KKL 20221121 研究室会議レポート

こんにちは、M1の井上です。今週の研究室会議レポートを担当します。

今週は主にM1の同期と先輩方の研究発表でした。
特に先輩方の研究発表や活動報告などはとても専門的で、毎回理解に苦労したり、頭をかき回されて考えさせられたりします。これはもちろん、同期や後輩の発表においてもあります。
ここでは会議の内容というより、そんな研究室会議が毎週繰り広げられる中で
最近考えていたこと中心に綴りたいと思います。よろしくお願いします。


■  人と議論する意味

今回のある先輩の発表で、先輩は研究の分析方法を検討し発表されていたのですが、「なぜその小説を選択しているのか。」「どのようなソフトを使用して分析しているのか。」などの質問があり、さらに「単語分析以前に小説の分析が必要。」と先生がおっしゃていました。
そのように同じものを見たり聞いたりしても、ある事象に対する考え方や引っかかる部分は人それぞれで、「議論する」とはその多種多様な思考回路を互いに共有し合うことなのだと思います。それを受けると、一つの現象に対して考えられることが増えてきて、それによって、1研究者としては、自分の考えがより人類の学術史に通用するようになるし、1人の人間としても、多種多様な価値観を消化して行動することができるようになっていくのかな…と思っています。
それが人と議論を重ねる意味なのだと考えています。

何だか書いてみるとどうでもいいことにも思えてきてしまうのですが(笑)、昨年まで他大学にいた自分はこんな当たり前のことがよく分かっておらず、昨年の卒業設計(研究)において、人と議論を重ねることを極力避けていた部分がありました。
それは「人の意見を聞くと自分が見えなくなるから」とか「自分の卒業設計なのだから、相談せず自分の思う通りにやりたい」という考え方をしていたからです。
しかし門脇研に入り議論に参加していくうちに、考え方が変わってきました。
先程述べたように、人と議論をすると、思考回路を共有しあって一つの物事に対して考えられることが増えます。そうすると、その中から自分で思考を選ぶ必要性が出てきて、それによって自分が見えてきます。また「自分の思う通りにやりたい」と言っても、卒業設計はそれを最終的に形にして人に伝えなければいけない。それは「思う通り」を何らかの形で人に共有できるようにしなければならないということで、そうなるためにもやはり、議論による多様な思考回路は必要だと思います。つまり、自分を可視化するためにも、卒業設計等を「自分の思う通り」にやるためにも、人と議論することは大切なのだと思います。

特にB4の方々は卒業設計が大変になってきたとは思いますが、研究室会議以外でもぜひいろんな人と議論を重ねて頑張ってほしいな…!と思っています。


■  自分の専門分野を研究する醍醐味

今回は私も自分の研究について発表したのですが、なかなか研究テーマが具体的にならず、もやもやした状態をそのまま持っていった発表になってしまいました。

門脇研は研究テーマを自分で決める研究室で、卒業設計においても自分の興味や関心から社会につながる問題を見つけるスタンスです。「構法計画」と大きく専門範囲が決められつつも、最終的に自分で自分の具体的な専門領域を作っていきます。(個人的にそう感じています。)
これを「だから楽しい!」と言う人は多いですが、私すごく難しいと思いがちで、誰かが決めてくれた方がラクだな…と、今も漠然とした研究テーマを具体化していくことに苦労しています。
一方、先輩方の研究発表は、週を追うごとに具体化して内容が洗練されていくのを感じます。それぞれご自身の興味に基づいたテーマが修士論文として成立していくのをみていると、すごく素敵だなと思えてきて、研究テーマを自分で決めなければいけない環境も、何だかとても貴重なものに思えてきます。そんな研究室会議の積み重ねで、最近は「テーマを具体化する難しさこそが、ある意味で研究の本当の楽しさなのかもしれないな」と、苦労を少し前向きに取れるようになりました。

多分、自分で決めた専門分野を研究することは、自分の興味や関心を共有可能なものにすることであって、それはすごく苦労を伴いますが、それができるようになると、ただの自分の興味・関心が、社会のどこかでに役立つものへと変わっていくんじゃないかな…と考えています。
そして、そんな苦労や期待を味わえることが、きっと自分の専門分野を研究する醍醐味なのだろう、と思っています。

そんなことを考えつつ、自分の専門領域をもっと掘っていけるよう頑張りたいと思います。


■  ノートの良さ

最後に少しだけ。私は毎回アナログでノートを取っているのですが、4月頃と比べると、徐々に議論が専門的になり、後から見返しても議論の記録として分からなくなってしまうことも多々あります。録画の方が正確に見返せるし、ノートをとる意味はあるのか…?と少し考えていました。
しかし、とある時に「そういえば、この話前の研究室会議で…」と思い出したように開いて見返したり、以降の研究室会議の時に「この先輩(または同期、後輩)が前言ってた話はこうなったのか!」と進展を確認したりするのに無意識に使っていたのをふと自覚して、使える部分もあるのか、なんていう気づきがありました。
アナログノートの人はあまり見かけませんが、例えば議論をExcelで整理している人など、議論の内容を何らかの形で自分なりに記録している人は自分以外にも結構います。
自分でとった記録は、自分の頭の中が投影された研究室会議の記録でもあるので、過去の自分を見ることもできて、個人的には、全てを漏らさずに記録された録音や録画とはまた違う良さもあるんじゃないかな、と考えています。


レポートというか、かなり個人的な呟きに偏ってしまいました…すみません。
以上とさせていただきます。お付き合いいただきありがとうございました!
                               
                               M1 井上南海

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