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説明って、何も生み出さない。

年末年始も66回目になると物持ちが良くなり、あろうことか風邪をまだ手放さずにいる。

今日が年内最後の講義(文章の書き方講座オンラインDAY2)、明日からは休暇兼ねて別荘へ行く予定だったのだが、あ、「別荘」といってもホンモノではなく、市内ホテルのことをわが家ではそう呼んでるだけで、泳いだりぼんやりするだけのステイ。その別荘もキャンセルした。

本年ラスト講義「文章の書き方」乗り切る。朝からうがいを繰り返してる。しかしこれはどうでもいい正解なのかもしれない。

体調悪くても、医者へ行かない。「ああ、インフルエンザですね」「コロナですね」「風邪ですね」すべてどうでもいい正解であり、説明に過ぎない。

幸い、誰とも接触せずオンラインなので、他人様への感染の心配なし。通勤徒歩、人との接触ゼロ。自分でなんとかする。

どうでもいい正解は油断するとあちこちにはびこる。
たとえば、マーケティングにイノベーター理論というのがある。

説明つくんだよ。2007年ごろiPhoneに飛びついた人たちはイノベーター、現時点でもまだガラケー離さない人はラガード、とか。

ただ、
説明できるに過ぎない。
ダカラナニ?

説明って、何も生み出さない。

でも多くの人は、説明に倚(よ)りかかろうとする。

ちょうど今日の文章講座レジュメで取り上げた、茨木のり子さん「倚りかからず」。

もはや
できあいの思想には椅りかかりたくない
もはや
できあいの宗教には椅りかかりたくない
もはや
できあいの学問には椅りかかりたくない
もはや
いかなる権威にも椅りかかりたくはない
ながく生きて
心底学んだのはそれぐらい
じぶんの耳目
じぶんの二本足のみで立っていて
なに不都合のことやある
椅りかかるとすれば
それは
椅子の背もたれだけ

倚りかからず、茨木のり子

塾生からSOSメッセージきてて、今日夕方電話で話す。

できればこういうのは自分の体調がベストの時にしてあげたい。

でも、ぼくの見る限り、「次の新しいドアを開く」直前だからこその状態だ。

ドア開きの背中をちょっと押してあげるだけで、大丈夫だろう。

気をつけないといけないのは、「どうでもいい正解」を伝えないこと。

ぼくのコンサルティングの身上は、「えっ!? そうなん?」というセンス・オブ・ワンダーだ。

彼女も気づいてない何か、きっと見えてくるに違いない。

楽しみ。

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