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One Voice Zine vol.4 タクヤン(ex-Disease,ex-BREAKING POSITION,Blizzard Framework Joy Ride,DEAD SOULS,BLINDSIDE)

今回は身内も身内で恐縮だな…と思ったら、案外聞いた事が無い話が多かったタクヤンです。前回に引き続き、KMの事をカンちゃんと呼ぶ人脈にして数少ない同い年の友人で、宇都宮時代やスポーツ・格闘技など、改めて話を伺いました。同窓会トークという事で今回はくだけた雰囲気になっています。
ちなみに、当たり前すぎてて聴くのも書くのも忘れていましたが、バンドでは彼ベーシストです…なんでそこ忘れるかな自分よ…。


■最近何聴いてる?

ー最近何聴いてる?

NEUROSISか、あとは映画のサントラかな。暗い音楽が好きだから「ジョーカー」とか「ミッドサマー」のサントラとかね。

ー「ミッドサマー」はBobby Krlicっていう人が手掛けてるんだよ。The Haxan Cloakっていう名義でダークなアンビエントとか手掛けてて。サントラよりもミニマルでダークかもしれない。

そうなんだ。あの映画は「ウィッカーマン」みたいな雰囲気だよね。最近はそんなのばっかりだよ。それか真逆の明るいポップパンク。FOUR YEAR STRONGとかね。もう歌詞が可愛いなと(笑)

■中指を立てる小学生

ーそもそもタクヤンの家って音楽聴くんだっけ?

いや全然。うちは旅行一家だったんだよ。北海道から九州から車で行くようなね。だから音楽は車で聴くものだとね思ってた。車内でかかっていたのは、邦楽だと安全地帯とかレベッカとか、父親が好きな洋楽でEARTH,WIND AND FIREとかSANTANAとか。それで小六ぐらいに、そもそも邦楽はあんまり聴かなかったんだけど、好きな女の子のために、好きでもないB'zを泣きながら聴いてアプローチするというね(笑)そもそも、カンちゃんも分かると思うけど、皆んなが好きじゃないものを好きになるとか、そんな感じだったよ。

ーそうだね。自分の場合は姉がいたから、少し上の世代が聴くような音楽が入りだったしね。必然と。

初めて買ったCDは「らんま1/2」の主題歌だったよ。

■エイミー・佐々木・ジャクソン先生

中学から変わって行くんだけど、中二ぐらいに音楽仲間というか「変わった事やろうぜ」っていうササモトっていう、変わった事どころか人生を変えてくれたぐらいの友達ができてね。そいつと「日本の音楽、もう一つ何か無いかな」って話してて。

中学高校の頃ってさ、学校に海外から英語の先生とか来なかった?

ー来たよ。もの凄く好戦的なスコットランド人が。不良だろうと何だろうと怒鳴りつけるんだよ。シャロンっていうね。本当にシャロン怖かった…。

まじか(笑)それでウチは女性で、今でも覚えているんだけど、エイミー・佐々木・ジャクソンさん。その人がパンクとかハードコアとか、今思うとストレートエッジとかにも詳しい人だったんだよ。で、ある日の授業で、音楽がかかっている時に生徒同士がボールをパスしていって、ストップしたら何か言わないといけないっていうゲームをしていて。流れてる音楽が皆んなが知ってるようなのじゃなくて、OFF SPRINGの"Smash"だったんだよ。

それで友達と「え、何これ?!」ってなって。格好良かったし、聞いたこと無い音楽だったしね。でもそこに行くまで結構試行錯誤してて。TSUTAYAの前身みたいな本屋で、ドクロとかが描いてある…IRON MAIDENとかJUDAS PRIESTとかジャケ買いしててね。

ー(前回のシブさんと被ってる…)

とにかくジャケットと求めてる音楽との乖離を感じてしまって、無理矢理聴いてる感があったんだよね。唯一気に入ったのはGRAVE DIGGER。

スラッシーで格好良いなと思ってたところに、そこにさっき言った"Smash"。Epitaphとかメロディックパンクが盛り上がって来た時期だったしね。これだ!と凄く刺さったんだよ。そこからエイミーさんに教えて貰うようになってね。「そんなに好きなら、もっと良い"歌詞"のバンドがいる」って薦めてくれたのがDEAD KENNEDYSで…。

