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久保帯人『BLEACH』を読み返した感想メモ(主に破面篇~消失篇)


本noteは、昨年2022年4月に、(アニメ2期の予習もあって)『BLEACH』を1巻から最終74巻まで一気に再読していた頃に取っていたメモ書きをコピペしたものです。いまメモを読み返すとツッコミたくなるところもたくさんありますが基本そのまま載せています。



尸魂界編~破面篇中盤まで

台詞回しが5・7のリズムになっていることが多く、音読したときに非常に心地よい。天才的な言語センスは、キャラや技の名前だけでなく、こうした平常の台詞にこそもっとも表れていると感じた。

また「映像的な漫画(ネーム)」というのも強く感じる。グランドフィッシャー戦の決着シーンで一護の刀鞘の留め具が千切れるさまを描いたり、(具体的にどのシーンか忘れたけど)バトルの衝撃・風圧で破片が地面を転がっていくさまを数コマかけて映したりと、その場の雰囲気を人物以外のショットで映そうとする演出が多い。頭の中にある映像をネームに起こしているのがよくわかる。その意味で普通の(少年)漫画よりも時間当たりの描写密度が高い。そのために、一話ごとの話の進行は遅くなるが、これは本作がより丁寧に各場面を紙面に表現しようとしていることの表れであり、それを「中身が薄い」と評するのは、自身の鑑賞眼の無さを告白しているに過ぎない。「何が起こっているか」ではなく「何が描かれているか」を実直に「視る」ことこそが、『BLEACH』を真に享受する方法であり、それが「漫画を読む」ということである。(って蓮實重彦が言ってました。しらんけど)

空鶴の従者の金彦・銀彦の顔の見分け方をおまけページで説明していたのが象徴的だが、久保帯人は常人よりも本当に「眼がいい」。それが彼の卓越したキャラクターデザイン技術や、上述の映像的なネームスタイルの基盤となっていることにもっと注目すべきだと感じた。彼の「眼の良さ」とは、人物・キャラクターを視る眼であり、同時に世界を視る眼でもある。

尸魂界編は何度読み返してもめちゃくちゃ面白い。大傑作。ルキアの経歴を振り返ると流魂街時代(恋次)→十三番隊時代(海燕)→空座町時代(一護)と、時期によって親しい異性が異なるので、ルキア視点での乙女ゲーやってみたいと思った。途中下車方式。

それに比べて破面編に入ると一気に微妙になる。空座町に破面が3度も侵攻していたんだな。さすがに冗長

織姫拉致→一護たち虚圏突入の流れが思っていたより早い。全体的に展開がおおあじ。ラスノーチェスの分かれ道で一護・ルキア達が1人ずつに別れて進むのも内在的な妥当性を保証するのは難しい。ネルやペッシェ・ドンドチャッカのギャグは面白い。

雨竜の「死神には二度と関わらない」という父との約束をまったく守っていないことは、そもそも父が約束を守らせるつもりがない(ただ息子が心配なだけ)ので気にならないが。

虚圏でのグリムジョー戦も記憶よりあんまり面白くなかった。ヤンキー気質のグリムジョーとの気持ちの良い一騎打ちとはいえ、意図せずグリムジョーの攻撃が織姫に当たりそうになるのを何度か一護が庇う(ことで戦局が変わる)のがモヤモヤする。いや……それこそがこの戦いおよび一護の精神性にとって本質的に重要である、というのはわかるのだけど……。
挿入されるグリムジョーとシャウロン達とのアジューカス時代の回想もよくわからない。結局、グリムジョーはシャウロン達の申し出を受け入れて彼らを喰ったの?喰ってないの?「王になる」という破面の自然淘汰の定めに対して、グリムジョーは寂しさ・やるせなさを抱えていたのだろうけど、だから仲間を喰わなかったのか、喰ったけど崩玉とかの影響でシャウロン達も復活できたのか。

ノイトラはやっぱり好き。剣八vsノイトラは、戦闘狂という表面は相似しているが、負け犬根性・卑屈なプライドを持て余しているノイトラと、そうしたプライドが一切なく、ただ戦いの快楽を求める獣である剣八の対比が良い。

追記:千年血戦篇で初代剣八と戦う更木剣八はむしろ「負け犬」だったり「卑屈」な一面がよく描かれていますよね。アニメも良かったです。

ネリエルが好きなのでノイトラの回想も好きだが、ザエルアポロに協力してもらって分身で騙して背後から殴っていたことを忘れていた。単純に闇討ちしたのだと思っていた。思ったよりさらに姑息で卑怯だった。それがノイトラだから良いけど。

グリムジョーとノイトラの精神性の違いは正直まだあんまりわかっていない。ノイトラは根底に(個人主義的な)卑屈さ・自尊心があり、グリムジョーは虚・破面という「種」としての/であることの根源的な絶望感・渇望がある。とすれば、ノイトラは人間的・理性的存在者で、グリムジョーは動物的・本能的存在者であるとはいえるか。ノイトラの「俺は斬られて倒れる前に息絶える そういう死に方をしてえんだ」という言葉は、人間(実存)であることに絶望し、そこから逃げたい意志のあらわれとも考えられるか。
このふたりの敵キャラが一護にとっては連戦の相手であり、グリムジョーには辛勝し、ノイトラには敗北する、という流れもなかなか意味深い気がする。織姫との関係も含めて。そして、ノイトラに負けていた一護を引き継いで倒したのが「獣」たる剣八であることも。

