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映画『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』感想



2023/12/15 劇場で鑑賞

いやぁ……好きじゃなかった……

まず、ストーリー内容以前に、全体的なテンポ・編集のトーンが合わなかった。尺がキツキツなのかと心配になるほどにサクサクと説明的に進む(特に序盤)し、ここはバトルアクションパート、ここは謎明かしパート、ここは……と、あまりにもシーン毎の位置付けが明確に割り振られているのがどうもしっくりこない。それらの羅列で映画が構成されているので、良い映画を観たという感じではなく、何かの企画書かプレゼンテーションを見せられた気分だった。


サヨと左翼

真正面から戦後日本を批判するアニメ映画として左派からも絶賛されているようだけれど、フェミニズム的にかなりキツくて、おいおいこれが褒められるのかよ、誰が見ても分かり易い ”戦後批判” だけすればいいのかよ……となった。

あまりにエロゲヒロイン的なサヨの造形にうんざりし、真犯人として自白して暴走し始めたところで気持ちが離れ、以降は虚無の心情でスクリーンを見つめていた。

そもそも、分かりやすい悪役を立てて、それを倒そうと戦後日本を批判しようとしている男主人公2人自身に、本作で批判されている要素がてんこ盛りで、矛盾している。戦前戦中の日本の禍根は未だに根深く続いている、ということを示すための敢えての瑕疵だと擁護できる次元にはない。

水木とゲゲ郎のブロマンス?関係はBLとして人気が出そうだけれど、あれこそ典型的なホモソーシャルだろう。狂骨の恨みを一身に引き受けることを決意したゲゲ郎が、「お前はそれを持って逃げろ」(うろ覚えだが)的なことを水木に言い、託された水木がゲゲ郎の妻を抱えて歩き出すくだりとか、女性を、未来に希望を繋ぐための「子供」(未来の”男主人公”)を孕んで産むための道具/モノとしてしか見ていない。

女性の生は〈悲劇的な狂気の真犯人〉か〈すべてを愛で包み込む母なるもの〉へと回収されてしまい、歴史を語るのは男たちばかり。これが「男同士の絆」の物語としてパッケージングされて語り継がれてしまうことの絶望。〈ふたりの父親〉(生殖行為における父/創作行為における父)の物語に……。私からしたら、あの糞爺よりもよっぽど、水木とゲゲ郎は罪深くて気持ち悪い

終盤、時系列が「現代」に戻り、妖怪に襲われる記者の男(これも男だ!)を助けに来た鬼太郎とともに、ミニスカートの猫娘が大写しにされたときのゾッとした感じといったらなかった。あれが本作でいちばんグロテスクでホラーな場面だ。どんなグロ・ゴア要素よりも。”そういうもの”としてではない形で見せつけられる、現代にまで続く因習。何ひとつ変わっていないどころか、ますます酷くなるばかり。

あの男の子が「僕のこと忘れないで」とゲゲ郎に語りかけるシーンは唯一ぐっと来たけれど、それでも「男同士」のやり取りなんだよなぁ……

そもそも、ああいう「諸悪の根源」みたいな爺さんをラスボスに設定する時点で所詮薄っぺらいエンタメである。そいつさえ倒せば全てが解決する、事態が大きく動くような存在をキャッチーに登場させてしまうのはむしろ、真に恐ろしい構造を、因習を隠蔽しているだけだ。

戦後日本の ”因習” を批判するならば、同時に男性中心主義/ホモソーシャルと、それから出生主義まで徹底的に批判するべきだ。それなのに、本作ではむしろそれらを再生産してしまっている。だから、左翼として到底わたしには受け入れ難い。


・好きだったところ
序盤の、真昼の村に着いてベタに美しい田舎の風景を映すシーケンス。なんぼあってもいい。ここを、もっと間を持ってたっぷり描いてほしかった。

山伏連中と、屋上のテラスみたいなとこでゲゲ郎が戦うアクションシーン。ここの作画演出は明確にレベルが違った。巨大物が出てこない、等身大の人vs人のバトルなら見れる。





以上の感想を本作に抱いたわたしと、TVアニメ『鬼太郎』6期を観ている友人がふたりで語り合ったポッドキャストはこちらです。

最終的には、「前日譚」映画としての身も蓋もなさ、が逆に良いのではないか……的な方向に進みました。『呪術廻戦0』などが同じ枠に入ります。



余談

『ゲゲゲの謎』は好みに合いませんでしたが、夏の田舎モノは大好きなので、これを見て、そういう田舎怪異伝奇系のエロゲをやりたくなりました。(逆にいえば、そういうエロゲが好きだからこそ、わざわざ映画館まで行ってそういうものを見せられても困ってしまったのかもしれない)

現在はCLOCKUP(『Euphoria』『フラテルニテ』などの制作会社)の閉鎖的/前近代的な農村共同体を舞台にしたおぞましい因習エロゲ『Erewhon』を絶賛プレイ中ですし、あと少しで発売する最新作『鏖呪ノ嶼』(おうじゅのしま)は予約済みです。たのしみ!

2019年――二つの元号が交わる年。
瀬戸内海の離島「申仏島」。
その島は戦後まもなくより売春島として
密かに隆盛を極めてきた。
片や昭和の昔から島の売春業を管理する、
地元の有力者一族「二ツ栗家」。
片やある目的をもって島に渡ろうとする、
裏街道から集められた一癖ある4人の男女。
双方の勢力には、それぞれ現代における完全犯罪である
「呪殺」を生業とした呪術師たちがいた。
悪徳の島で、人間たちの思惑が交錯する。
だがその背後には、
戦後およそ70年にわたり受け継がれてきた
忌まわしい呪いが存在していた。

『鏖呪ノ嶼』公式サイト STORY より

実質『ゲ謎』では????


エロゲに真剣なので、これらを副読本として勉強しながら田舎エロゲをプレイしております。フェミニズムも民俗学も「買春」論もエロゲもまじでおもしろいです。みんなも読もう!

これまで「田舎」といえば、なんとなくエモくて、ひとり旅の行先として好きだし、田舎-都会 という対比軸をもとにアニメや映画、エロゲなどを批評するときに便利である……という程度の理解でしたが、歴史的・社会学的・民俗学的に学べばもっと深くて豊かな真価が明らかになってきて、「これまで自分は田舎のことを何もわかっていなかった・・・」となっております。前近代的な農村型共同社会ととらえれば、「田舎とは何か」と問うことはすなわち「(前)近代とは何か」と問うことと必然的に結びつくようです。「風景とは近代である」ように、やはり近代……《近代》はすべてを解決する……‼

石牟礼道子作品や国シリーズのさらなる理解のためにも、「田舎」をひとつのテーマとして色んな本や作品に触れていきたいです。


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