ーそれはまた随分と攻めたチョイスだね…

当時はもう歌詞も今ひとつわからないし、メロディも…だし、流石にうーん…となってたら、初期のGREEN DAYとかポップで聴きやすいのを薦めてくれて。

ーエイミー、だいぶ譲歩した

そう、譲歩した(笑)実際DEAD KENNEDYSの次はDAG NASTYとか渡して来たからね。今にしてみれば相当詳しい方だよね。

ー90年代初頭に先生やってたって事は、リアルタイムか、それに近い世代だね。

だね。それに先生BLACK FLAGのTシャツとか着てたしね。でも生徒はほぼ誰も知らないんだよ(笑)それからエイミー先生の家に毎週のように遊びに行って、色んな音楽を聴かせて貰ったよ。その後は皆んなやってるように歌詞カードのサンクスリストとかバンド名を探して片っ端から買うような事をやってたね。柏まで行けばディスクユニオンもあったしね。

※タクヤンは千葉県野田市出身です

ースタートは相当ピュアなキッズだね。それが中学高校ぐらいまで?

そうだね。お金が無かったからPunk O-ramaとか、More Punks For More Yenとか、1000円とかで洋楽邦楽問わず入ってたりとかいうのとか、そういうオムニバスから聴きまくったよ。途中からEpitaphにH2Oとか入って来たりした時代とかだったしね。そういったカオスな流れからハードコアを知るようになっていったかな。

ー日本のバンドはその時に?

いやーHI-STANDARDやCOCOBATだったりを知ったのはだいぶ後の方。高校の時はライブハウスとか行ったこと無かったしね。「日本でもこういうバンドいるんだ」と知ったのは高二になるかならないかぐらい。洋楽に傾倒していたしね。相変わらずジャケ買いとかはしていたんだけど、気になって手に取ったのが、INTEGRITYの"Humanity Is The Devil"。

当時は知らなかったけど、Pusheadのアートワークが格好良くて。ただね、最初聴いた時に「何これ全然好きじゃない」と思っちゃって(笑)

ーそれまで聴いてきたのとぜんぜん違うしね

全然好きじゃないんだけど、100回ぐらい聴いたら、どハマりして好きになったね(笑)それから他の作品も聴いていってね。音楽に関しては色々聴くんだけど、あんまり深くなくて、浅いんだよ。マニアックでも無いし、自分が気持ち良いなと思ったものを聴き続けるみたいな感じ。

■部活の話から大学の話など

ーそういえば聞いたこと無かったんだけど、部活って何かやってた?

小中高とずっと剣道。でも高校の頃は真剣にやってなかった。

ー剣道なだけに?

え?

ー真剣でやるとケガをする、と。

うまいけど(笑)別に剣道が強い高校とかでも無かったしね。スポーツに関しては自分の中でルールがあって『チームプレイと球技はしない』っていうのがあるんだよ。

ー確かに全然イメージ無いね。

もう全く無理。小学校の頃に少年野球やってたんだけど、豪速球を投げる割にコントロールが無いとか、そんなタイプ。

ーポジションは?

キャッチャー。一番チームプレイを要求されるんだけどね(笑)野球はやってて辛かった…楽しいと思った事は無かったな。チームプレイで言ったら、最近の話だけど、ラグビーとかは面白そうだよね。リスペクティヴというか。

ーがっつりチームプレイだけど、とはいえ一瞬だけどマンツーマンというかタイマン的な場面も出てくるしね。

◾️00年代初頭、宇都宮ハードコアシーン

ーじゃあバンドは高校の時にはやってなかった感じ?