BLEACHの女性キャラのなかでネリエルは特に好き。ブレソルでよく使っていた。

ネリエルの好きなところは、庇護対象だった幼女の正体が強くてスタイルの良い美女だというtoxicな男性の欲望の権化である点ももちろんあるが、イメージカラーが緑色であるのと、帰刃「謳え『羚騎士』」がケンタウロスモチーフで超格好いいところ。解放前のボロ布衣装での戦闘スタイルも(背中の "3" も)めっちゃカッコよくて好き。忘れちゃいけない、ネリエル・トゥ・オーデルシュヴァンクという馬鹿みたいにカッコいいフルネームも好き。「翠の射槍(ランサドール・ヴェルデ)」もすき。

ルキアvsアーロニーロ戦は、読書メーターの感想で他の人も書いていたが、「戦い」そのものではなくルキアと海燕の関係を描くための副次的な戦いであるため、非常にBLEACHらしい。決着の仕方、あの一コマはこの作品を象徴している。

マユリとザエルアポロの対決は(双方のセリフにあらわれている通り)表面上は科学者の矜持の闘いであるが、ザエルアポロの磔刑の扉絵や、勝負の決め手となるマユリの「超人薬」からわかるように、キリスト教とそれを否定するニーチェ哲学(「神は死んだ」& 超人思想)がモチーフになっていることに読み返して初めて気付いた。それを踏まえると結構面白いバトル。といっても、「ザエルアポロ=イエス・キリスト(宗教)/涅マユリ=ニーチェ(哲学)」という単純な図式ではなく、超人となることでザエルアポロは敗北したのだから、(モチーフの次元で)マユリはニーチェ哲学をさらに皮肉っている立場にある。

ザエルアポロ戦は恋次・雨竜と戦い始めた頃から換算するとめちゃくちゃ長くてダルい、と有名だけど、やっぱり一気読みだとあんまり冗長さは感じない。というのも、ずーっとそのバトルを映しているのではなく、分割されて他のバトルの合間合間に少しずつ映されているからだ。グロトネリアを解放して内蔵・筋肉を破壊する人形を出してからマユリに倒されるまでが「ザエルアポロ戦」の本番という認識で、その前の施設内で数ラウンドやっていたのは印象が薄い。他のバトルの幕間劇・TVコマーシャルのようなイメージ。

突然挟まれる110/101年前の尸魂界の過去編(平子・浦原vs藍染)は何度読んでもめちゃくちゃ面白い。獄頤鳴鳴篇の読み切りもそうだったけど、「(読者が知らない)ある時代の尸魂界の人間関係の紹介」がBLEACHでいちばん面白い。さすが自称「関係性の鬼」。

空座町(レプリカ)決戦編に入って四方の柱を守る副隊長格のバトルになると、また面白くなってきた。ここはサブキャラの1vs1を4連戦するけどまったく冗長さは感じない。それぞれの戦いが1, 2話で終わるからだろう。檜佐木vsフィンドール戦は風死によるとどめの一閃のタイミングで一角がポウに柱を壊されたほうに場面が映るので、スッキリしない終わり方ではある。一応しっかり倒せてはいたのだよね? そこも檜佐木修兵らしいといえばらしいが。

ハリベルとバラガンの残りのフラシオン戦を片付けて(ここはあまり面白くない。アヨン退場が意外と早かった)、再び視点が虚圏の一護側に戻るが、ここでの玉座の前にウルキオラが登場するシーンがめちゃくちゃカッコいい。段々とクロースアップしていく演出。空間の裂け目(黒腔?)からウルキオラが足を踏み出して現れるのを急速に近づきながら横ざまに撮る構図。

あとロリ・アイヴァーンの帰刃の衣装がよく見たらめっちゃエッチだった。ハリベルよりも露出度が高いかも知れない。さすが藍染の娼婦……


一護vsウルキオラについて

ウルキオラ戦が久保帯人公式ファンクラブのベストバウト投票で1位になっていたが、それも納得の、BLEACHを象徴するバトルだと再認識した。「敵の真の力によって一護が絶体絶命→内なる虚で覚醒して敵を圧倒→そこから目覚めて "仕切り直し" しようとする」という基本的な流れは尸魂界編の朽木白哉戦(ベストバウト投票2位)と同じだが、各段階がより振り切れている。絶体絶命の度合いも、覚醒後の圧倒度合いも、そして虚状態で敵に与えたダメージを一護が悔いて「仕切り直し」しようとする度合い(「俺の右手右足も斬れ」)も、またその「仕切り直し」の不可能性も、すべて白哉戦よりも一層過激に色濃く描かれている。(※「BLEACH」をタイトルに冠する白黒漫画の本作に対して「色濃く」という修飾語はいたずらに使わないほうがよいが)

