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スポーツが僕を成長させてくれた話(福知山ユナイテッドの理事になりました)

 2024年4月より、一般社団法人福知山ユナイテッドの理事に就任させていただくことになりました。京丹後に暮らしている自分がなんで福知山に?と感じる方もいると思いますが、就任のきっかけや想いについて今回は書いていきます。公式のリリース情報はこちらです↓(Xフォローしてくれますと喜びます!

社会人1社目の先輩、片野さん

 きっかけはこの方、片野さんの存在。僕が社会人生活をスタートさせたシナジーマーケティングという会社の先輩であった片野さんの存在が無ければ、今回の縁をいただくことはありませんでした。

 就活中、自己分析しながら自分のやりたいことを考えてIT企業やベンチャー企業を受けている中、サッカーが好きだったのでスポーツに関われる仕事もできたら良いなという気持ちも少しありました。そんな気持ちで出会ったシナジーマーケティングはITベンチャーであり何だか面白そう。そしてスポーツの仕事も当時増えつつある状況でした。

 「自分の方向性に合ってるし、スポーツの仕事もできるかも」そんな期待も持ちながら内定をいただけ、シナジーマーケティングでの勤務をスタートすることができました。実際にスポーツの仕事を作っていたのは、紛れもなく片野さんだったので、縁とは不思議なものです。

 片野さんと直接の先輩後輩関係に当たる仕事はしていませんでしたが、スポーツ繋がりで一緒にサッカーを観に行ったりフットサルに誘っていただいたりなど、仲良くさせてもらいました。僕が東京で病んだ後に大阪へ復職する際、大阪から東京へ転勤となり僕のお客さんを引き継いくれたのも片野さん。「あの仕事大変やったな、ようやってたと思うで」という片野さんからの一言で救われましたし、この件では本当にお世話になりました。

 そんな片野さんが福知山に戻ってきて何やらプロジェクトを立ち上げる事を聞きつけた2021年。京丹後から福知山へはたまに遊びに行っていたし、何か面白そうな事が起こりそうだと直感的に感じました。当時の僕は農業をしつつも育児とのバランスを考えて働き方を変えようとしていた時期です。移住して5年が経とうとしていた事もあり、自分のやりたい事を模索している時期でもありました。

 片野さんが京丹後まで来てくれ、久しぶりに話をさせてもらい、以前と変わらないアツい真っ直ぐな片野さんがいました。「やっぱりスポーツに関わることがしたい」そんな気持ちが再燃した時間。とりあえずイベントのお手伝いから何でもできる事をしようと決めて、福知山ユナイテッドと僕の関係は始まりました。

 片野さんnoteにも僕のことを触れていただき、ボランチとして今後も福知山ユナイテッドに貢献していく所存です!!

スポーツが繋いでくれた縁と経験

 僕とスポーツの関わりでいうと、やっぱり地元である茨城県鹿嶋市にあるJリーグクラブ、鹿島アントラーズの存在が全ての始まり。物心ついた時からアントラーズがあって、週末になれば家族で必ず結果はチェックしていたし、たまにスタジアムへ行って試合観戦もしていました。

 幼稚園の頃からグランドに出れば友達同士でサッカー。小学生になっても昼休みはずっとサッカー。月曜日になればアントラーズの話。サッカー部で無い人もアントラーズが共通言語になって、仲良くなる環境で育ちます。かくいう僕も中学時代はバレーボール部でしたが、アントラーズ熱はドンドン上がってサポーターとしてゴール裏にベッタリでした。

 そんなアントラーズのホーム、カシマスタジアムが2002年にワールドカップの会場となります。通っていた小学校から遠目でスタジアムが見えていたので、刻々と改修工事によって大きくなっていった様子をずっと見ていました。スタジアム回りの道路も整備され、お店ができ、ワールドカップがくることで街は大きく変わっていき「スポーツの力って凄い」と幼いながら感じました。

 地元を離れる大学進学時、アントラーズサポーターとしてのブログを書いていた事もあって、実はスポーツライターになりたい気持ちが芽生えていました。合格をもらえた学部も「スポーツ社会学部」。正直、遊びに行くための大学、と感じていましたが、せめてスポーツに関わる学部に行きたいと、ここでもスポーツがきっかけで京都行きが決まります。京都での学生生活は充実極まりなく、本当に良い時間を過ごせました。

 関西に来てから、アントラーズの試合結果は必ずチェックはしていましたが、現地で見れる機会が減り、心理的距離も少しずつ離れていきます。大学1回生の時がちょうどリーグ三連覇をした年で、アントラーズの隆盛も落ち着き始めたタイミングでもありました。その後、丹後に移住をしてよりアントラーズとの距離は離れ始めてしまいますが、片野さんとの出会いをきっかけにアントラーズ熱を再復活。DAZNさん、ありがとう。。

 大学進学する時もそうだし、社会人になるタイミングでも、僕の頭の片隅にはスポーツに関わりたいという気持ちがありました。それが回り回って僕の血肉となる経験をもたらしてくれ、今回のお話にも繋がっていきました。ユナイテッドの活動をする中、子どもたちが楽しくスポーツをする様子や、トップアスリートの技術を目の当たりにする瞬間の高揚感は、何者にも代えがたいものです。

 スポーツが与えたくれた縁に感謝をしながら、その恩返し、というよりも子どもたちへの恩送りをユナイテッドで実現していきたいと思います。

スポーツ×まちづくりが僕を更に成長させてくれる

 スポーツへの想いはもちろんですが、まちづくりの仕事を通じてもスポーツの価値の大きさを目の当たりにしています。スポーツを核に、世代を問わず人が集まって誰かを無条件で応援する、なんて事はそう簡単につくれません。スポーツが真ん中にあるから一致団結して課題に取り組んだり、若者にも投資してくれる。

 地域で仕事をしていると、光をみることもあるけど暗部を見ることも多い。過去のしがらみや経験から脱せず、将来性のある人や事業が潰されていく。こんな地域でやってられるか、と若者が出て行く。それでも変わろうとしない人や組織。ポジティブな事よりネガティブな事に引っ張られがちな人間の性に、僕自身も染められつつありました。

 そんな中、福知山ユナイテッドの活動を見た時に、イベント全体がポジティブで熱量を帯びていたこと、関わる大人や子どもたちが笑顔だったこと。スポーツの価値をまざまざ感じました。モヤモヤしていた自分の気持ちは晴れ始め「ここで自分も頑張りたい」という気持ちが生まれ、昨年度から福知山ユナイテッドでの関わりを増やしていきました。

 ここでの経験が僕を更に成長させてくれる。福知山ユナイテッドは立ち上がって間もないクラブでやらなければいけない事がたくさんあります。それらは僕のキャリアが活きる場でもあり、より新しいことを挑戦させてもらえる場でもあります。

 福知山市出身ではないけれど、僕が関わって出来ることはたくさんある。そんな思いで福知山ユナイテッドの理事として貢献をしていくし、自分を成長させながらスポーツの価値をもっと上げていきたい。この経験がまた僕を知らない世界に連れて行ってくれると感じているし、地元である鹿嶋にまた関わるきっかけを作ってくれるとも信じてる。

 長くなりましたが、そんな想いや背景があって福知山ユナイテッドと僕とがあり、今後はより福知山ユナイテッドの理事として邁進していきたいと思います!もちろん丹後での仕事や家庭生活も大切にしながら、楽しく働いてる姿を見せ続けていきます。今年もワクワクする年になりそうだ。

 

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