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夫が、ある日突然15万円を『ポチった』話【メディア掲載】

「ポチっといたわ」

とある平日の夜、リビングのソファーで横になる私に夫が言った。

『ポチる』とは、我々夫婦の間では『ネットショッピングで何かを買う』ことを表す言葉だ。

「何を?」

はて? オムツかおしりふきか、何か常備品に不足でも出たのだろうか。
そういったものに気づくのはいつも大体私だが、今日に限っては心当たりがない。

「椅子」
「椅子って、どこの?」
「エルゴヒューマン」
「は?」

その単語を聞いて、寝不足で落ちかけていた私の瞼がかっと開いた。


夫がある日、突然『ポチった』

エルゴヒューマン。

コロナ禍をきっかけに日本で認知度を急上昇させたこの単語は、アメリカの同名の家具メーカーが作っている少しゴツい見た目のオフィスチェアの名前だ。

感染予防のためオフィスに出社できず家からリモートワークすることを余儀なくされた多くの大人がまず苦しんだのは、家で静かに働くスペースが無いことと、そして腰痛だったと思う。
硬い木のダイニングチェアや子供の学習机の椅子で8時間パソコンを操作してはじめて、我々は普段オフィスで使っている椅子の優秀さに気づいたのだった。

そしてにわかに仕事デキる系インフルエンサー達がこぞって買い始めたのが、腰痛が解消され仕事が捗ると評判のこのエルゴヒューマンだった。

そのお値段は、私の記憶が正しければ確か10万円超え。

「え、いくらした?」
「15万」

ご丁寧に肘掛けから足置きまでフルアイテムを備え付けて夫が発注したその椅子は、私の記憶の1.5倍の値段だった。

夫も私も、コロナ禍にはじまったリモートワークがそのまま定着したタイプの会社に勤めており、基本的には自宅から仕事をしている。
夫は過去に一度1万円ほどのオフィスチェアを購入しており、特に不満を漏らすことなく使い続けていたはずだ。
なぜ今日、急に彼はそんな大きな買い物を決断したのだろうか。

夫が『ポチった』理由

「え、なんで?」
「明後日届くから、使って」

私の質問にまるで答えてない彼の発言から察するに、エルゴヒューマンはどうやら私のために購入されたようだった。

私は4月のはじめに、1年間の育休期間を終え仕事に復帰していた。
赤ちゃんのお世話に費やした1年間は決して楽なものではなかったが、やはり仕事で使う能力はかなり鈍っていた。
なんとかして勘を取り戻さねばと必要以上に肩に力を入れ前傾姿勢でデスクに向き合う私は、案の定腰を痛めてその日ソファに横になっていたのだった。

夫の気遣いと、その気遣いで15万円を秒で『ポチる』大胆さにドン引きしながら、取りあえず「あ、ありがとう」と伝えておいた。

『ポチった』ものを使ってみた

2日後。件のエルゴヒューマンが我が家へ届いた。

夫が張り切って組み立てて、私の仕事部屋まで運んできた。
頭の先まで支えがあるゴツい椅子は、夫チョイスのシルバーに近い色のおかげでその迫力を幾分かは緩和できているように感じた。

さっそく腰掛けてみる。
おお、これはこれは。
ふむ、確かに今まで使っていた椅子とは違う。
うん、なんか……なんか、「違う」な……。


正直に言おう。
めちゃくちゃ微妙だった。

手元のスマホでAmazonのサイトに移動し、自分がいま座っている型番の商品のレビューを見る。
その中に、目についたものがあった。
『小柄な日本人、特に女性には合わないようです』
評価を表す星は、ひとつ。

身長150センチ台の私も同評価だった。

夫の衝動買いがもたらしたものとは

結果、私の腰痛は悪化した。

「腰、揉むわ」

先日と同じ姿勢でソファに横になる私に、夫が声をかけてきた。

私が返事をする前に、背中にまたがりマッサージを始める夫。大学時代、4年間競泳部の補欠としてレギュラー部員のケアに活躍していた夫のマッサージの腕は確かなものだ。

「なんで椅子、買ったの?」

背中の上の夫に、2日越しの質問を再び投げかけた。

「やばいと思ったから」
「私の腰が?」
「俺達が」
「は?」

話を聞くと、夫が感じていた危機感は、私の腰に対してではなく我々の夫婦関係に向けられたものだったらしい。

決して珍しいことではないが、子供ができてから私達の関係は変わってしまった。
特に私の愛情と時間はそのほとんどが子供に注がれるようになった。
四六時中、毛穴レスで、ぷうんとミルクの甘い匂い漂うふわっふわな柔肌の赤ちゃんを抱いていると『愛おしい』ものに対するハードルが爆アガりするのだろうか。
唐突に私に接近してスキンシップを取ろうと試みる夫の顔を、私が「デカい! 汚い!」と言って反射的に平手打ちしてしまう程度には夫婦仲は冷えていた。

仕事を休んでいる育休中でさえ子供のことで100%脳みそが埋まっている状態の私が、仕事を再開するとどうなってしまうのか?
いよいよもう、自分の入る隙など髪の毛の細さほども残されないのではないか?
連日子供の寝かしつけ後にパソコンを開いて仕事を再開し、そしてパソコンを閉じたと思えば腰が痛いとソファに突っ伏して動かない私を見て、夫はそう感じたそうだ。

「でもあの椅子、あんまり意味なかったね」

夫が突然15万円を『ポチる』奇行に走った理由を聞いて少し申し訳ないことをしたと思いつつ、15万円の効能を感じない旨を正直に伝えた。

「俺は、良かったと思ってるよ」
「なんで?」
「話す時間ができたから」

夫は私の腰を揉む手を休めず、そう言って安心したような顔をした。


後日、エルゴヒューマンは夫のデスクへ移動された。

そしてエルゴヒューマンよりは少し使い心地の良い夫のお古の椅子を使う私に、夫が毎晩10分間マッサージするという夫婦の時間が誕生した。

エルゴヒューマンについて、Amazonのレビューを書こうと思う。

『小柄な日本人、特に女性には合わないようです。
でも、夫婦仲改善の一助になりました』

星は、3つくらいだろうか。

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こんばんは。
「外資系コンサルティングファーム勤めのワーママが、3年後の2027年までにライターでフリーランスになる」までの記録をリアルタイムで発信していきたい、K子です。

「天狼院ライティング・ゼミ」で書いた文章を天狼院書店のWEBメディアに掲載していただくことができましたが、今回は夫婦関係の記事ということで全文をnoteに掲載しました。

産後の夫婦関係、難しいですよね。
椅子としては私の身体にフィットしなかったものの、夫婦に会話の習慣を与えてくれたエルゴヒューマンには感謝しています。

来週も掲載いただけるように、がんばります!

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