白哉戦はジャンプ史上初のオールカラー回で卍解初披露ということもあり、大盛りあがりの名勝負であるが、ウルキオラ戦はそれよりもずっと「気持ちの良い勝負」ではない。そもそも白哉戦の時点で、虚の暴走によって白哉に深手を負わせることができたという意味であんまり気持ちの良い一騎打ちではないのだが、ウルキオラ戦ではその「爽快感の無さ」がより強調され前景化している。帰刃後のウルキオラに一護がダメージを与えられたのは完全虚化の状態のみであり、極端な話、一護はウルキオラと戦ってすらいないとまで言える。そして最後は一護ではなく織姫との関係で幕が閉じられることといい、徹底してこのバトルは「黒崎一護vsウルキオラ」というスッキリした構図を否定している。そんな"戦い"(らしくない"戦い")が読者にもっとも支持されているという事実が、『BLEACH』を他のバトル漫画とは一線を画する作品であることを象徴している。『BLEACH』が描いているのは「バトル」ではない、別の何かである。本作に対して、バトルの戦略性が無いとか集団戦を描けていないとか後出しジャンケンであるとか言うのはすべて完全に的を射ているがゆえに、なにもわかっていない無意味なコメント、「酷評」とは成り得ないナンセンスな感想である。

織姫とウルキオラの場面は、一気に読み返すと正直それほど印象には残らない。「心か」の別れのくだりも、描写不足とはいわないが、唐突に始まりわりとあっさり終わる一場面だと感じた。ミニマルな描写でふたりの関係(のおわり)を語るのは千年血戦篇のバズビー&ハッシュヴァルトとかもそうで、とてもBLEACHらしい。個人的には「心か」よりもバズユゴの最後の "B" マークの一コマのほうが刺さった。読み返すと意外とあっさり終わる、というのは血戦篇の剣八vs剣八戦とかでも感じたこと。だからこそ1ページごと、1コマごとにじっくり読まなければならない。(じっくり読む愉しみがある)


仮面の軍勢について

再び空座町レプリカに戻って、ワンダーワイス及びフーラーの出現で隊長格がピンチに陥ったところで仮面の軍勢が登場する。原画展の作者コメントでも確かあったように、この巻には仮面の軍勢の見開き集合絵が4, 5回あり、流石に見開きで集合し過ぎじゃね?とは思うがカッコいいので問題ない。仮面の軍勢の仕事の大半は見開きで格好良く集結することなのだから。
その1話の終わりに見開きで登場し、次の話の冒頭で再度見開きを入れる、というような、週刊連載の構造的に前のケツと次のアタマで(作中世界の)同じ出来事を二度描く手法がBLEACHでは特に頻用されていると思うのだけれど、この特徴についても掘り下げてみたい。ときどき前の話の台詞と微妙に違う台詞で描かれなおされてることがあるし。つまり『BLEACH』はやはり「起こっていること」よりも「描かれていること」が常に優先されている(優越している)作品である。(作中現実の「事実」レベルでは不合理・矛盾していても「表現」レベルでは成立している。)この意味で少年漫画らしくないとは言えるだろう。エンタメの皮を被った芸術というか、批評向きの漫画ではある。

そうして登場した仮面の軍勢の面々がギリアンたちを一掃していくシーンが本当に好き。やってることは雑魚の処理であり、ここで見せ場が描かれるということはこの後でネームドの敵キャラを倒させてはもらえない(ハッチ以外)ことを意味する残念なくだりではあるんだけど、そうした空座町決戦という大局・作中世界の「状況」ではなく、ページ上にうつっている「表現」を虚心坦懐にまなざしてみれば、これほどに格好良く魅力的なシーンもない。獄頤鳴鳴篇で阿近やイズルや新キャラ2人の能力を順番にお披露目していく数ページも同様だが、こうした流れるような個別の戦闘・活躍を1人1, 2ページ単位でさばいていく技術がカンストしている。ラブのメノスを真っ二つに手で裂くコマなんかたまらない。

仮面の軍勢でいえば、22巻あたりで初登場したときから思ったが、ひよ里が好きだ・・・。昔初めて読んだ頃はそれほど好きじゃなかったけど、今見ると本当に魅力的。何が良いって、虚化の仮面がカッコいい。一番かっこいいと思う。それから(まだ先だけど)斬魄刀「馘大蛇」の造形もめっちゃカッコよくて好き。仮面の軍勢の斬魄刀って(おそらく虚化との見た目の兼ね合いで)直接攻撃系が多く(ひよ里、リサ、ラブ、拳西)、それが戦闘での活躍できなさにも繋がっている気がするが、デザインがめっちゃ好きなんだよな。強さとかどうでもええから、見た目の格好良さ、刀を構えた画の美しさこそが大事だろう、と開き直ってしまう。

もちろんひよ里本人も魅力的。2次元美少女キャラとしてはやや外しているからこそ人間的な魅力がある。口調も好き。関西弁の細かいニュアンスとかわからないけど、すき。平子との関係も好き。矢動丸リサの「すけべやない、興味津々なだけや!」も大好き。というか、平子とひよ里の関係もそうだけど、仮面の軍勢の面々は仮面の軍勢になる前の護廷十三隊の同僚時代からお互いをニックネームで呼び合う仲だったのはなぜなのか気になる。鬼道衆の「ハッチ」ですらハッチなのはなぜだ。そんなに交流があったのか。イズル・雛森・恋次のような学院生時代の同級生ってわけでも無さそうだし。(明らかに年齢が違う。)そのへんの番外編エピソードとか読んでみたいな〜〜


