないのか?とか考えたりするのですが、エロリンさんはどう思われますか?

これは昨年から色々話題になってきたことですよね…ホントに頭からケムリ出るくらい考えたことの一つでもありましたが、正直自分はあまりポジティブな答えが出てなくて。ハードコアに関して言えば、特に実際のフィジカルの力に勝るものは中々ないジャンルだと思うんです。と言うのも、ハードルの高さをどうこう言う音楽ではないとわかっていますが、実際のライブで魅力にやられたことがあるとか、そういった体験や予備知識がないと配信はキツいんじゃないかなと。観ている側の想像力が試されてしまうというか。

ーなるほど。確かに最低限のリテラシーが無いと難しいところがありますよね

何か行動を、といったピュアな気持ちで配信ライブなどをやった方たちに対して否定することは全くありませんが、お客さんも主役を張る特異なジャンルだと思ってますし、魅力を伝えきるというのには色々と適してない気がして。自分たちのコミュニティに向けてやることは何も悪くありませんが、費用面や工数みたいなことまで考えると、それらを広げたり深堀りしたり、継続したりすることは難しいかなと。さらに言えば、メロディーの歌ありきの楽曲に慣れている人たちにアプローチしたりとか、そういった大きなところに向けて配信して、収益が上がるといったレベルの話は遠く感じられますし。

ー筋道が出来上がっていない→どうにもし難い前提があるのは確かですよね。

そうですね。とはいえ自分も影響を受けた中に「HANG-OUT」で初めて見た、BIOHAZARD「Shades Of Grey」のMVがあったりして、わっちゃーとなってるのをスゲーと思う衝撃はありましたし、そういう映像の力で目覚める人は勿論いると思うんですけども。でもフィジカルの…それこそビートダウンのパートでモッシュしたくなるような衝動って最初は自分も理解できなかったりしましたし。そういった体験や積み重ねの部分が無いと、最初っから配信がタッチポイントになるっていうのは…あんまりネガティブな話にはしたくないんですけども。

ー根付き難いものがありますね。言われてみれば、初めての立場だったらピンと来ないような気もします。

なので正直、配信はハードコアの大きな魅力であるモッシュとかダイブありきのライブと相性は良くないと思うんです。例えばenvyやCRYSTAL LAKEといった、ハードコアの枠を超えた世界観、スキル、音楽性などを担保した魅せ方ができるバンドは別だと思うんですが。シビアな言い方にはなりますが、映像作品的な要素が乏しく、3コード的なガチャガチャとしたハードコアバンドの熱量だけでは正直難しいものがあると思っています。それならカウンターアクションなどがSNSを通じて活発に動いていましたが、ハードコアの魅力が詰まった過去の貴重なライブ映像を配信したりする方が、無観客のハードコアバンドのライブ配信よりもよっぽど有意義な気がしますね。東京では岡村くん(ex-LOW VISION)や、TOMEさん(BOWL HEAD)などが様々な形でラジオ形式の番組を動かしたりしていますが、そういったものなども良いなと思っています。

ー企画の余地はまだまだあるけど、ハードコアならではの特性ゆえに難しい面もあるって感じですよね。。


■京都をスラムダンクの五人に例えると?

ー真面目な質問が続いて来たので、ここらで雰囲気を変えて、事前に質問させて頂いてたのですが、

「京都の名所をスラムダンクの五人に例えると?」

を聞いていこうかと。前半でも話した通り、僕は京都行った事無くて、この状況が落ち着いたら行ってみたいなと思ってるんですが、街の特徴などを地元目線で聞いてみたくて。で、ただ聞くのも…と思い、エロリンさんのインスタ見たらスラムダンクネタのストーリーズ挙げてたので、メインの五人を名所に例えて紹介してもらえればな、と。

これだいぶ困ったんですけどね(笑)もちろんスラムダンクはは大好きですけど。名物っぽいものより、街や地域の括りで言った方がしっくりくるかな?って感じで考えてみました。

ー宜しくお願いします(笑)僕の住んでる横浜も参考までに挙げさせて貰いますので!