バンドは大学に行ってから。キャンパスが宇都宮だったんだけど、行ってみたら「あれ?柏より栄えてない?全然都会じゃん」って衝撃を受けたよ。ごみごみしていないし、移動手段は自転車か原付か車なんだけど、学生にとっては全然青春を送れそうなところだなと。そこでやりたかった事、バンドとかもやるようになっていったね。プレイヤーとして動き始めるのは大学三年とか四年なんだけど、その前はバイトとして宇都宮vogueってライブハウスで時給500円で働いてたんだよ。なんで500円かっていうと、募集もしていないのに自分から「どうにか働かして貰えませんか?」って行って「じゃあ500円なら良いよ」って事になってね(笑)

ーそれで出してくれるだけ偉いよ。でもなんでまた?

バンド活動してみたいなと思ったんだけど、まずどうしたら良いのかわからなくて。周りはヒップホップとか、バンドと言ってもミクスチャーみたいなのとかで、今まで自分が聴いてきたような音楽を好きっていう人がいなくてね。それならそういうライブをやっているところで働けば知り合いが出来るんじゃないかと。それで宇都宮でやっていたEARTHQUAKEっていうバンドで初めてハードコアというか、NYHCスタイルのバンドに触れて、その時一緒にやってた10 FLOORS UPっていうバンドの人とかとも知り合うようになってね。

仲良くなっていったら「バンドやってみなよ」とか言われるようになるんだけど、そういう知り合い居ないしね。そしたら宇都宮の大学生でバンドやってる奴がいるからどう?って言われたのが同年代のDisease。バンドあるあるなんだけど、活動的な奴とそうでない奴とがいて、Diseaseはドラムが活動的な方で、色んなライブに行くような人だったんだよ。そいつと仲良くなっていってね。そういえばバンドやってる人達の気を引くために常にINTEGRITYのTシャツ着てるとかやってたなー(笑)

ー00年代のド頭でしょ?しかも宇都宮。それは目立つね(笑)

ネットで買うのが今ほど簡単な時期じゃ無かったし…そうそう、中学校の頃からアメコミが好きなんだよ。そこでzineとかも読んでて、バンドのマーチャンダイズの情報とかも仕入れる事が出来てね。それでメール…っていっても電子メールじゃなくて、本当に手紙で送る方のメールオーダーでTシャツとか買うようになってね。INTEGRITYはVICTORY RECORDSのメールオーダー。画像なんてロクに無くて、文面だけで判断しないといけなくて。

ー何色が来るかもわからないってアレね。

そこは黒のあのボックスロゴとかだったけどね。

※こちらはDeathwish版

で、INTEGRITYとH2Oとか知ってるバンドを買っていったよ。どんな組み合わせなんだ?って話だけど(笑)それで話しかけてくれた人たちやDiseaseのメンバーと仲良くなって行って…って感じだね。DiseaseはNEWSCHOOLハードコアだったんだけど、宇都宮には似たような感じのバンドがほとんどいなかった。どっちかと言うと、オールドスクールやデスメタルとかトロイ系とか。EARTHQUAKEはNYHCみたいなスタイルだけど、10 FLOORS UPはNEXT STEP UPみたいなスタイルを意識していたのかな、今にしてみれば名前もね。でも両バンドともキャリア後期ぐらいに知ったものだから、間も無くして辞めちゃってね。その後に出てくるのがBLAZE OF TERROR。Black Pain Inflication,今のMONADのメンバーもBLAZE OF TERRORのメンバーだったりとかね。自分の日本のハードコアの走り、一番の青春と言えば、その辺りからかな。

ー確かに、当時の宇都宮っていうとBLAZE OF TERRORの印象が強いかも。BBSの告知でも宇都宮のイベントの情報はよく目にしていたよ。

実際に人気もあったしね。他の地方から来て絶賛して帰って行く人とか居たり。それに名古屋や関西方面のバンドと交流も盛んだったしね。アパレルの方でもBROTHEPHOODは勿論だけど、宇都宮ではSURPASSとかSQUAREとか名古屋のブランドも人気が高かったね。よく来てたバンドのイメージだと神戸のIMMORTALITYとか名古屋のDEAD REFORCEとか。オールナイトイベントとかあると近寄りがたい雰囲気はあるし、モッシュとかも全然違うし、宇都宮でまとまってた身からすると、それが良かったし、だいぶ刺激的だったよ。

ーその時Diseaseはどうだったの?