十刃#1~3について

日番谷vsハリベル戦は本当につまらない。日番谷の人気とハリベルの妖艶さだけで持っているバトルといっても過言ではない。氷天百華葬もフーラーの叫び声で割れちゃうし……ゾマリさんの言った「首を落とさないと確実に殺したことにはならない」は完全に正しい。

バラガンは本当に魅力的なデザインだと何回見ても思う。生物の骨を模した「仮面」がアイコンである虚の頂点に君臨する者が骸骨(人骨)なのが本当に良い。あと単純に骸骨を描くのも上手すぎる。狛村とかもそうだけど、人間以外の「顔」を描くのもめちゃくちゃ上手いからこそ成立しているキャラクターがたくさんいる。モチーフは良いけど画力が追いついてなかったらバラガンの魅力はゼロになっているだろう。

スタークは昔から推している大好きなキャラクター。能力正直微妙じゃね?本当にプリメーラ?とかあるけど、ロス・ロボス格好ええ〜〜〜。なんやあのフサフサした温かそうな服!

京楽vsスタークも、恋次vsザエルアポロのように他のバトルの合間にちょくちょく差し挟まれて一向に進展はない感じだけど、イケオジふたりの余裕あるやり取りが格好いいので問題なし。星十字騎士団でいうとナックルヴァールのポジションだが、基本的に自身の強さに自身がある(「強い言葉」を遣いまくる)キャラばかりの本作のなかで、こういう謙遜して相手を持ち上げるキャラクターは一層魅力的に映る。

BLEACHで背後を取る場面がとても多いのは当然認識していたが、誰かのあとを何者かが尾行する構図(黒い足のシルエットが「ズサッ」と映るコマ)もめっちゃ多いと気付いた。後を付ける→いきなり背後を取る という流れを鑑みれば当たり前ではあるが、それにしても足ズサッのコマが多すぎてウケる。もう少し引き出しはないのだろうか。

「いきなり背後」場面が多いことを、『BLEACH』の映像的な(=時間的連続性を重視した)漫画表現の枠組みのなかでとらえられないだろうか。基本の場面進行が連続的だからこそ、背後にいきなり回るという断絶性が映える、のように。(逆説的に「背後」構図によって時間的な連続性が演出されているともいえるか)


※ここから何故か1巻ごとに感想を書いています。

4/17

43巻

バラガン戦の決着の仕方はほんと良い。BLEACHの中でもいちばんセンスよく決着したバトルの1つだと思う。ハッチ右手が無いから片手でしか祈れないのもお洒落。その少し前の、バラガンの頭蓋の中からハッチを映すコマもすごいカッコいい。(その前の直方体の鬼道結界のくだりは大味過ぎるといつ見ても思うけど。直方体は6面なのに4つの門しか無いから変な感じになってるし。)

スターク戦は読み返すと徹底して一対多の構図でスタークを追い詰めているのが確認できる。十刃の仲間たちが次々と死んでいって取り残されてしまう状況もそう。(だったらハリベルもヤミーも先に退場させておけよとは思うが。)

艶鬼で「黒」を指定した最後の一太刀って胸の孔を黒判定で斬ったということでいいのだろうか。これまでは衣装のスキマのちょっと黒い部分を斬ったんだと思ってたけど、回想終わりで孔から血が黒く吹き出すコマが強調されているので。そうだとすると余計に寂しい決着だ。虚の胸の孔は虚しさ(=孤独感)の象徴である。

ハリベルが復活してひよ里・リサ・日番谷と戦っているところに藍染が痺れを切らして退場させる展開は、藍染の冷酷さと恐ろしさを表したかったのだろうけど、やっぱり残念に思う。それならスタークを斬るので良かったのでは。そのほうがプリメーラの格も保てるし、十刃最後の1人という孤独な終わり方がスタークに合っているし。まぁそうすると藍染の凶刃がスタークを孤独から救う慈悲の行為のように映り、肝心の冷酷さを表現できない可能性もあるか。にしてもハリベルだけ死に際の過去回想などが一切なかった。自身の司る死の形の通り、展開の「犠牲」となった十刃とは言えるが、何の意味もない……。まぁハリベルは本編終了後も部下3人とともに生き残っているので、これから語られる機会も無くはないか。


44巻

東仙要の巻頭歌の冒頭に典型的な「すべからく」の誤用があることは有名。
ヤミー戦はほんとにしんどい。血戦篇のジェラルド、破面編のヤミー……巨大化ダラダラ戦闘枠。剣八と白哉のギャグ調のやり取りを入れることでここからシリアスな藍染戦に突入する前の息抜きを入れたかったのだろうか。十刃# 0が後付けかどうかは関係なく、この展開はひどいと思う。