※スラムダンクを知らない方、置いてきぼりにしてしまい、大変申し訳ございません。

・桜木花道

桜木、主人公ですよね。僕の中では京都の繁華街・歓楽街で"木屋町通"です。夜の街で飲み屋とかが立ち並んでるところがあるんですけど。桜木っていったら派手で、実力でいえばポテンシャルは高いけど、それが伴わない感じで。とはいえ派手で主人公的、他のメンバーとの兼ね合いでいったら木屋町かな、と。ガラの悪さという点でもわかりやすいトラブル多いですし(笑)

ー他のメンバーとの兼ね合いが出て来るんですよね(笑)横浜の場合は"横浜駅周辺"です。『横浜』と駅名を冠してる割に、飲み屋とオフィスばかりで、トップに出るのは難しい。でも場所によってはガラが悪いっていうので選びました。最近、明治以来一生出来ないと思ってた駅ビルが完成しちゃって、シュートを覚えた花道みたいに…。

・流川楓

ー流川どうですか?

これも街とか通りなんですけど"河原町通"です。木屋町の近く、通りを挟んで隣なんですけどね。京都の夜じゃなくて昼の繁華街って感じです。若者メインの百貨店とかあったり。実力でいったらエース。キャラクターの大人しいイメージより、スター性やエースの方を優先させたら河原町かな、と。

ー横浜の場合は"みなとみらいの商業施設"です。文句無しにするランドマークで観光客ダントツのエースなんですが、中には建てたものの、奮わなくなる施設もあったり…。ぶつりかりそうな壁が見えてるって事で選びました。

壁(笑)面白いですねこれ。

・宮城リョータ

リョーちん迷ったんですけど、木屋町河原町と来て、更に若者の行きそうなところってことで、新京極と寺町京極ってのがあって。両方とも大きな通りで、かなり大きいアーケードになってるんです。派手で小さなお店がいっぱいある感じなんですね。人気があるところで、店の入れ替わりが激しかったりするんですが、小ぢんまりしててすばしっこいってところも、イメージ的に自分の中では一番近いかなと。

ーなるほど…そう来たところで僕が挙げた横浜の場合は"崎陽軒のシウマイ弁当"と恐縮なのですが…。

良いじゃないですか(笑)そのこころは?

一応ローカル規模の会社なんですけど、出張で新幹線に乗る人とか、横浜に来た地方の人に振る舞うお弁当とかで重宝されていて、基本的に仕事が的確なんですよ。しかも名物にうまいもの無しにならず、現地民でも、たまにむしょうに食べたくなる時があって。小回りが効くバイプレイヤーって感じですね。

・三井寿

ーこの人、結構難しいんじゃないかなと思うんですけど…?

ミッチーはですね、街から一山越えたところに"山科"って地域があるんですよ。規模も結構大きいんですがガラが悪くって。で、この一山越えてるってことでシューター的な立ち位置とイメージが重なって。あとガラの悪さゆえのヤンキー的な熱いところもあったりとか。

ー何か特徴的なところがあるんですか?(無知で大変申し訳ありません!)

山を越えるって言っても車ですぐのところですし、街にこれといっちゃんて名物があるわけでは無いんですけどね。言い方は悪いですけど、ホントに軒並みガラ悪い(笑)もちろん人それぞれですけどね。自分の中ではミッチーが山科しっくりくるかな、と。あ、王将の社長が射殺されたところですね。

ー!それで何か聞いた事があると思ったんだ…なるほどですね…わかりました!
僕の場合は"横浜の町中華"…って食べ物ばっかりですね。でも横浜周辺の中華料理屋というか定食屋って、意外と中華街出身の料理人が多くて、安くて美味しいところが多いんですよ。かつて華やかな中華街で働いてた人が、庶民的な定食屋で…っていうところを重ねました。

・赤木剛憲

ゴリは"祇園"ですね。

ー文句無しですね。

昨日も高くないお店がたまたま夜まで開いてたので行ったんですけど、緊急事態宣言のアレコレもあったり、着物のママがいたりするお店とか廃れかけてる面も正直あるんですけどね。それでもチームの精神的な大黒柱的、ってところでいえば祇園になるかなと。

ー歴史もあり問答無用の全国区ですよね。それで僕が挙げたのが"家系ラーメン"って…これ考えた時、多分お腹減ってた時だと思うんですけど、横浜発祥で全国区って事で。。

・その他のメンバー

それとサブメンバー的なところも考えてきたんですよ(笑)