対バンする事はあったけど、似たようなバンドがいないしね。宇都宮では人気無かった(笑)でもメタル好きな人とか、東京から来てくれた人がいたりしたら大興奮したよ。「もっと東京来てくださいよ!」みたいなのはあったけど、まー宇都宮から出なかったね(笑)

◾️千葉に戻り、BREAKING POSITIONへ

ー僕らが知り合ったのもそれぐらいか。自分が当時書かせて貰ってたファンジンと、始めたバンドとで、色んなバンドとコンタクト取ってて…今考えると信じられないぐらいアクティブなんだけど…その中で宇都宮のDiseaseが格好良いって思って連絡取ったのがタクヤンで。

そうだったね。初めて話したのは二子玉川のPINK NOISEってハコだよね。友達がやってた企画でタイミング良く会えたのが始まりでね。00年代初頭の当時、千葉の野田でハードコア聴いてる奴なんて全然いなくて、知らないだけかも知れないけど、ここ20年ぐらいで、やっと出て来たのがタケシ(BLINDSIDE vo.)ぐらいだったしね。死ぬほど嬉しかったけど。で、そういった千葉のイベンターの企画を通じてwombとかENFORCEってバンドと仲良くなったりね。他にも地方の、北は札幌とか、色んなバンドの人と知り合ったよ。

ーそれが大学四年ぐらい?

かな。宇都宮に残りたかったし大学院に行くんだけど、大学の時は化学系、バイオサイエンス方面で薬を作る方の勉強をしていたんだよ。そこから生物学をやりたいなと思うようになってね。その発端がBad Religionのvo.のGreg Graffin。本も持ってるんだけど、進化学の人で相当アカデミックな人なんだよね。バンドでもレキシコン(辞書)パンクって言われるぐらい歌詞とか難しい、ネイティブの人でも調べないとわからないぐらい、それぐらい複雑な言い回しや言葉を使っていたしね。そんなGregの世界観がアーティスティックで魅力的に思えて影響受けて、そういう人がやっている学問(生物学)って何だろう?って思って、遺伝学やりたいと思ってね。でも教授と仲良く無かったから院に入るコネが無くて院受験することなって。で、死ぬほど勉強して院に入って、それと同時にバンド活動も頑張って…って時代だったよ。
その後、卒業して就職して実家に帰るかってなった時に、INCLUCIVE inc.の人達に誘われて。当時、宇都宮に対バン?遊びに来てたのかな?GODIVISONってバンドで来ていて、(弟の)ちくわくんとかも来ていて、「千葉に帰って来るなら一緒にやろうよ」ってなってね。H2Oみたいなバンドが好きだって言ったらBREAKING POSITIONに加入することなったんだよ。

ー気が付いたら帰って来てやってたよね。

今までやってきたバンド、途中加入ばっかりなんだけど、唯一発起人だったのが、タケシ(BLINDSIDE vo.)を音楽の世界に引きずり込むためにやったBllizard Framework Joy Rideってバンド。同じくBLINDSIDEのドラムのカズキが宇都宮でやってたバンドに客としてタケシが来てて、今では考えられない、ここでは書けないような出立ちだったから当然イジるわけよ。「どこ出身なんだよ?」って聞いたら「野田っす」って言うから「嘘つくなよふざけんなよ」みたいな(笑)

ー理不尽(笑)野田で嘘つく人はそうそういないかと…

そんなこんなで「じゃあバンドやろうぜ、明日から。(パート)何やりたい?」ってタケシに聞いたら「強いて言うならドラムです」ってね。初心者も初心者なんだよね。でも音楽の世界に誘い込む目的は十分果たした(笑)

ーBREAKING POSITIONは相当やってたよね

活動がとにかく激しかったんだよ。レーベルのINCLUCIVE inc.も頑張ってた事もあるんだけど。バンドは多い時で毎日のようにスタジオ入って、週末にツアー。年間にすると相当数いってた。でも、就職した事もありつつ、好きでやってはいたけど、趣味と言うにも(これは通常の生活に支障が出るぞ)って思ったらね…。ちょっと疲れてしまって一旦休みたくなって辞めることにしたんだよ。