マユリの開いた黒腔を通過中に一護の足場づくりが下手でスキマをぴょんと卯ノ花さんが飛び越えるコマがかわいい。この辺のデフォルメ調の顔の描き方すき。

東仙vs狛村&檜佐木は再読したら前よりも感動した。すごく好き。「思っていたより醜いな」のくだりはBLEACHでいちばん好きな台詞・場面の1つだし、その前の狛村のモノローグが普通に良い奴すぎて泣けた。血戦篇での狛村の過去を知った上で読むとまた違った味わい深さがある。

それから東仙のフォルムチェンジ!!! 無地のもっともシンプルな虚化の仮面は不気味だし、そこからひび割れて口が裂けて内側に生身(死神)のもともとの口が見えるのも良い。外側の仮面の白さと内側の肌の浅黒さのコントラストもいいし。

帰刃の「清蟲百式・狂枷蟋蟀(グリジャル・グリージョ)」は小学生の頃から何かしらんけど大好き。BLEACHの気持ち悪い優れたクリーチャーデザインは数多くあれど、これがいちばんキモくて好き。技の「九相輪殺(ロス・ヌウェベ・アスペクトス)」も好き。卍解「清虫終式・閻魔蟋蟀」が九相図モチーフだから、ここでもそれが引き継がれてスペイン語に転用されているのがお洒落でかっこいい。狛村の卍解「黒縄天譴明王」も仏教モチーフなので、その関連でもなんか言えるのだろう。(卍解はそもそも仏教モチーフが多いだろうけど。)

モチーフがハエだから醜くてキモいんだけど、我々がそう思ってしまうこと自体が東仙の「他者を見た目で判断する醜さ・愚かさ」とまったく同じなので、この帰刃を気持ち悪いと思うひとは皆ここで倒される東仙と同じだけ醜くて愚かな存在になる(ということに思い当たること無く「東仙キモっ」と零している人間はさらに愚かである)という構造がデザインに織り込まれているのもまぁありきたりだけど見事。

巻末の檜佐木の風死解放を横から映した逆光っぽいコマは、ルキアvsアーロニーロ戦のラストも思い出す構図だけどやっぱりデザイン的に綺麗ですき。解放前の斬魄刀を蝿の頭に刺してから祈るように解号を唱えて口・喉を貫く流れも洗練されている。

あと「自分の握る剣にすら怯えぬ者に剣を握る資格は無い」という言葉を檜佐木に与えた東仙が最終的に剣すら持たない戦闘形態になって檜佐木の剣で刺されたのも趣深い。


45巻

山爺表紙の陰影の付け方と色の付け方が好き。消失篇ほどの陰影ではないが、もう少しカラフルで塗りが濃い感じの画風。

よく見ると東仙が爆散したところで藍染は見ているだけで何もしていないことがわかる。東仙自身が、仮にまた護廷十三隊側に寝返るようになったら自爆するよう藍染に頼み込んでいたことが外伝小説かどこかで語られているんだっけか。

「しまった──逆だ」の茶番感ほんと面白い。そもそも完全催眠なら入れ替わる必要すらない(雛森の位置に藍染がいる必要がない)んだけど、まぁそこは藍染サンのエンターテイナー精神と読者へのわかり易い衝撃度を優先したのだろう。

そのくだりも含め、この巻はずっと壮大な前フリからの茶番劇しかやってない。ワンダーワイスもほんとに山爺の扱いに困った末の苦渋の策でしかない。血戦篇でのシナリオは既に決まっていただろうから、卍解は出せないし、本気出したら勝っちゃうしで、こうするしかなかったんかなぁ。。。(卍解した拳西がいつの間にか鉄拳断風してるのほんとウケる)

にしても、ワンダーワイスといい、ザエルアポロによる恋次の卍解封じといい、破面編ですでに斬魄刀封じ系の敵は幾つか登場してるんだな。
ワンダーワイスの帰刃で両肩のタンクみたいな膨らみから無数の手が出てくるところあんま意識したことなかったから新鮮にキモ〜と思えた。


46巻

ここで乱菊さん表紙はさすが久保帯人、巨乳キャラを優遇してるわ〜〜
ここで一心と浦原と夜一さんを消化。味方キャラが多すぎて完全に持て余している。「何事も 進化の途中というものは醜いものだ」は消失篇の一護のフルブリングにも言えるかな。

藍染の「すべては手のひらの上」論もどこまでが真実/事実なのか正直よくわからない。本人も言うように少なくない部分が詭弁やハッタリな気はする。最終章のラスボスが再び同じような説明をしだすから、そことの兼ね合い・整合もどうなってるのかスッキリさせたい気持ちもあるが、正直そういうのは自分の領分ではない(やる気が起きない)とも思う。

藍染が一護を「君は人間と──(死神の間に生まれた子)」と言いかけるが、母親側の事情はどこまで知っていたんだっけか。最終章の過去編をかなり忘れている。ホワイトの研究をしてたから関係はしてると思うけど。まぁ滅却師も人間ではあるから間違ってはいないが。

あと一心や夜一さんも鏡花水月を見ているんだっけか。でもここの藍染は崩玉ハイ↑↑でもはや斬魄刀に頼る気はないから、鏡花水月を使わない理由は一応説明可能。
あとここで一護は父親が死神であることを初めて(明確に)知るわけだが、意外と落ち着いているのが一護らしいし、ひいては『BLEACH』らしい。少年漫画における主人公と父親の関係としてこれは珍しいのか、それともありふれているのか。
それから夜一さんのハイレグ戦闘服、よく見ると意外とデザインが凝っていることに初めて気付いた。