・メガネくん(木暮公延)

四条烏丸ですね。オフィス街で昔ながらの呉服屋さんや問屋さんも多い地域だったりして。堅実で真面目なイメージが合うかなと。ミッチーの山科やそこに隣接する伏見だったりするエリアと相反するイメージで(笑)

・カク(角田悟)

カクは京都駅ですね。玄関口っぽいイメージで確かに人の出入りも多くて駅も大きいんですけど、周りはそうでも無いんですよ。お店もそんなに無いですし。カクには悪いですけど、ガワは大きいけどナカは伴って無いかなと(笑)

・ヤス(安田靖春)

ヤスは西院。ライブハウスのGATTACAもこの地域です。ヤスは実は結構気が強いじゃないですか。内に秘めた熱い部分があるっていう。西院って自分の同年代や先輩とかが独立してよく飲食店を出したりしていて、今ちょっと流行ってる地域なんですよね。サブ的なところはあるんですが、その中でも熱いキャラ…ってところは合うなと。こんなところですかね。他のキャラまで考えるとキリ無いんですけどね(笑)


ー沢山考えて貰って本当にありがとうございます!ちなみに僕が考えた他キャラで言うと、

・仙道彰

野毛の飲み屋街、ですね。

みなとみらい(流川)のライバル、駅挟んで向こう側、昼の街と夜の街っていう対比も含めて。みなとみらいは行政も絡んでガッチガチですけど、野毛は比較的に飄々としている印象で、飲食店も多種多様ですしね。あと何気に動物園があって、子供向けのコンテンツまで抜かりがないところとか。。
…なんて相手校まで考え出すとキリがないですね(笑)

※あくまでエロリンさんとKMの個人的な見解です!


■最後にひとこと

ーこの辺りで締めさせて貰えればと思うのですが、何か一言ありますか?

本当に自分でインタビューすることが多かったんで、こんな感じの機会は待ってましたと言えば待ってましたなんですよね。誰かインタビューしてくれよみたいな(笑)裏方っぽいことは好きなんですけど、目立ちたがりな部分も多少なりともあるので。なのでこういう機会は嬉しかったですし、本当にありがとうございます。

ーいえいえ、とんでもないです。こちらこそです。

最後に一言…今コロナのあれこれで、大きい話じゃないんですけど、思いやりとか配慮とか、去年一年、政府のこととかも含めて、そういうものが無くて嫌だなと思うことが多くて。道徳とかモラルとか大事だなって今になって思うことが沢山あるんですよね。皆んなで共有したりする空気感やムードって、自分の捉え方もあるんですけど、そういったものが欠けてると良くない方向に行っちゃったりするんだなと。ハードコアとか自分が属してきたコミュニティでは、特に無くしたくないなと思います。タフで乗り切るのがしんどい時期ですけど、皆んなで今話してるようなことを共有して我慢して乗り切れば、また全開でやれる時がいつかはわかんないんですけど…そうなった時により強くなれる気がするので。ってのは念頭に置いてやっています。最後に一言ってこれで合ってるのかわからないですけど(笑)あとNODAYSOFFが3/20にRADICAL EASTから新しいEPを出しますので、是非チェックしてほしいです!SMDcrewもコロナ禍で出来ることとして面白いコンテンツを考えています。またアナウンスするのでご注目くださいませ。


ーありがとうございます!色んな事が落ち着いたら必ず京都に行きます。


Special Thanks!! xtkx!!


■あとがき

いかがでしたでしょうか。OVZでは初のほぼ初めましての状態のインタビューで、手汗びっしょりの緊張感で臨んだのですが、エロリンさんの噂に違わぬナイスガイぶりで沢山話して頂き、良い感じに自分の存在感が消え焦点が絞られた内容になったのではないかと思います。関東に住んでいたら気付かない目線、エロリンさんの的確な関西ハードコアマッピングなど、体育会系ルーツには収まらないクレバーな語り口に大変刺激的なインタビューでした。時間にして大体二時間。まだ話し足りないというエロリンさんには恐れ入るばかりです。実際まだ聴きたい事があるのも確か。再登場に乞うご期待!という事で、今回は終わりにしたいと思います。

またお会いしましょう!!





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