◾️DEAD SOULS~BLINDSIDE期

ー仕事とライブの本数の兼ね合い大丈夫か?って思ってたよ。それで何年か期間を置いてDEAD SOULSか。

2011年の地震があった頃だね。電車もまともに動いてなくて出勤しようにも身動き取れない時期で時間があって、カンちゃんに連絡とったんだよね。「今こんなバンドやってる」って教えて貰ってから、いろいろあって加入だよね。

ー二,三本目のライブが終わったぐらいだったかな。タクヤンの加入でパートをコンバートせざるを得なくなったヒロスケという人物もいつつね…。彼が就職して、研修がどうとかでライブに出れるか微妙な時期だったのもあって誘ったんだったかな。ちょっと曖昧だけど。

DEAD SOULSは月1,2ぐらい、たまにライブみたいなペースで、それなら丁度良いかなって思ったんだよ。カンちゃんも言ってたけど「草野球ぐらいのペースでやる」って言ってたのが響いてね。大学の時、NYHCとかニュースクールとかも聴いてたんだけど、NEUROSISとか暗いのにもハマっててね。そこから派生してQUICKSANDに異様にハマっていったんだよ。"Omission"が特にね。

DEAD SOULS
このライブ観た人は相当レア

そうしたらある日タケシにBLINDSIDEのベースが海外に行くから入ってくれないか?って誘われるんだよね。色んな経験させて貰ったけど、BREAKING POSITIONと似たような感じになっちゃって辞めて…って流れになってしまったんだよね。違う事と言えば音楽をやる事に気が向かなくなってしまったんだよね。難しいところではあるんだけど…。バンドは10年ちょいぐらいか、ひとつのバンドでは無かったけど、飽き性な自分にしては続いた方だよなあ。

BLINDSIDE

◾️山の話

ーDEAD SOULSの時に山に異様にハマってたよね。トレイルラン?

あの頃って、仕事もだいぶパツパツだった時期で精神的にも参ってたんだよね。さっきの団体競技個人競技の話とも関係するけど、山って究極の個人競技なんだよ。それで瞑想というか気分を切り替えるために登り始めてね。

ーそれまで山って登ってたの?(質問デジャヴ)

いや全然。ちょっと気が滅入ってた時期に中学の音楽友達が山でも行かない?って誘ってくれたんだよ。「トレイルランニング(以下トレラン)とか良いよ」って。

ーいきなりトレラン?

そう。山もスキーとかキャンプとか親に連れて行かれた程度。当時◯月◯日にトレランとは言われても、山なんて走れないだろ無理だろと思って、でもスポーツやってきた身だし、初トレランまでに毎日10km走ってたんだよ。体力づくりから始めた。

ー体力の素養はあったんだ。

だね。それで初めてのトレランは、あきる野市の青梅街道〜金毘羅尾根を…とかやってね。その時はトレランなんて全然一般に浸透していなくて、山好きの人が一部気になってる程度だったんだよ。普通の登山客にはだいぶ嫌がられていたけどね。シングルトラックって言って、人ひとりがようやく歩ける細い道を普通は踏みならしながら歩くんだけど、そこをトレランの人達はバシバシ走って行っちゃうわけよ。崩れたりとか危ないんだよ。でも今は道やマナーの整備がしっかりして来て、そこはちゃんとしているんだけどね。そういう道は走っちゃいけない、追い抜かしちゃいけないとかね。でも当時は重装備で山に登っている人とは裏腹に、こっちはTシャツ短パンでしょ。山小屋のおじさんとかの「何やってんだ!ふざけんな!」とかマジで怒られたりした事もあったよ。

ー「完全に山をナメた奴が来た!」みたいな感じになったんだね。

今でも100%受け入れられてるとは思わないけどね。でもそれをする事によって、こんなにキツい事はない!何も考えられない!ってなってね。気分は晴れたよ。

ー山走って来てから翌日DEAD SOULSの練習入ってたよね

前日に高尾山行って景信山行って陣馬山行って、普通に歩くと3日間ぐらいかかるところを4時間とかで行って来てバンドの練習とかあったよ。

ーうわあ…(静かに引く)

でもね、死ぬほど気持ち良いんだよ。ランナーズハイとクライマーズハイが一緒に来るからね。脚もぶっ壊れて最高に辛いんだけど、そこからアドレナリンとかエンドルフィンとかガチガチに出まくり。何も考えられなくなって爽快感のみ。それで帰ってくると立てないぐらい疲労感が来るんだけど、そこで飲むビールがヤバいよ。マジで細胞単位で沁み渡る。

◾️ブラジリアン柔術

ー格闘技はBLINDSIDEやってる時から?