崩玉融合藍染の肉弾戦の人間離れした姿勢がおもろい。片手片足を両側から鎖で引っ張られてピンと張って浮いている藍染は何度見ても笑える。その前の片脚を天に突き上げて上半身を下に思い切りまっすぐ鎮めるポーズもめちゃウケる。

vs藍染側は呆れるしかないけど、ここの一護vsギンは結構好きなんだよな。ギンの卍解が気持ち良いのもあるけど、最後のギンの一護への指摘のような、これまでの切羽詰まったバトルとは違う、この戦い自体を俯瞰して冷笑して諦観しているような神妙な雰囲気がギンにも一護にもあるのがなんか良い。あとから振り返れば(破面編の)ラスボス前の息抜きみたいな位置付けではあるが、このあとのギンの動向も含めて、ここで一護とギンが(尸魂界編の序盤以来に)顔を合わせて刀を合わせているのが感慨深い。あと、ここで一護が突然喋りだす「刀を交えると相手の気持ちがわかる」論は消失篇での銀城戦にも繋がるし、一護がこういう戦いにおける精神論的なことを自ら言い出すことが珍しいので結構重要なシーン。


47巻

尸魂界に転移されたリアル空座町での藍染散歩編。ケイゴ⇄水色の友情しか勝たん・・・
ここでドン観音寺と藍染が出会ってたんだなそう言えば。後に外伝小説で掘り下げられるやつ。
白一護と斬月のお兄さんは2人で1つ、もともと一護自身の力。最終章に向けての伏線というか説明描写がガッツリされている。
一心も「最後の月牙天衝」を焔月に聞こうとしたことあるのか。


48巻

無月状態の一護の髪と背が伸びてたのってパワーアップじゃなくて断界で瞑想してた3ヶ月弱の分か。初めて気付いた。

崩玉融合藍染の途中のフォームはあれだけど、最終形態の化け物感はやっぱり好きだな〜。顔の側面にも目だか口だかが付いてるのとか、久保帯人の異形デザインは良い。

藍染が孤独だったのではないかと浦原に語る一護。十刃のトップ(0番は置いておく)がまさに「孤独」を司るとか司らないとか言われていたが、スタークと藍染の関係はなんなんだろうなぁ。力の次元は違うとはいえ、「自分だけ強すぎて寂しい」という悩みはほぼ一緒なのでは。とはいえ、これはあくまで一護が勝手に(暴力的に)藍染の心情を、それこそ「人間」(=読者)に納得しやすい形で推測したにすぎず、本編中では一切藍染自身の口からは語られない。小説ではどうなんだっけか。

最終章に繋がる"楔"たる霊王による尸魂界の歪な現体制に浦原さんと藍染からちょっと言及があったが、正直ユーハと藍染の目的の違いも忘れた。藍染も霊王殺しを狙ってはいたんだっけ。その後の目論見が異なる?

追記:のちに、藍染とユーハバッハの思想および目的の違いに関してはこちら↑のnoteで私見を書きました。


ギンが死ぬ場面はまぁまぁだけど、破面編最終話での後日談での乱菊の2pモノローグは胸に来るものがある。ほんの1, 2ページで「持っていく」力がありすぎる。

最後のルキアとの一旦の別れはめっちゃザックリやな〜
巻末「次巻新章」のクソデカ煽り文すき


「ブリーチは48巻までで終わっておけば良かった」

「BLEACHは48巻まで」とはよく言われているが、ここまで読んだ感想としては、正直破面編も尸魂界編に比べれば普通のエンタメ的面白さは低くて厳しいので、そんなこと言うくらいなら20巻まででええんちゃう?ということ。

しかし我らがBLEACHファンにとってはむしろここからが本番なのは間違いなく、このまま終わってしまってはあれもこれも明かされないままになってしまう。まぁ完結しても明かされてないこと大量にあるけど…… したがって、破面編を基準として、消失篇と血戦篇が面白いかどうかをこれから再確認してみようかな。

破面編を読まないと隊長格の何人かの始解・卍解と、十刃やほか破面たちの魅力的なキャラクターを知らないまま生きることになるが、それをいうなら血戦篇を読まないと星十字騎士団の面々や何人かの卍解を知らないことになるし……まぁ星十字騎士団より十刃のほうが魅力的に描かれていたのは間違いないけど、個人的には星十字騎士団が結構好きなので、アニメのクインシー大全的な、クインシー版カラブリを読みたい……破面版も読みたいけど……

「この巻が最終巻でいいくらいにスッキリ終わってる」ともよく聞くけど、そんなにスッキリ終わってるか? かなり巻き感が強い。しかしそれは真の最終話でも同様なので、久保帯人はそういう風にしか話を終えられないのだろう。風呂敷を纏めるより広げるほうに才能を全振りしている作家なので。だからシリーズごとに不定期連載のBTWはまじで最高に合っている天才の形式だと思う。

追記:最終章である千年血戦篇は、2022年から始まったアニメ2期の影響で世間での再評価が著しいですね。もう「藍染を倒して終わりで良かった」という意見は下火になっているのでしょうか。このメモを書いていた頃はそんな輝かしい未来が来るなんて思ってもいなかったので、いま見ると感慨深いです。。 まぁ、最終章のストーリーが本当に酷くなるのは今後アニメ化されるところからなので、それも含めて色んな意味で楽しみです。ブリーチ最高!


49巻

死神代行消失篇はじまり。一護が謎の新キャラにスカウトされるのは破面編の序盤(仮面の軍勢)と同じだが、巻末で明らかになるようにチャドが先に仲間になっていたのは新展開。しかし、その新展開にまるまる単行本一巻をかけるのが本当に凄いというかなんというか……。各話サブタイトルを作中のモノ等に沿ったデザインとして表示するのはこの章から本格化した。破面編の織姫が一護に別れを告げる話("goodbye, halcyon days")でサブタイが織姫の書き置きの末尾に表示される演出がその走りといえるか。もっと前にもあったっけかな。また読み返さないとわからん。

織姫の謎の替え歌でどぶろっくやチョコレートプラネットが出ていた。2011年頃の発行だが、ブレイク前だろうか。でも一緒に出てきた「どくろ団」というピン芸人は調べたところ2008年末に「カートヤング」に改名しているので、作中の時間軸はもう少し前ってことかな。まぁそこまでガッツリ現実と相関している必要はないが。

うなぎ屋での銀城と一護が「ラーメン/チョコレート」でしょーもないやり取りするくだりが好き。ここの台詞の応酬がこれぞ久保帯人節。
最近ようやくHUNTER×HUNTERを読んだので、完現術の設定は念能力っぽいなーと思うけど、むしろ幽遊白書とかに近いのか?読まなきゃ……


50巻

やけにアパート/マンションの通路が登場する。織姫のマンション、チャドのアパート、EXCUTIONへのぼろアパート……
やってることはいつもの修行パートなんだけど、リルカの完現術「ドールハウス」でミニチュアになってダンボール箱などの中に入って修行する、という設定がいい。破面編でいったん力の頂点、派手なバトルの高みまで登りきったあとのクールダウンとして、霊力を失った生身の人間の等身大の修行としてのスケール感がいい。

「俺が死神の力に誇りをもったこと、そんなもん、数え切れねえよ──」のシーンは普通に感動した。ONE PIECEの「仲間がいるよ!」的な、長期連載作品だからこそ出来る思い出ボムというやつ。王道の少年マンガみたいなことをたまに恥ずかしげもなくぶっ込んでくるからびっくりするけど刺さっちゃう。

死神代行証が完現術なのもなんか好き。月牙天衝というより卍の形の手裏剣みたい。あれを浮竹さんから渡されたのって尸魂界編の最後で、そのあと空座町での日常パートはあんまり長くなかったから、正直言って読者にとってそんなに思い出深いアイテムではないのがこれぞBLEACH。
あと平然と読んでるけど完現術者たちのキャラクターデザインも個性的でいいなぁ。キャラデザの引き出しが無限


4/19

51巻

ジャッキー自分の能力を「言うと思う?」と跳ね除けた翌週くらいにペラペラ説明してるの草
一護の技の回数制限云々のところは明確に尸魂界編の恋次戦(蛇尾丸の戦闘スタイル)をオマージュしている。このあとジャッキーが恋次と対戦することの伏線でもあるか。
リルカ「親の顔が見てみたい」に対する織姫の二重トラップのやり取りほんと笑う。ザ・久保帯人
雪緒の完現術でのチャドの1人レベル上げ(砂漠?みたいな所を歩く姿)のコマも正直ギャグにしか見えない

一護の完現術が卍の鍔から進化して死覇装のように纏う形になったが、ユーハバッハの黒い濁流に似ている。この完現術も滅却師の力が関係している?
「インヴェーダーズ・マスト・ダイ」に織姫が入ってきたときに銀城が「オウ 回復アイテムじゃねーか」というのは、そうなんだけど流石に……ww
読メの他の人の指摘で知ったが、449話「Not be a drug」(足手まといにならない)はdrugではなくdrag.  気にはなったけど "drug" に「薬」だけじゃなくて「足手まとい」的な意味もあるんだ〜と思ってた。普通に誤字らしい。幕間ページで作者による手書きのサブタイトルが書かれているが、ここも "drug" と読める。dragと読めないこともない、くらい。なので、普通に久保帯人本人も誤字っている(勘違いしている)可能性のほうが高い。


52巻

ようやく種明かしで物語が一気に動く巻。「月島さんに謝れ」「月島さんのおかげじゃないか」辺りはもはやギャグとしてしか読めない(チャドも織姫もサスペンスの犠牲になってホント可哀想だ)けど、その後の銀城の2回斬らせて──とか「一護」ではなく「黒崎」と呼んだとか、雨竜を斬ったのは銀城だった、辺りのプチトリック・どんでん返しはわりと良いじゃんと思った。

ルキアと向かい合って前から斬魄刀を胸に突き立てられた第1話と違って後ろから刺される構図は、第一にサスペンスのミスリードのためではあろうけど、第1話と対になっていることから何か面白いことが言えないかな。(単に第1話オマージュなだけではなく。)