格闘技は実は大学で空手部だったんだよ。部だったから思いの外キツくてね。お金かかるのも嫌だったから段級申請とか全然受けなかったし。金額にすると大した事ないんだけど、学生だし常にお金がなかったしね。とにかく白帯(笑)でも何とか4年間頑張ったよ。
それで仕事始めたら、会社の激しめな先輩から「空手やってたんだからキックボクシングでもどう?」って誘われて。その人が行ってる川崎のムエタイのジムに通ってたんだよね。3年ぐらいかな。

ーそうかムエタイやってたね。タイ旅行にも行ってたしね。

そしたら総合格闘技もやりたいなって思い出してね。リバーサルジムのMe,Weってところに入ったんだよ。そのきっかけがBLINDSIDEのお客さんのミノくんに誘われたっていう経緯もあるんだけどね。
キックボクシングとかレスリングとか色んな授業があるんだけど、最初はキックやってて、同じ曜日にMMA(総合格闘技)があって「立技は有るだろうけど、寝技はやった事無いでしょ?」って言われて。確かに柔道とか無いな…と思ったら、ブラジリアン柔術に誘われたんだよ。ウチのジムは会長がDEEPって団体や修斗で活躍していた山﨑剛さんって柔術家なんだよ。

そこからブラジリアン柔術ばっかりになっちゃった。

ーこのところずっと柔術だものね

でも何回も挫折する事があって、今は青帯なんだけど、柔術って級段申請とか無くて、完全に実力主義。例えば帯の色だと、会長が「この人はこの技を覚えて、こういう基礎が出来ているから、こういう色の帯にしましょうって」完璧に匙加減で決まってるんだよ。それがマジでキツくて。帯の色が変わった途端に白帯の人とは雲泥の差になるけど、青帯同士でも同様に実力差が出ちゃうんだよ。更に青の上に紫茶黒って帯があるのに、白と青の時点で全然違うんだよ。
練習量とかが一眼で分かるのが、帯の先にストライプが付いてて…(以下参照)

ーなるほど。白帯でもまた強さが違うってわけなんだね。ちなみに黒帯になるのって何年ぐらい…?

その人のセンスにも依るし、どれだけ練習したのかもあるけど、7,8年…とかかな。あと大会に出て優勝すれば上がったりするね。自分の場合、働いてる事もあるし、大会にも出ないから、4年ぐらいやっていて青帯。ちょっと前は週5で2,3時間ぐらいやってたんだけど、それでも勝てない、アホみたいに強い人とかいるからね。体格差とかパワーとか関係無く。

ー柔術はセンスと努力、どっちが優ると思う?

柔術に関してはセンスもあるけど、でも練習した人に練習していない人が勝てるって事は無いね。それこそ場数だし、ちゃんとやればちゃんと強くなる明確さがある競技だよ。休んだら休んだ分ちゃんと弱くなるけどね。

ー怠けたらどんなところに響いてくるの?