そういやコンはどうしてるんだっけ。月島関連でも一切出てこなかった。そもそも今の一護には死神の力が無かったから必要ないとはいえ、ぬいぐるみ状態で会話は出来るはずだし。でも消失篇でまったく出てきていない。忘れられてるのか……

銀城との修行でいちおう完成した一護の完現術がダサいのは、もともと銀城に奪われる前提で銀城に似合うようデザインしたからだ、と作者がどこかで言っていたらしいが、たしかにあの状態での一護はいっさい格好いいところが無く、月島さんホラー劇に巻き込まれて狼狽する役目しかないから妥当ではあるなと思った。あそこで読者に「ダサっ」と思わせることがこのあとの展開のヒントになっていた、ということ。

それにしても、この巻は序盤の銀城の態度豹変→演技でした〜から、月島ホラーと真犯人のタネ明かしで一護が絶望のドン底に、そして最後のルキアで締め、という構成になっていて、ひとつの巻としての話のまとまりがめちゃくちゃ良い。尸魂界編ラスト「私が天に立つ」で第20巻が終わるのと同じくらいまとまってる。まぁサイコホラーミステリーとして真面目に検証していくと、浦原さんと一心が一護に伝えておけば……とか、色々とツッコミどころはあるが、少年マンガのトリックとしては許容範囲で十分によく出来ていると思う。

ただ、この巻でどんでん返しするために、冗長な伏線貼りパートに3巻も費やしていては、そりゃあ読者人気は落ちるよなぁとは思う。この巻だけ見れば結構面白いけど、この巻での面白さのために犠牲にした前3巻を含めて評価すると微妙になってしまう。「消失篇って人気ないけど意外と面白くね?」という意見も、この巻だけを評価対象にするなら同意するけど、全6巻の消失篇全体を総合すると、厳しい感想になってしまう。


53巻

獅子河原くんに一角が説教をするけど、剣八は一角の敵討ちで命をかけてくれるだろうか。そういうの関係なしに強いやつと切り合いたくて戦いそう。
あとルキアが「死神は生身の人間を斬らぬ!」的なことを言ってるけど剣八とかフツーに真っ二つに斬り殺してるのおもろい。護廷十三隊はこういう個人主義なところある。戦闘集団であり調整者(バランサー)として規律を重んじる体制側でありながら、個々の幹部(隊長格)はそれぞれに思惑が色々ある。だからこそ人気があるんだけど。破面編の空座町決戦で浮竹がリリネットとお気楽な児戯をしていたのとか、尸魂界編で射場さんと一角が酒を飲み交わしながら決闘していたのとか。そういう、良くも悪くもな「余裕さ」「自由さ」がこいつらにはある。


54巻

久保帯人お得意の1ページ回想モノローグがXCUTIONメンバー怒涛の四連続で繰り出される巻。可哀想だと共感できるのはジャッキーだけで、あとの三人はもともとの性格か完現術という身に余る力を持ってしまったがゆえの過ち。だからこそジャッキーだけが完現術を失ったのかな。
銀城vs一護は戦闘中の台詞を排して「最終章に向けて読者を選別した」と原画展コメントであったが、正直そんなにこれまでと変わったようには受け取れない。これまでも台詞無しで殺陣に数ページまるまる使うバトルはあったし、それに刀を斬り交わしているときは無言でも、一旦距離をとって小休止したら普通に何度も会話をしているので。

銀城の衣装は始解も卍解も結構すきだな〜。さすがに一護と同じ死神代行にしては禍々しすぎて敵キャラ造形だなぁとは思うけど。でもめっちゃあっさり倒されてた。代行証と浮竹さん周りの話も正直ピンとこないし、銀城と月島さんの過去(出会い)もあっそう……という感じだし、XCUTIONの面々の可哀想さに同情を誘うような描写にしらける。あとジャッキーはゲーム空間で自爆してたけど普通に生きてるし、獅子河原に背負われて生きていそうな月島は実は死んでいるし、そういう個々の処遇も納得がいかない。まぁ最終章で月島さんが尸魂界にいないと困るのかもしれないが、リルカや雪緒たちだって現世から来てたしな……
リルカのラストは良い。あっさり最終章で再登場しちゃうからあれだけど。



おわり

その後、最終章(55巻~74巻)もぜんぶ読みましたが、当時とくに感想をメモとして残していなかったようなので、ここで終わります。




・これまでに投稿した『BLEACH』関連のnote


↑久保帯人ファンクラブ限定販売だったこの「ブリーチかるた」が昨年どうやら一般販売されたようで、意外にも多くの人にnoteが読まれ、実際にカルタを遊ぶときの参考にされているらしくて光栄です。こんなの自分以外に需要ねぇだろwww というハイな気持ちで衝動的に書いたものなので……。

ちなみに、この決まり字noteを投稿した数か月後に、ありがたいことに友だちと一緒にBLEACHかるたを遊べました。そのときに「序歌」として私がなんとなく詠んだ第0話のモノローグが、のちに一般販売版の特典にドンピシャで選ばれていたので気持ちよかったです。このときの「やっぱり私って天才!?」感だけで一生いきていけます。



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