そうだね…力の使い方かな。体力配分がわからなくなる。何とか技をかけようとしても、相手に逃げられるから疲れるだけ。そうしたら相手の独壇場だしね。でも慣れていたら、そういう事もなく、力を入れるのは極める時だけ。全身の力を使わず、指を引っ掛けてぶら下がるみたいにね。自分も強い人とやる時は物凄く疲れるんだけど、あっちは全然そんな事無くて、ただいなしてるだけなんだよ。そういうのは練習量なんだろうな。こうきたらこう返す、みたいな何万パターンもある事は頭ではセンスでは分かっていても、体が動かないとどうしようもないしね。



ーでも僕はやらないす

やんなよ。誘い文句考えてたのに(笑)

ーお金無いしね。

安いとこいっぱいあるから大丈夫だよ。なんなら体育館で教えてあげるよ(笑)でも柔術はそれぐらいお薦めだよ。最初は(こう体を動かそう)とか考えるから頭痛くなったりするけど、慣れて来ると動きながら瞑想するみたいに、ヨガみたいになってくるから。

ーアクティブメディテーションってやつだね。

そうそう。仏教とか哲学とかも好きなんだけど、臨済宗の沢庵宗彭(※宮本武蔵に出てくるお坊さんと言えばわかるでしょうか)って人の『不動智』って考え方があってね。侍や剣豪同士が斬り合った時に(上から斬りつけて来るな)って思ったら、もうそれにしか対応出来なくなっちゃうんだよ。実際は胴斬りや袈裟斬りだってあるかも知れないのにね。だから意識を上のみに置くな、常に俯瞰していろっていうのが柔術にも通じるなと思ってね。

ー今は柔術でいっぱいだと思うけど、これからやってみたい事ってある?

たくさんあるよ。今はデジタルトランスフォーメーションかな。プログラミングとかだね。今はリモートで働いているけど、いよいよ会社クビになった時に出来る事ってあるかな?って考えたら、あんまり無くてね。そしたら面白そうかなとかね。

■タクヤンからKMに向けて

ーそろそろ締めに入っていこうと思うんだけど、タクヤンは本当に色んな事をやってきたよね。野球に始まり、剣道空手キックボクシングムエタイ柔術とか、書ききれてないけど他にも色々。
自分は最初の一歩を踏み出すまでが物凄く尻が重たくて仕方ないんだけど、その点では色んな事に手を出す事が出来るのが才能なのかなって思うんだけど

そうだね。手を出すところはあるかもね。色々やってみて残ったものを続けるっていうのでやってきたところはあるよ。とはいえ自分のポリシーやプライドもあるから意地でやっちゃう部分はあるんだよね。「やり切れよ!」って言う自分とのジレンマ。空手やキックボクシングをやりたい自分もいて、バンドの時もそうなんだけど、やめれば良いだけの話なのに無理してやっちゃうんだよ。そうなっちゃうと、その間、何やってるんだろう?とモチベーションもだだ下がりの惰性になっちゃうんだよね。それはマジで良くないと体感したから、これヤバイなと思ったら、プライドを捨てる、例えばINTEGRITY好きでも好きじゃなくなったらTシャツも捨てちゃうぐらいバッサリ切る、そのぐらいの勢いは必要だよ。そういうマインドの断捨離をするようにしているよ。自分もだけど、カンちゃんも色々やってきたよね。

ーそうだね。随分と迷走して来た。

DEAD SOULSの世界観とか書く文章とかも好きなんだけど、一番思ったのは性格面で似てるなって事があって、お互いあんまり人間が好きじゃないでしょ(笑)

ーこういうインタビューをやっている以上、明言は避けたいんだけど…嫌いでは無いけど好きでも無いね。これ凄く前向きに言ってるから、マイナスに受け取って欲しくないんだけど、言葉にすると、どうにも言葉以上のものは通じないよね。

でしょ。それにだいぶ厭世的だよね。別に離れたりはしないんだけど、気分が乗らない時は近寄らないし近寄らないで欲しいみたいな。これはちょっと他人にはわかりづらいところだよね。でも世の中そうじゃない人がいっぱいだから面倒くさいんだよね(笑)まあ良いっか。
じゃあ飲みに行こうか。

ー行きましょうか。本日は有り難うございました!

いかがでしたでしょうか。インタビュー後に行った飲み屋の会話もなかなかのものなのですが、流石に彼も社会生活がありますし、自分でも書ける事と書けない事がありまして…。
それにしても、もう聴く事ないだろうと思った人でも初めて聴く話がこんなにあるものかと驚きの回でした。有名無名関係無く、人物の話は誰であろうと面白い。
次はもしかしたらあなたのところに…なんて。

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